先日42歳になってしまったが、友人から頂いたお祝いのメッセージに、こんなことが書かれていた。
「21歳の二倍」
「21歳の時に感じた21年より、この21年の方が短かったのではないですか?」
全くもってそのとおり。
先日、勤続二十周年を迎えた人の表彰というのがあったのだけど、今年表彰を受けた人は私より一年早く入った人なので、順調にいけば、来年は私が表彰を受ける番。
職場に配属になり、緊張感いっぱいで席に着いたのが、大袈裟でも何でもなく、つい昨日のことのように思えてなりませんから。
では、そんな短かった二十一年を振り返る・・・と、余りにも長くなりそうなので、一回目の21歳(笑)だった1994年をちょこっと振り返ってみた。
この年は、大学二年から三年になった年。
一年から二年、三年から四年になる時は全員が自動的に進級できるのだけど、二年から三年は留年があるので、よもやそんなことはないだろうと思いつつも、発表の日はかなりドキドキしていたのを覚えている。
無事に三年生になり、初めてゼミというものに所属したが、この年を振り返る上での大きなトピックスの一つが、ゼミのリーダー、ゼミ長に指名されたこと。
指名された理由は、※ゼミ生全体の名簿上私が一番最初に来ていたという、ただそれだけのことなのだけど、正直、こういうのはあまり好きではないので、当初は乗り気じゃなかったのだが、6月(確か)にあった、ゼミ対抗ソフトボール大会の頃から少しずつ面白くなってきて、ゼミ仲間達も結構協力的だったこともあって、いつの間にか、楽しんでやれるようになっていた。
今でも、これはいい経験になっていると思います。
※ 三年生がJ組からN組までの五クラスがあり、私はそのうちのJ組、つまり一番最初のクラスで、加えて、J組からは、私ともう一人女性が参加していたのだけど、私の方が学生番号が若かった(五十音順で先)ということ。因みに、副ゼミ長が二名いたのだが、一人は同級生の女性で、もう一人は、名簿順で三番目の人・・・ではなく、彼女と同姓という理由で指名された男だった。この二人に支えられたおかげで、何とかやれたと思っています。
プライベートなトピックスで言えば、この年は、何と言っても、当時大ファンだったCoCoの解散、これに尽きると思う。
当時、ニッポン放送で平日深夜に放送されていたラジオを毎日聴いていたのだが、何月何日だったか忘れたけど、春先に、「重大発表」みたいな触れ込みがされたことがあり、半ば覚悟を決めていたところ、案の定というやつだった。
解散は9月末だったのだけど、7月に最後のシングルがリリースされた時は、一刻でも早く手に入れようと、大学が五限まである日だったにも関わらず、途中抜け出して、スタンプカードを持っていた、札幌の某大手CD店へ自転車を走らせたのを覚えている。
あれから二十一年、一時期、忘れたも同然になっていたこともあったのだけど、この記事がきっかけで色々と思い出し、その一ヶ月後にこういう記事を書いたおかげで色々と思い出し、今でも、ウォークマンやカーステで時々聴いたり、元メンバー達のブログを時々読んだりして、当時の気持ちをそのまま保ち続けている。
これ以降も、色々なアイドルや女優さんのファンになってきたけれど、やっぱりFCに入っていたこともあって、思い入れという点では、未だに一番であり続けている、そんな気がしています。
後はそうだなあ・・・、94年って何があったかな・・・?
