北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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坂の町シリーズ その15

2015-07-13 22:00:55 | 函館
とりあえず、大きな坂はあと三つなので、引き続きやってしまいたいと思います。





「千歳坂」。
かつては、神明社(現在の山上大神宮)へ通じる短い坂であり、神社の神楽殿に因んで「神楽坂」と名付けられたり、神宮の境内に生える松から「松蔭坂」とも呼ばれましたが、最終的には不老長寿の云われがある「千歳の松」に因み、明治10年代以降、「千歳坂」という名になったとされています。








以前一度紹介したことがありますが、「鯨族供養塔」。
幕末期、蝦夷地における捕鯨への関心は高く、アメリカの捕鯨船が活発に活動し、箱館にも盛んに入港していたことから、西洋式の捕鯨技術なども伝えられようになりましたが、結局、箱館周辺での西洋式捕鯨が実現することはなく、1957年(昭和32年)8月、遠洋捕鯨会社の捕鯨船船長兼砲手であった天野太輔という人物が、生業であったとはいえ殺生の罪深さを痛感して、この塔を建てたとされています。





この坂の沿道は、住宅や小規模店舗が多いですが、ここにあるのは、函館市立西中学校。
校内からは、ブラスバンドの勇壮な演奏が聞こえてきました。








一気に行っちゃいましょう。続いては、「船見坂」。








沿道にある「大正湯」という銭湯。
大正3年(1914年)創業で、函館市景観形成指定建築物にも指定されている、レトロな和洋折衷式の建物。
その雰囲気から、映画やドラマのロケで使用されることもあるそうです。





気が付けば行き止まり。
そう、ここは、千歳坂に面する西中学校の敷地で、元々は、この向こうの通りにある、「称名寺」に突き当たっていたため、「称名寺の坂」と呼ばれていたり、さらにそれ以前は、坂下にあった店蔵から「麹(こうじ)屋の坂」、また、急こう配だったために「地獄坂」などと呼ばれたこともありました。
「称名寺」については、色々と見どころのあるお寺なので、後日レポートします。





と言うことで、終点から下に向けて一枚。
港内を行き交う船が見渡せるというのが現在の名前の由来ですが、残念ながら、建物や樹木の間から瞬間的にしか見えませんでした。
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