ナレーション;門脇麦さん
人間が生きる意味を問い続けた人がいます。
父、兄、母、最初の妻がナチスの強制収容所で亡くなりました。
ヴィクトール・フランクルも、2年半強制収容所を4か所を体験しました。
37歳の時の『夜と霧』(日本語)が世界中でベストセラー。
生き残るための戦いは熾烈を極めた。容赦なく多くの人が亡くなった。
「いい人は帰って来なかった」とはっきり言える(フランクル)。
絶望の状況で人はどうなるか。
生涯それを問い続けた。
「それでも人生にYESという」
どんなに辛くてもそう言える。
20歳から考えていた。それが強制収容所で試された。
ロゴセラピー、ロゴは意味を。
苦悩にある人にも意味がある。
それを相談者と一緒に考えるのが、ロゴセラピー。
勝田茅生氏は24歳でドイツの大学院へ留学、50歳の時に大病を患い、夫と離婚。そのときにフランクルとの本と出会う。
27年間ドイツでロゴセラピーを学び、日本人として初めてのロゴセラピストになった。
自分自身を肯定できる。だめな自分でも良いのだと。
日本でロゴセラピーを伝える講習会を開催している。
参加者(ロゴゼミナール)
自分の持病とか持っている人に、状況は変えられないけど、変えられること。
第1回は強制収容所に行かされる前
『日曜日生まれの子 光と影』
50年近くドイツに住んでいる。
小野正嗣氏 『夜と霧』はよく読まれているが、フランクルはどんな人か知られていない。どんな人だと思われますか?
勝田氏 日本は子どもの自殺が多い。
小野 子どもたちも悩んでいる。何かヒントを与えてくれる。
勝田 何かに苦しむのにも意味がある。意味が見つかると、苦しみが強くなくなる。
大学教授が、奥さんが亡くなり、辛くて辛くてどうしようもないと相談に来た。
そこで、「もしあなたが先に亡くなったら奥さんはどうだったか? あなたは奥さんの代わりに苦しみを背負っている。その苦しみに意味がある」
それをわかった大学教授は今の苦しみは妻に代わって受けていると理解した。
能登で多くの人が苦しみを抱えている。何も言ってあげることはできない。
天災には意味がない。しかし、生き残った人が意味があるように生きることができる。
どんな人間のなかにも、自己治癒力で治していく能力は備わっているとフランクルは言う。
日曜日生まれの子は幸せな人生を歩むと言われている。
父母はチェコから移民したユダヤ人。
4歳のとき、「人はなぜ生きるのか?」という疑問。
自分はいつか死ぬ。
人生の無常さが人生の意味を無に帰してしまうのではないか。
人はいつか死ぬのに、なぜいきないといけないか。
第一次世界大戦勃発。それでも生きる意味を考え続けた。
「人生は燃焼プロセス。それ以外のなにものでもない」と先生が言った。
「そうなら人生の意味は何があるのですか?」とフランクルは尋ねた。
先生は答えられなかった。
フロイトが「人生は快楽が源」
フロイトに手紙を出したら、返事が来た。
手書きの原稿を送ったら、「国際医療ジャーナル」に載せると。
その頃、ヒトラーはウイーンで裕福なユダヤ人に憎悪を高めていった。
小野 ヨーロッパでは「日曜生まれの子」は恵みが多い。
勝田 小さいけど、ユーモアがあった。
1,500人の入院患者の中で、フランクルは医師だったけど、友だち関係で。
ヴィクターを呼ばれていた。朗らかに楽しく接していた。
母の家系は立派な家系。一人にラビ(ユダヤ教の神父/牧師のような人)がいた。フランクルはそれを誇りにしていた。
父は厳しい人で子どもにも、自分にも厳しかった。自分の中に父の厳格さと、母の優しさを持っていた。 夜中に電話受けても一生懸命受けていた。
4歳の時に、「人間はいつか死ぬ」それがロゴセラピーの伏線になっている。
小野 根源的な問い。
勝田 彼は早熟だった。フロイトの本を読んで手紙を出した。運命的だが、ウィーンに住んでいた。
フロイトの影響で精神科医になろうとした。
アドラーが近くに住んでいた。劣等感が基礎に。
アドラーに講演を頼まれるくらい信頼されるようになっていた。
ロゴセラピーを公の学会で発表した。生きる意味の独自の意味。
ロゴセラピーを新たに切り拓こうとしていた。
アドラーは劣等感が根底にあると考え、若い人の相談を行って体系的に考えを構築した。
大学生の時に、アドラーに頼まれて講演した。
フランクルはフロイトの考えは偏っている。
アドラーのところでも限界を感じた。
「人間とはこういものに過ぎない」
いや人間はもっと素晴らしい。
心と体の二次元ではなく、精神次元がある。
普段は自分の生き方を守ることをしているが、時により相手を守ることをする。
それは違う次元。
乗り物でせっかく確保した席、お年寄りが目の前に来た。迷った末に席を譲る。自分を超越した力が生まれている。
それは心と体の二次元には無い。
フランクルの孫、フランクルの住んでいた部屋を家族で守っている。
フランクルが医学生時代からやっている資料。「青少年の相談所」のポスター
若いユダヤ人の自殺が増えていた。
市から依頼され、無料で相談を行った。
その結果ウィーンで若者の自殺率が減った。
「なぜ生きるか」
「何のために生きるか」
この疑問に答える。
相談者に向き合う。そこに解決策がある。
24歳で精神病棟で働く。そこで医師としてどう対応するか。
患者とタンゴを踊った。
私は白衣、彼女は拘束衣 彼女は感謝した。
どんなときにも“自由”がある。
患者のこれまでを考えないとどう治療できるか。
ドイツ語のタイトルは「医者によるメンタルケア」
ケガを治せば良いだけではなく、なぜケガをしたかの背景。それまでの生き方まで含めてみないといけない。
小野 人間はどういう人かを知って、向き合わなければならないということ?
