いろいろな仕事を経て、AVライターに。
・「アダルトビデオジェネレーション」(AV黄金列伝)東良美季著
・学生時代から「何がしたいのか」「将来は何になりたいのか」を問われ続け、就職して編集者になってからも「何がやりたいのか」「何が作りたいのか」を問われ続け、フリーになってからも「ライターとしての専門分野」「何を書きたいのか」をずっと問われ続けた私にとって、やっとたどりついた答え、情熱を注げる対象が「AV」だったからです。
・私は、自分が女であることを「受け入れよう」と思いました。女であることも、感情的になりがちな文章も、自分の弱点だと思っていたことを認めようと思いました。「女」であっても、私は私です。「私」には「女」は必ずついてくる。そのことをポジティブに受け入れようと思ったら、怖かったけど目の前が明るくなった。おおげさですが、希望が見えました。それはムラから出る希望でもあり、私が長く続けてきた「女」との戦いを終えられる希望でした。
・潔癖すぎたし、神経質すぎたし、自意識過剰すぎたと今なら言えますが、その時はそのことがわからなかった。悪意を向けられたことで自分が外からどう見えるかということに、過敏になりすぎていた部分もあったでしょう。一度でもそういう「いやな女」に見られたことは、修復不可能なことに思えました。
・女を敵にまわしたくないとビクビクしながら、自分は女たちから敵だと思われているんじゃないかとおびえていました。
・性差なんかなければいいと以前は強く願っていましたが、女同士の連帯を知ってからは、「女」という荷物の重みがすっと軽くなりました。それは自分ひとりが背負っている荷物ではなかった。重いね、きついね、とおしゃべりしながら、それぞれが自由に合流したり別れたり、同じ道や違う道を歩いてゆける、そういうものだった。
・私がまわりからよく思われようとか、評価されたいとか、悪く思われたくないとか、そう思ってせせこましく努力してきたことなんか、ほとんど無駄だったと思います。
・女であること、女という偏見で見られることを恐れ、偏見を遮断しようとするあまり、自分は人の好意までバッサリ遮断していたのだと思いました。「わかってくれる人」は最初からいたのに、正体のわからない敵にとらわれて自縄自縛していた。
・好きなことを自由に書いてもいいんだと思うと、怖かったけど嬉しくて、書き始めたら止まらなかった。これを諦めるなんて、どんでもないバカなことを考えたものだと思いました。死にたくなって当然です。こんな楽しいことを我慢していたのですから。
感想;
雨宮まみさんはせっかく、自分を苦しめていた考え方から解放され、これからの活躍が期待されていましたが、40歳で事故死(心肺停止で発見)とのことで亡くなられました。
自分を苦しめ、身体も痛めつけてしまうような生き方をせざるを得なかったのでしょう。
そこから自由になれただけにとても残念です。
臨済宗で”人惑”
アラン・ワッツ”社会的催眠”
人は小さい時に親から、先生から、周りから言われた言葉や考え方が自分を苦しめています。
あたかも自分の考え方/信念と思っていますが実は催眠術をかけられているのかもしれません。
そこから自由になる。
それは簡単なことではないでしょう。
それだけに、雨宮まみさんの40歳で早く逝かれたのが悲しいです。
・「アダルトビデオジェネレーション」(AV黄金列伝)東良美季著
・学生時代から「何がしたいのか」「将来は何になりたいのか」を問われ続け、就職して編集者になってからも「何がやりたいのか」「何が作りたいのか」を問われ続け、フリーになってからも「ライターとしての専門分野」「何を書きたいのか」をずっと問われ続けた私にとって、やっとたどりついた答え、情熱を注げる対象が「AV」だったからです。
・私は、自分が女であることを「受け入れよう」と思いました。女であることも、感情的になりがちな文章も、自分の弱点だと思っていたことを認めようと思いました。「女」であっても、私は私です。「私」には「女」は必ずついてくる。そのことをポジティブに受け入れようと思ったら、怖かったけど目の前が明るくなった。おおげさですが、希望が見えました。それはムラから出る希望でもあり、私が長く続けてきた「女」との戦いを終えられる希望でした。
・潔癖すぎたし、神経質すぎたし、自意識過剰すぎたと今なら言えますが、その時はそのことがわからなかった。悪意を向けられたことで自分が外からどう見えるかということに、過敏になりすぎていた部分もあったでしょう。一度でもそういう「いやな女」に見られたことは、修復不可能なことに思えました。
・女を敵にまわしたくないとビクビクしながら、自分は女たちから敵だと思われているんじゃないかとおびえていました。
・性差なんかなければいいと以前は強く願っていましたが、女同士の連帯を知ってからは、「女」という荷物の重みがすっと軽くなりました。それは自分ひとりが背負っている荷物ではなかった。重いね、きついね、とおしゃべりしながら、それぞれが自由に合流したり別れたり、同じ道や違う道を歩いてゆける、そういうものだった。
・私がまわりからよく思われようとか、評価されたいとか、悪く思われたくないとか、そう思ってせせこましく努力してきたことなんか、ほとんど無駄だったと思います。
・女であること、女という偏見で見られることを恐れ、偏見を遮断しようとするあまり、自分は人の好意までバッサリ遮断していたのだと思いました。「わかってくれる人」は最初からいたのに、正体のわからない敵にとらわれて自縄自縛していた。
・好きなことを自由に書いてもいいんだと思うと、怖かったけど嬉しくて、書き始めたら止まらなかった。これを諦めるなんて、どんでもないバカなことを考えたものだと思いました。死にたくなって当然です。こんな楽しいことを我慢していたのですから。
感想;
雨宮まみさんはせっかく、自分を苦しめていた考え方から解放され、これからの活躍が期待されていましたが、40歳で事故死(心肺停止で発見)とのことで亡くなられました。
自分を苦しめ、身体も痛めつけてしまうような生き方をせざるを得なかったのでしょう。
そこから自由になれただけにとても残念です。
臨済宗で”人惑”
アラン・ワッツ”社会的催眠”
人は小さい時に親から、先生から、周りから言われた言葉や考え方が自分を苦しめています。
あたかも自分の考え方/信念と思っていますが実は催眠術をかけられているのかもしれません。
そこから自由になる。
それは簡単なことではないでしょう。
それだけに、雨宮まみさんの40歳で早く逝かれたのが悲しいです。