あきはぎを しがらみふせて なくしかの めにはみえずて おとのさやけさ
秋萩を しがらみふせて 鳴く鹿の 目には見えずて 音のさやけさ
よみ人知らず
秋萩を足にからませて踏みつけながら鳴く鹿の、姿は見えないけれどその声の清く澄んでいることよ。
姿は見えないけれど、から続くフレーズなので、「さやけさ」は「はっきり聞こえる」という意味にとるべきかもしれません。にもかかわらず私が上記の解釈に魅かれるのは、この歌と同じく「さやけさ」で終わる一首、
あきかぜに たなびくくもの たえまより もれいづるつきの かげのさやけさ
秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ
左京大夫顕輔
の印象が強いためもあるのだろうと思います。百人一首(第79番)のこの一首は、新古今和歌集採録の歌です。