幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「帝国ホテルが教えてくれたこと」竹谷年子著 ”感謝の気持ちがやる気を引き出す”

2015-04-15 00:14:25 | 本の紹介
竹谷年子さんは帝国ホテルが最初に採用した女性のお部屋係りでした。竹谷年子さんは、VIP専用の客室係りをずっとやられて来られました。VIPから竹谷さんがいるから泊まるのだと言わせるほどお客様を大切にされて来られました。

感謝の気持ちがやる気を引き出す。まさに帝国ホテルの仕事は天職でした。お客様に対して、先輩に対して、仕事を支えてくれている同僚にも後輩に対して、そして帝国ホテルに対して感謝の気持ちでいっぱいです。

失敗した!その後始末が成長の鍵
洗面所にあったVIPの中国のお嬢様がお帰りになった後に、小さな瓶にどろどろした黒いものがあり、何年も土の中に埋めて作った貴重なもの
私はダメだの気持ちが出たら、心房のしどき
親切、丁寧、迅速 基本
間の取り方で丁寧さを演出できる

羽生善治「若手に負けぬための秘密の習慣」 "迷う時には「野生の勘」を大切に”

2015-04-14 01:10:49 | 生き方/考え方
http://president.jp/articles/-/14033
勉強といっても、私たち棋士にとっては、実戦の中から得るものがやはり大きいですね。新しいアイデアや発想のヒントを実戦から得て、それを日常の練習の中で掘り下げ、全体的な理解を深めていきます。

迷いもするし、きっぱりと割り切れないことも多い。私の場合、いろんな仕事の依頼がきますが、どれに重きを置けばいいのかなと思い悩むときがあります。本をたくさん書いたほうがいいのかな、とか、将棋をもうちょっと一生懸命やらなきゃいけないのかな(笑)とか。でも、先行きを心配しても仕方がないという諦観もあります。ただ、折々に判断を下すときに、私は人間が本来持っている「野性の勘」を大切にしたいと思っています。
http://president.jp/articles/-/14033
将棋では、過去に習い覚えたことがまったく役に立たない場面がしばしばあります。羅針盤が利かない状態が起こるのです。そうなると勘に頼るしかないのですが、世の中が便利になり、生活が快適になるほど、その勘は鈍っていくように思われます。ですから、勘を磨く習慣やトレーニングが必要だと思います。何をするかというと、「羅針盤の利かない」状況にわざと身を置くことです。

それほど大げさなことではありません。たとえば私は、初めて訪れる待ち合わせ場所などには、しばしば地図を持たずに行きます。住所だけを頼りに、頑張って考えたり、人に聞いたりしてこっちかな、あの道だなと勘を働かせながら歩くのです。昔はそうするのが必然でしたが、今はそういう機会は意識的につくらないとなかなかありませんね。

過去の経験や土地勘のないところでも目指すポイントを見つけ出せる、新たな違うことを生み出せるこうした能力がこの先重要視されるのかもしれません。ここは将棋がこの先どう変わっていくかについての一番のポイントだと思っていますが、将棋に限ったことではないかもしれませんね。

感想;
迷うことがたくさんあります。ある本に、「迷うということをどれを選択しても問題はない」との言葉もありました。後から思うと、あの時あれを選択しておけばよかったと思うことはしばしばあります。でも、その時はそれが一番よいと判断したのですからそれで良いと思うようにしています。「野生の勘」それはきっと、心に尋ねてそれを一番欲していると思っていることなのだと思いました。その時の選択には、ロゴセラピーで言う「良心」に基づく必要があるのだと思います。

「一流に磨き上げる極意」白鵬、羽生(将棋のハブ名人)の師匠が語る ”意欲を持って行動するか”

2015-04-13 08:04:27 | 生き方/考え方
http://president.jp/articles/-/2481
師匠が指導し、弟子が学ぶ。能や歌舞伎、茶道や生け花など厳しい師弟関係が存在するプロフェッショナルは多い。しかし勝負が明確につく、という点で大相撲と将棋が非常にシビアであろう。

すでに優勝8回を飾り、現在最強の力士となったモンゴル出身の横綱・白鵬。そして、将棋史上最強格の棋士と評される羽生善治名人(四冠)。頂点を極めた2人の弟子の師匠、熊ヶ谷親方と二上達也九段には特別な指導法があったのだろうか。それぞれの師匠に語っていただいた。

中略

2人の師匠の話からわかるのは、例えば優秀な部下が、自ら意欲を出して勉強や仕事を始めたとき、上司は自分の型にはめようといちいち細かい指図をするのはリスキーである、ということかもしれない。

