かずかずに おもひおもはず とひがたみ みをしるあめは ふりぞまされる
かずかずに 思ひ思はず 問ひがたみ 身を知る雨は 降りぞまされる
在原業平
私のことを思ってくれているのかどうか、あれこれと思い悩んでいますが、それを尋ねることはできないので、どれだけ思われているか自分の身の程を知ることができる雨が降り続いていることです。
業平歌ということで、例によって長い詞書が付されており、そこには「藤原敏行が、業平の家にいる女性と恋仲になっていて、その女性に『そちらに行きたいのだけれど、雨が降っているのでどうしたものかと思っている』との手紙をよこしたと聞き、その女性に成り代わって詠んだ歌」との趣旨の記載があります。「逢いに行きたいのだけれど雨だからなぁ」と、言わばもったいをつけているわけですね。それに対する返歌で、なかなか解釈が難しいですが、「身を知る雨」とは、雨が降っていても愛しい人がやって来てくれるかどうかで、自分がどれほど思われているかが分かる雨、という意味です。本当は会いに来たいくせにもったいをつけている男に対する、なかなかに機智に富んだ返しですね。