おほぞらを てりゆくつきし きよければ くもかくせども ひかりけなくに
大空を 照りゆく月し きよければ 雲隠せども 光消なくに
尼敬信
大空を照らしながら渡る月は清らかであるので、雲が隠してもその光は消えないのだ。
詞書には「田村の帝の御時に、斎院にはべりける彗子(あきらけいこ)の皇女を、母あやまりありといひて、斎院を替へられむとしけるを、そのことやみにければよめる」とあります。「田村の帝」は第55代文徳天皇のこと。「斎院」は京都の賀茂神社に奉仕した未婚の皇女で、天皇の即位ごとに選ばれました。斎院に選ばれていた彗子が、その母の過ち(詳細は不明です)によって外されようとしてたが、それがとりやめになった際に詠んだ歌、ということですね。「月」は彗子を指しているのでしょう。
作者の尼敬信(あま きやうしん)は、0080 など四首が入集している藤原因香(ふじわら の よるか)の母で、自身の入集はこの一首のみです。