あきはぎに うらびれをれば あしひきの やましたとよみ しかのなくらむ
秋萩に うらびれをれば あしひきの 山下とよみ 鹿の鳴くらむ
よみ人知らず
秋萩を見てわびしく思うから、山の麓にとどろくように鹿が鳴いているのだろう。
「らむ」は現在推量(今頃は~していることだろう)ないし原因推量(~だから~しているのだろう)ですが、ここでは後者の意味でしょう。「秋萩にうらびれ」ているのは鹿ではなく作者であるとの解釈もあるようで、そう捉えるなら、「らむ」を現在推量と考え、「秋萩を見てわびしい気持ちになっている私と同じように、今頃は同じ秋萩を見た鹿もわびしい思いに、山の麓にとどろくほどの声で鳴いていることだろう」くらいの解釈になるでしょうか。ただ、鹿だけでなく作者もまた秋萩にうらびれているのは間違いのないところとしても、個人的には後者の解釈はちょっとすっきりしない気がします。
ここからしばらく、萩を詠んだ歌が続きます。