四国冒険記が終了したので、次の道外冒険までの間、函館市内冒険記を再開したいと思います。
今日の舞台は、函館ベイエリアです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/b9/eed8f7428d71267d6a8981806f0093e6.jpg)
「ベイエリア」と聞くと、やはり東京や横浜を想像する人が多いと思う(戦隊ファンにとっては、某兄弟戦隊の本拠地か?)けど、決してそれだけではない。
函館は港町だけあって、海に近いエリアにも、有名な観光スポットが軒を連ねています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/c5/6e3f9591c8540c78bca5d033184f6df2.jpg)
まず目に入ったのは、「金森赤レンガ倉庫」と書かれたゲート。
「赤レンガ倉庫」というと、やはり横浜が有名(ロケ地巡りに行かなきゃと思いつつ行けていない・・・)だけど、実は函館にも、負けず劣らず(と思いたい)素晴らしい赤レンガ群があるのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/98/c3f399b961ea5c6b5cfd16d542726259.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/ff/813b664c48ec3edd1b955aefbcdccd62.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/b3/5a0ab37f0ec933d5222880afcabe953b.jpg)
いかがでしょう?
3枚一気に紹介しましたが、雰囲気は掴んでいただけたかと思います。
この金森赤レンガ倉庫の歴史は古く、明治2年(1869年)、長崎から箱館(現在の函館)に渡って来た財界人、渡邉熊四郎が、この地に「金森洋物店」を開業したところから始まります。
やがて渡邉は、明治20年(1887年)より営業倉庫業に乗り出し、明治23年(1890年)頃には海運隆盛の動きに比例して預り貨物量が増大し、倉庫が不足するほど、隆盛を極めるようになっていきました。
明治40年(1907年)8月、市内より出火した火災により、金森倉庫は6棟を類焼する被害に見舞われ、大損害を蒙りますが、直ちに不燃質倉庫の再建が行われ、明治42年(1909年)5月には建物が完成、翌明治43年(1910年)には利益をあげるまでに回復していきました。
昭和後期に入ると輸送形態の変化や北洋漁業縮小などの諸事情によって倉庫業はかつての勢いを失っていきましたが、その一方で建造物としての金森倉庫が注目されはじめ、その姿が映画やテレビ、CMなどを通して、市民のみならず観光客の目にも止まるようになり、やがて昭和63年(1988年)に、商業用倉庫として生まれ変わり、現在に至っています。
1988年という年を聞いて、ピンと来た方もおられるかと思いますが、そう、今年は、倉庫街が現在のような姿となってから20年という記念の年なのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/1d/8bb63d823e962e8a3cec2bc282f9badb.jpg)
これは、「金森洋物館」という建物。
「洋物」というだけあって、中では、外国のブランドやお菓子などが多数展示販売されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/cf/e9e764bbc0f2b5fd5ea488c1e3efab20.jpg)
この「函館ヒストリープラザ」は、函館の古い歴史に関する展示物や、レトロ感覚溢れる販売店などが並んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/b0/ae4551d1a11a2b45e63714ff042e95a4.jpg)
「はこだて明治館」。やはり歴史感覚溢れる建物ですが、函館名産の海産物やお菓子なども販売されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/b9/0038df8aec355db124fc7d9398c3c174.jpg)
倉庫街の一角でこんなものを見つけました。
何ゆえ樽なのかはわかりませんが、水がひっきりなしに流れていて、見ていて心が落ち着きます。
いかがでしたでしょうか?
今回は「金森赤レンガ倉庫」を中心に紹介しましたが、函館ベイエリアには、他にも数多くの観光名所があるので、また機会を見つけて紹介していきたいと思います。
ということで、今回はこの辺で。
今日の舞台は、函館ベイエリアです。
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「ベイエリア」と聞くと、やはり東京や横浜を想像する人が多いと思う(戦隊ファンにとっては、某兄弟戦隊の本拠地か?)けど、決してそれだけではない。
函館は港町だけあって、海に近いエリアにも、有名な観光スポットが軒を連ねています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/c5/6e3f9591c8540c78bca5d033184f6df2.jpg)
まず目に入ったのは、「金森赤レンガ倉庫」と書かれたゲート。
「赤レンガ倉庫」というと、やはり横浜が有名(ロケ地巡りに行かなきゃと思いつつ行けていない・・・)だけど、実は函館にも、負けず劣らず(と思いたい)素晴らしい赤レンガ群があるのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/98/c3f399b961ea5c6b5cfd16d542726259.jpg)
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いかがでしょう?
3枚一気に紹介しましたが、雰囲気は掴んでいただけたかと思います。
この金森赤レンガ倉庫の歴史は古く、明治2年(1869年)、長崎から箱館(現在の函館)に渡って来た財界人、渡邉熊四郎が、この地に「金森洋物店」を開業したところから始まります。
やがて渡邉は、明治20年(1887年)より営業倉庫業に乗り出し、明治23年(1890年)頃には海運隆盛の動きに比例して預り貨物量が増大し、倉庫が不足するほど、隆盛を極めるようになっていきました。
明治40年(1907年)8月、市内より出火した火災により、金森倉庫は6棟を類焼する被害に見舞われ、大損害を蒙りますが、直ちに不燃質倉庫の再建が行われ、明治42年(1909年)5月には建物が完成、翌明治43年(1910年)には利益をあげるまでに回復していきました。
昭和後期に入ると輸送形態の変化や北洋漁業縮小などの諸事情によって倉庫業はかつての勢いを失っていきましたが、その一方で建造物としての金森倉庫が注目されはじめ、その姿が映画やテレビ、CMなどを通して、市民のみならず観光客の目にも止まるようになり、やがて昭和63年(1988年)に、商業用倉庫として生まれ変わり、現在に至っています。
1988年という年を聞いて、ピンと来た方もおられるかと思いますが、そう、今年は、倉庫街が現在のような姿となってから20年という記念の年なのです。
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これは、「金森洋物館」という建物。
「洋物」というだけあって、中では、外国のブランドやお菓子などが多数展示販売されています。
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この「函館ヒストリープラザ」は、函館の古い歴史に関する展示物や、レトロ感覚溢れる販売店などが並んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/b0/ae4551d1a11a2b45e63714ff042e95a4.jpg)
「はこだて明治館」。やはり歴史感覚溢れる建物ですが、函館名産の海産物やお菓子なども販売されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/b9/0038df8aec355db124fc7d9398c3c174.jpg)
倉庫街の一角でこんなものを見つけました。
何ゆえ樽なのかはわかりませんが、水がひっきりなしに流れていて、見ていて心が落ち着きます。
いかがでしたでしょうか?
今回は「金森赤レンガ倉庫」を中心に紹介しましたが、函館ベイエリアには、他にも数多くの観光名所があるので、また機会を見つけて紹介していきたいと思います。
ということで、今回はこの辺で。