今日は寒い日曜日でした・・・。
花粉症の方は少しずつ良くなってきている感があるけれど、鼻詰まりの影響なのか、耳の聞こえが少々おかしくなっているのが気がかり。
経験があるという方もいらっしゃるかもしれませんが、鼻詰まりの時って、例えば普段聞きなれている音が、いつもと違って聞こえることがあるんですよ。
具体的に言うと、音階がいつもより1つ2つ低いように聞こえたり、テレビの音量が、いつもと同じレベルなのに、いつもより高く聞こえたりすることがあって、昔から風邪を引いた時などによくこういう症状が出ていたんだけど、今回は風邪じゃなく花粉症なだけに、いつもより長引くかもしれません。
さ、気を取り直して冒険記の続き。
実際に行った順番とは前後しますが、今日は高松編その1です。

写真は、JR高松駅の裏手にある「高松シンボルタワー」。
地上150m、階にして30階の高層建物で、30階には、市内を見渡すことのできる展望タワーがあります。早速行ってみましょう。

県庁所在地ということで、市街地には大きなビルも多い高松だけど、こうして高いところから見渡すと、なんだか特撮のセットのように見えてしまうのは・・・気のせいか?(笑)

こちらは海側の写真。
港の形がはっきりとわかって、何だか地図か航空写真を見ているようです。

続いては、シンボルタワーから徒歩2~3分程度の所にある、「玉藻公園」という公園へ。
写真は、この公園に立つ、高松城です。

この城は、天正15年(1587年)に豊臣秀吉から讃岐に封ぜられた生駒親正が造ったとされている。
写真のように、ここにも、どこのお城にもあるようなお堀が設置されているのだが、築造当時、このお堀には瀬戸内の海水を外堀、中堀、内堀に分けて引き込んでいたことから、この城は日本の三大水城の一つと呼ばれているとのこと。
(因みに、後の2つは、愛媛県の今治城と、大分県の中津城。どちらも、まだ行ったことのない県です)

築城後、生駒氏の治世は4代54年間続いたとされるが、寛永17年(1640年)に発生した「生駒騒動」と呼ばれた御家騒動の後、寛永19年(1642年)には、かの水戸光圀の兄にあたる松平頼重が、東讃12万石を領してこの高松城に入り、明治2年の版籍奉還までその子孫が代々在城し続けたとされている。
城の概要は大体以上。
歴史的にも余り知られていない場所のように思いますが、こうして調べてみると、色々と発見があって面白いです。

城の外れにある池を覗いてみると、ご覧のとおり、こんなにも沢山の鯉が。
入口付近では餌も売っていて、結構多くの人が、池に投げ込んでいました。

公園の一角には、こんな具合に手入れの行き届いた花が。
こういうのを見ていると、心が和みます。
ということで、高松編その1はここまで。
その2は、ちょっと郊外にある綺麗な公園を紹介します。
花粉症の方は少しずつ良くなってきている感があるけれど、鼻詰まりの影響なのか、耳の聞こえが少々おかしくなっているのが気がかり。
経験があるという方もいらっしゃるかもしれませんが、鼻詰まりの時って、例えば普段聞きなれている音が、いつもと違って聞こえることがあるんですよ。
具体的に言うと、音階がいつもより1つ2つ低いように聞こえたり、テレビの音量が、いつもと同じレベルなのに、いつもより高く聞こえたりすることがあって、昔から風邪を引いた時などによくこういう症状が出ていたんだけど、今回は風邪じゃなく花粉症なだけに、いつもより長引くかもしれません。
さ、気を取り直して冒険記の続き。
実際に行った順番とは前後しますが、今日は高松編その1です。

写真は、JR高松駅の裏手にある「高松シンボルタワー」。
地上150m、階にして30階の高層建物で、30階には、市内を見渡すことのできる展望タワーがあります。早速行ってみましょう。

県庁所在地ということで、市街地には大きなビルも多い高松だけど、こうして高いところから見渡すと、なんだか特撮のセットのように見えてしまうのは・・・気のせいか?(笑)

こちらは海側の写真。
港の形がはっきりとわかって、何だか地図か航空写真を見ているようです。

続いては、シンボルタワーから徒歩2~3分程度の所にある、「玉藻公園」という公園へ。
写真は、この公園に立つ、高松城です。

この城は、天正15年(1587年)に豊臣秀吉から讃岐に封ぜられた生駒親正が造ったとされている。
写真のように、ここにも、どこのお城にもあるようなお堀が設置されているのだが、築造当時、このお堀には瀬戸内の海水を外堀、中堀、内堀に分けて引き込んでいたことから、この城は日本の三大水城の一つと呼ばれているとのこと。
(因みに、後の2つは、愛媛県の今治城と、大分県の中津城。どちらも、まだ行ったことのない県です)

築城後、生駒氏の治世は4代54年間続いたとされるが、寛永17年(1640年)に発生した「生駒騒動」と呼ばれた御家騒動の後、寛永19年(1642年)には、かの水戸光圀の兄にあたる松平頼重が、東讃12万石を領してこの高松城に入り、明治2年の版籍奉還までその子孫が代々在城し続けたとされている。
城の概要は大体以上。
歴史的にも余り知られていない場所のように思いますが、こうして調べてみると、色々と発見があって面白いです。

城の外れにある池を覗いてみると、ご覧のとおり、こんなにも沢山の鯉が。
入口付近では餌も売っていて、結構多くの人が、池に投げ込んでいました。

公園の一角には、こんな具合に手入れの行き届いた花が。
こういうのを見ていると、心が和みます。
ということで、高松編その1はここまで。
その2は、ちょっと郊外にある綺麗な公園を紹介します。