間が空いちゃいましたが、大きな坂は残り4つなので、一気に(でもないかな?)行っちゃいます。

次の坂は「幸坂」。
明治8年、坂下にある湾を埋め立てた場所が「幸町」という名前だったことから、この名前が付いたとされています。

さあ、何が待っているのかな・・・?

沿道にこんな建物を発見。
古い蔵を利用した骨董品店だそうです。

続いて、今度は向かって右側にこんな碑を発見。
かつて、「幸小学校」という学校がこの地にあったことを、このような形で残しています。
閉校は昭和45年ということで、もう半世紀近く前の出来事だそうです。

その跡地は、現在はご覧のとおりです。

幸坂は、延長が620m。
この辺りから、徐々に傾斜がきつくなってきます。

正面から見てもあまりよく伝わらないかもしれませんが、横から見ると、いかに急な坂であるかがよくわかると思います。

写真の建物は「旧ロシア領事館」。
平成8年まで「函館市立道南青年の家」として使われてきましたが、今は閉館となり、建物だけがこうして残されています。

さらに上がっていくと、左側にこのような広場が。

一面タンポポが咲いていて、とても綺麗です。

おや、写真の奥の方に、ここにも何やら碑が見えますね。

昭和45年に、先ほどの幸小学校と統合し、閉口となった「常盤小学校」という小学校の跡地でした。

広場から見える海。
大きな船が位置しているのは、「函館どっく」の敷地内。
敷地内は立入禁止だけど、この位置からこういう光景が見られるのは、大変貴重だと思います。

大体登りきったところで一枚。
ですが、ここでゴールではなく、これよりもさらに上に、この坂の最終目的地があります。
それは、次の記事で。

次の坂は「幸坂」。
明治8年、坂下にある湾を埋め立てた場所が「幸町」という名前だったことから、この名前が付いたとされています。

さあ、何が待っているのかな・・・?

沿道にこんな建物を発見。
古い蔵を利用した骨董品店だそうです。

続いて、今度は向かって右側にこんな碑を発見。
かつて、「幸小学校」という学校がこの地にあったことを、このような形で残しています。
閉校は昭和45年ということで、もう半世紀近く前の出来事だそうです。

その跡地は、現在はご覧のとおりです。

幸坂は、延長が620m。
この辺りから、徐々に傾斜がきつくなってきます。

正面から見てもあまりよく伝わらないかもしれませんが、横から見ると、いかに急な坂であるかがよくわかると思います。

写真の建物は「旧ロシア領事館」。
平成8年まで「函館市立道南青年の家」として使われてきましたが、今は閉館となり、建物だけがこうして残されています。

さらに上がっていくと、左側にこのような広場が。

一面タンポポが咲いていて、とても綺麗です。

おや、写真の奥の方に、ここにも何やら碑が見えますね。

昭和45年に、先ほどの幸小学校と統合し、閉口となった「常盤小学校」という小学校の跡地でした。

広場から見える海。
大きな船が位置しているのは、「函館どっく」の敷地内。
敷地内は立入禁止だけど、この位置からこういう光景が見られるのは、大変貴重だと思います。

大体登りきったところで一枚。
ですが、ここでゴールではなく、これよりもさらに上に、この坂の最終目的地があります。
それは、次の記事で。