春先から続けてきた西部地区の坂巡り、ようやく最後まで辿り着きました。
最後は「魚見坂」という坂です。
場所は、市電の起終点である「函館どっく前」のすぐ側です。
すぐ近くに公園が一つ。
「入舟児童公園」という公園ですが、どういう公園かと言うと・・・、
箱館戦争で壮烈な戦死を遂げた新撰組の副長、土方歳三の最後の地は、観光スポットになっていてガイドブックにも載っているけれど、こういう場所があることは・・・どうなんだろう、知られてるのかな・・・。
先の石碑にも書かれている「弁天台場」とは、この先にある「函館どっく」の敷地を含むこの付近一帯にあったとされており、五稜郭を手掛けた武田斐三郎の設計により、不等辺六角形の軍事要塞として、江戸幕府が、1856年から約8年をかけて築造したとされています。
箱館戦争時は旧幕府軍が陣取っていましたが、碑文にもあるとおり、新政府軍の攻撃で1869年(明治2年)年5月15日(土方の戦死から四日後)に降伏したとのことです。
さて、坂に戻ります。
左側に車が沢山停まっています。
これは、この先に幾つかある墓地へのお参りのためのお花屋さんが沿道にあるためで、ちょうどここを歩いた時が、函館のお盆(普通お盆は8月だけど、函館は7月なのです)時期だったこともあり、車が長蛇の列をなしていたようです。
左には学校が。
と言っても、現在児童は通っていません。
函館市立西小学校と言って、近くにある弥生小学校と統合されて、現在は校舎だけが残されています。
再び坂の光景。
実はこの写真、終点から下に向けて取っています。
と言うのも、実は、坂自体はこれからまだ上へ続いていくのですが、「魚海坂」という名の坂は、途中のこの地点で最後なのです。
ということで、西部地区の坂道紹介の最後なのに、記事のタイトルが「坂の町シリーズ 最終章」若しくは「最終回」となっていないことを不思議に思われた方のために、この続きは、また次回ということで。