では、放っておけばいい――と思うのも早計だ。本人のやる気を喚起させ、それをつかず離れず見守ることも肝要なのだ。

指導にはメリハリをつけ、自分のいうことをしっかり受け止めるような関係を築きながら、部下が行き詰まったときや方向を間違えたときにストップをかける。それが優秀で意欲ある部下をさらに飛躍させる秘訣だろう。

感想;
人は自ら行動を起こさないと一生懸命にならないのでしょう。
馬を無理矢理水飲み場に連れて来て水を飲まそうとしても、水を飲みたくなければ飲もうとしません。
自分自ら、自分の気持ちを奮い立たせて、自ら行動するようにしていけるかどうかなのでしょう。
白鵬は歴代の大横綱に話を聞くくようにしたそうです。白鵬は相撲界に入った時は体重が少なくて、2か月は食べて寝るだけをして体重を増やし、それから厳しい練習をしていったそうです。自ら意欲を持って行動することが未来に繋がるのでしょう。

「統計学が最強の学問である」 西内啓著 "コレラ患者は水道会社の違いで起きていた”

2015-04-12 01:55:30 | 本の紹介
免疫の父 ジョン・スノウ
19世紀のロンドンで疫病コレラが四度大流行した。
急激な人口増加で都市の発達が追い付かず、狭く不潔な地域に粗末な家がひしめき、その家の中に貧しい人が押し込められ、下水も整備されないためにゴミや排泄物が地下室、道端といったそこらじゅうに貯めこまれていた。そうした「臭い地域」に住む臭い労働者たちの多くがコレラで死亡していたため、悪臭を取り除きさえすればコレラもなくなるのではいかと考えた。さらに、もっと果敢にこの汚物を取り除こうとした役人もいた。彼は街中の汚物を片っ端から清掃し、下水を整備し汚物を川へ流せるようにするという政策を取った。この役人が活躍したのは、主にコレラの一度目と二度目の大流行時の期間だが、彼らの努力にかかわらず、二度目の大流行(死亡者数約7万人)は、むしろ最初の大流行時(死亡者数約2万人)よりも大量の死亡者を出している。

ジョン・スノウという外科医がやったこと
・コレラで亡くなった人の家を訪れ、話を聞いたり付近の環境をよく観察する。
・同じような状況下でコレラにかかった人とかかっていない人の違いを比べる
・仮説が得られたら大規模にデータを集め、コレラの発症/非発症と関連していると考えられる「違い」について、どの程度確からしいか検証する。

          家屋の数    コレラによる死亡者  1万件あたりの死亡者数   
水道会社Aを利用   40,046    1,263        315
水道会社Bを利用   26,107       98         37

水道会社Aを利用している家では8.5倍も死亡者が多い。
「とりあえずしばらく水道会社Aの水を使うのを止める」
この考えを発表しえから30年後にドイツの細菌学者ロベルト・コッホはコレラの病原体である「コレラ菌」を発見し、コレラが水中に生息することや、コレラ患者の排泄物に含まれること、そしてコレラ菌を含む水を飲むことでコレラに感染することが証明された。
じつは水道会社Aと水道会社Bの違いは、前者がロンドンの中心を流れるテムズ川の下流から、後者はテムズ川の上流からそれぞれ採水しているというものだった。
残念なことにスノウの主張は「科学的でない」あるいは[確実な証拠がない]として学会や行政から退けられたが、彼の助言に従ってコレラに汚染された水の使用を止めた町ではぱったりとコレラの感染が停まった。 

感想;
データは語る。そのデータをどのように処理するか。データの処理の仕方により、意味がでてくることがよくわかる本でした。データを信じるか信じないかは時の為政者の判断になりますが、そこには謙虚さが求められるのでしょう。
これを読んでいて、戦時中陸軍では脚気で4,000人が死亡したが、食事説を採用して麦飯/パン食に切り替えた海軍ではほとんど脚気の患者はでなかった(パンを拒否した兵士などで発病)。海軍の結果があっても、陸軍は食事説を採用せず、責任者が拘り患者が続出した。陸軍の責任者の一人が、文豪であり陸軍軍医であった 森鴎外であったことを思い出しました。海軍の軍医の高木兼寛は当時最新の学問であった疫学調査から、食事の違いによる脚気の発病率に大きな違いがあることを発見し、食事を変えることで脚気を防ぐことに成功しました。陸軍の責任者は直接兵士を殺害していませんが、間違った判断に固執したために多くの死ななくてよい兵士を死なせてしまいました。残念ながら、陸軍の責任者は誰もその責任を取っていません。 
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            
 