勝田 その通り。医者の本当の役割は患者さん全体を診て、自己治療力を高める。
戦争が無ければ、有名な精神科医になっていたと思われる。
フロイト、アドラー、三つ目の精神医療に。
三人ともユダヤ人。
32歳の時、ヒトラーがウィーンに侵攻し併合された。経済を期待する人々に支援された。
フランクルの伝記によれば、すぐにウィーンはユダヤ人に対する暴力が起き出した。
「私のところで買わないで。私はユダヤ人のメス豚です」との看板をぶら下げられた少女。
勝田 米国へのビザが降りたのはフランクルだけ。妹と弟は他国へ逃げた。
自分だけが米国行って、研究を完成させたい。でもそうすると父母が大変なことになる。
祈るしかなかった。
あるとき、テーブルの上に石があった。シナゴールが崩れた欠片を父が持ち帰った。
その文字はある言葉にしかない。
「汝の父母を敬え」の言葉に入っている単語だった。
意味は自分が考え出したというより、向こうからやって来る。
人生から問いかけてくる。
フランクルが残るかどうかは自分が考えたこと。
両親と一緒に収容所に行かされると自覚した。それでロゴセラピーを書きはじめた。
ユダヤ人以外の治療は禁止されていた。
ユダヤ人の治療を引きうけたのは自分と父母を守るためでもあった。
10人の自殺者が運び込まれる日もあった。
他の医師が諦めた人も引き受けた。
それに抗議する仲間もいた。その彼女が自殺未遂をした。その彼女が私のところに運ばれて来て、いのちをを救った。そして収容所へ送られた。
自殺未遂者は助けられても未来がなかった。
「何で助けたんだ」と抗議された。
「どんな人生にも意味がある。あなたが生まれたのは必ず意味がある」それだけをわかって欲しいと。
小野 あなた一人ひとりがたいせつだと
勝田 その通り。
小野 一人ひとりを認める。人の属性でみるのではない。
勝田 フランクルが考えているのは状況、状況において、今何に責任を持っているか。
小野 人は本能的に意味を持つと
勝田 その通り、意味への意志はどんな人間の中にもある。
あるとき、良いことをした。
小野 席を譲ると心が満たされる。良かったなと
勝田 他者の喜びで自分が満たされる。
その人にその時に価値あることをする。
人間として生きるにはどうしたらよいか。
同じようにどんな人にもかかわる。それが世界の平和なんだと。
小野 フランクルは「愛の人」でもある。
勝田 精神とは「愛する能力」と考えてよい。
フランクルが言っているのは、受け入れる。そのままで良いんだと。
小野 まずは他者を肯定する。
勝田 その通り。
ロゴセラピーはまだ”雛“みたいなもので、まだ飛び立っていない。完成していない。
収容所で何に意味を考えるかを考え続けた。
フランクル自身が身を以て試されることになった。
わたしとはいったいなんなんだ。
鉄条網の中の掘立小屋で、毎日人が一定の人数殺されていく。
生きていることに、もうなんにも期待が持てない。
そんなとき、どうすれば良いのか・・・
感想;
『夜と霧』は日本でもよく読まれています。
ナチスの強制収容所の体験記です。
でも、その前と出てから後のフランクルのことは知らない人が多いと思います。
この番組は、フランクルの生涯を通して、「生きる意味」「どんなときにも人生にYESという」を考えるようです。
考えることを避けて生きるより、考えることで、自分の人生をより良く出来るように思います。