まだ学生だったこともあって、国内旅行はしていなかったけど、日帰りで、道内の普通列車の旅に何回か出たように記憶している。
JR北海道にこんな切符があって、これを利用して日帰りの旅に出たのだけど、そのうちの一回は、二年後に新社会人として最初の配属地となる滝川で、まさかそうなるとはつゆほども思わず、職場や寮の近くにまで、知らず知らずのうちに行っていたことに、二年後になって気付かされたなんてことも。
そんなところかな今思い出せるのは。
一回目の21歳は、今から思えば充実していたので、二回目(?)の今年も、良い形で終われるよう、残り半年しっかりやっていこうと思います。
「21歳の二倍」
「21歳の時に感じた21年より、この21年の方が短かったのではないですか?」
全くもってそのとおり。
先日、勤続二十周年を迎えた人の表彰というのがあったのだけど、今年表彰を受けた人は私より一年早く入った人なので、順調にいけば、来年は私が表彰を受ける番。
職場に配属になり、緊張感いっぱいで席に着いたのが、大袈裟でも何でもなく、つい昨日のことのように思えてなりませんから。
では、そんな短かった二十一年を振り返る・・・と、余りにも長くなりそうなので、一回目の21歳(笑)だった1994年をちょこっと振り返ってみた。
この年は、大学二年から三年になった年。
一年から二年、三年から四年になる時は全員が自動的に進級できるのだけど、二年から三年は留年があるので、よもやそんなことはないだろうと思いつつも、発表の日はかなりドキドキしていたのを覚えている。
無事に三年生になり、初めてゼミというものに所属したが、この年を振り返る上での大きなトピックスの一つが、ゼミのリーダー、ゼミ長に指名されたこと。
指名された理由は、※ゼミ生全体の名簿上私が一番最初に来ていたという、ただそれだけのことなのだけど、正直、こういうのはあまり好きではないので、当初は乗り気じゃなかったのだが、6月(確か)にあった、ゼミ対抗ソフトボール大会の頃から少しずつ面白くなってきて、ゼミ仲間達も結構協力的だったこともあって、いつの間にか、楽しんでやれるようになっていた。
今でも、これはいい経験になっていると思います。
※ 三年生がJ組からN組までの五クラスがあり、私はそのうちのJ組、つまり一番最初のクラスで、加えて、J組からは、私ともう一人女性が参加していたのだけど、私の方が学生番号が若かった(五十音順で先)ということ。因みに、副ゼミ長が二名いたのだが、一人は同級生の女性で、もう一人は、名簿順で三番目の人・・・ではなく、彼女と同姓という理由で指名された男だった。この二人に支えられたおかげで、何とかやれたと思っています。
プライベートなトピックスで言えば、この年は、何と言っても、当時大ファンだったCoCoの解散、これに尽きると思う。
当時、ニッポン放送で平日深夜に放送されていたラジオを毎日聴いていたのだが、何月何日だったか忘れたけど、春先に、「重大発表」みたいな触れ込みがされたことがあり、半ば覚悟を決めていたところ、案の定というやつだった。
解散は9月末だったのだけど、7月に最後のシングルがリリースされた時は、一刻でも早く手に入れようと、大学が五限まである日だったにも関わらず、途中抜け出して、スタンプカードを持っていた、札幌の某大手CD店へ自転車を走らせたのを覚えている。
あれから二十一年、一時期、忘れたも同然になっていたこともあったのだけど、この記事がきっかけで色々と思い出し、その一ヶ月後にこういう記事を書いたおかげで色々と思い出し、今でも、ウォークマンやカーステで時々聴いたり、元メンバー達のブログを時々読んだりして、当時の気持ちをそのまま保ち続けている。
これ以降も、色々なアイドルや女優さんのファンになってきたけれど、やっぱりFCに入っていたこともあって、思い入れという点では、未だに一番であり続けている、そんな気がしています。
後はそうだなあ・・・、94年って何があったかな・・・?
まだ学生だったこともあって、国内旅行はしていなかったけど、日帰りで、道内の普通列車の旅に何回か出たように記憶している。
JR北海道にこんな切符があって、これを利用して日帰りの旅に出たのだけど、そのうちの一回は、二年後に新社会人として最初の配属地となる滝川で、まさかそうなるとはつゆほども思わず、職場や寮の近くにまで、知らず知らずのうちに行っていたことに、二年後になって気付かされたなんてことも。
そんなところかな今思い出せるのは。
一回目の21歳は、今から思えば充実していたので、二回目(?)の今年も、良い形で終われるよう、残り半年しっかりやっていこうと思います。