
昨日の続き。
「魚見坂」の延長にある坂は、函館市の斎場がある地点で終点を迎えます。

終点で折り返して降りていくと、ここで道が二股に分かれています。
昨日の記事で紹介したルートは、この写真で言うと向かって右側。
なので今度は、左側へと向かって行きます。

途中にこのような建物が。

なるほど検疫所でしたか。
函館(箱舘)は幕末から明治期にかけて、国の主要港だっただけに、このようなことにもしっかりと気を配っていたということですね。
因みにこの建物、今は何に使われていると思いますか?
資料館?ウーン、真っ先に想像しそうなのはその辺かと思いますが、実は、こういうことなんです。
以前から、一度行ってみたいと思ってはいるのだけど、タイミングを逸し続けて今に至っています。
この先には、以前にもご紹介した「外国人墓地」があります。
以前色々とレポートしているので、改めては書きません。こちらをご覧ください。

ここでまた一つ墓碑を紹介。
これは何かと言いますと・・・、

南部藩と蝦夷地の関わりが深いことはこの記事でも触れていますが、こういう場所からも、その一端が窺えますね。

「地蔵寺」という曹洞宗のお寺。
文化年間(1804~1807)あたりから現在地にあったと伝えられる、由緒ある寺院です。

入口にある石塔。
これもまた由緒ありそうな気がします。

「姿見坂」や「常盤坂」の所で、かつてこの辺りが遊郭街であったことに触れましたが、その裏には、こんな悲しいエピソードがあったんですね・・・。

続いてこちらは・・・。

なるほど、そういう人物がいたんですね。
現在では不適切とされている単語が入っているので、これ以上はコメントしませんが。

そして再びここへ戻ってきました。
このコースを歩いたのは初めてだったので、新鮮な発見があって楽しかったです。