自殺未遂繰り返した娘、「遺書」作りが変えた "生きる目的を見つける”

2015-04-11 02:46:16 | 社会
2015年4月9日06時54分
http://digital.asahi.com/articles/ASH3W556FH3WTIPE024.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASH3W556FH3WTIPE024

 小学校でいじめられた娘は、不登校になり自殺未遂を繰り返した。思い悩んだ末、母は娘が書きためた詩を「遺書」として本にすることにした。だが、2人で作るうちに気がついた。もっとやりたいことがあること。過去にとらわれていたこと。「未来の話をして笑いたい」。この春、夢を描き高校へ進む。

《いじめられている君へ》西原理恵子さん

 福岡市の秋山のぞねさん(15)=ペンネーム=へのいじめが始まったのは、小学2年の3学期だった。宿題を忘れてしまったのぞねさんの襟を、担任の先生が引きずって教室から出した。算数のプリントを廊下で解くように言われ、床にはいつくばった。

 「ウソつき」「この子はバカ」とみんなの前で言われたり、給食を食べさせてもらえなかったりした。同級生が、わけもなくたたいてくるようになった。

 なぜ自分だけこんなことをされるのか。ただ悲しくて、怖かった。学校に行けなくなり、心療内科を回った。

 詩を書き始めたのはその頃だ。祖母がお見舞いに差し入れてくれたマンガの主人公が、好きな相手に詩を書いて気持ちを伝えていた。「わたしの気持ちも楽になるかな」。浮かんだ言葉をメモにしていった。

 《人の心は、全て赤い糸でできてるんじゃあないかと、私は思ってる。》
 《他人に罵(ののし)られると、糸は1本、悲しい音を最後に切れる。知り合いに罵られると、糸は5本、また切れる。》

 いじめは続いた。「キモイ」「ウザい」「友達じゃないから」。心ない言葉を投げられる。死んでしまいたい衝動と、それじゃだめだという感情でグチャグチャになった。ガラス片で胸を切ったり、冬の川に飛び込んだり、薬を大量に飲んだりした。今度は「自作自演」と言われた。

 《言わないで、その言葉を言わないで下さい。私は何も、やっていません。
 ただ、助けてほしいだけなのに、どうしてそんなことを言うのですか。》

 中学進学後も学校に通えず、自分を傷つける娘に、母アヤさん(41)はもがいた。のぞねさんの主治医からは「受け入れるしかない。腹をくくりなさい」と言われ、自分に何ができるのか考えた。

 この子は死んでしまうのかもしれない。それならせめて、夢をかなえてやりたい――。作家になりたかったのぞねさんが書きためた詩を「遺書」のつもりで自費出版することにした。

 約1年かけて、作品を選び、載せる順番を決めていった。生きることに精いっぱいだった日々が、本の話をする時だけは将来のことを考えられた。

 2013年12月、37作を収めた「根暗女子中学生の思考」を出版。この頃からのぞねさんが変わっていった。「次はこんな本にしたい」と、目標を口にするようになった。

 のぞねさんは中学1年から、インターネットのサイトに投稿するようになった。150作品を超す。「心を打たれました」「頑張ろう」とコメントが寄せられるたび、励まされた。「過去を振り返って憎んでばかりだった。でも、あの時期があったから出会えた人たちがいる。一人じゃないと思えるようになった」とのぞねさんは話す。

 「遺書」を書いて、夢を見つけた。「勉強をがんばって大学へ行って、作家になりたい」。今春、高校に合格した。苦しんだ過去を越えて、未来へ踏み出す。(安田桂子)

感想
自殺したいと思う人は、今がとても苦しくて苦しくて今の苦しさから逃れたい気持ちだと聞いたことがあります。自分の苦しさのために、周りのことを考えている余裕がありません。
視点を変えてみると、自分が生きる意味、目的を見出せていない状況でもあります。自分に生きる目的が見いだせていなくても、誰かのために生きなければならない、例えば子供のためにとか、それがあるとまた生きて行けるとも言われています。
のぞみさんは投稿することで、外部との接点ができ、人の役に立っていることを実感されて来られたようです。一人では生きる目的を見出せなかったのが、人との繋がりで生きる力を得て来ました。虐めと言う、人との繋がりで苦しめられたのですが。
この記事を読んでいて、お母さんが一生懸命娘さんと接して来られたんだなと思いました。