『名も無く豊かに元気で面白く』

読んだ本、ニュース、新聞、雑誌の論点整理、備忘録として始めました。浅学非才の身ながら、お役に立てれば幸いです。

❝2010年尖閣中国漁船衝突事件解説で脚光❞初代内閣安全保障室長佐々淳行氏死去

2018-10-11 08:45:32 | 日記

 連合赤軍あさま山荘事件の人質救出などを指揮し、初代内閣安全保障室長も務めた作家佐々淳行(さっさ・あつゆき)氏が10日老衰のため東京都内の病院で死去した。佐々氏は❝尖閣諸島中国漁船衝突事件(せんかくしょとうちゅうごくぎょせんしょうとつじけん)は、2010年9月7日尖閣諸島付近で操業中であった中国漁船と、これを違法操業として取り締まりを実施した日本海上保安庁との間で発生した一連の事件。尖閣漁船事件中国漁船衝突事件とも呼ばれる。 ❞の解説で一躍脚光を浴び、当時の菅内閣の対応を痛烈に批判し、民主党政権崩壊の一端を担った。政治というより日本の危機管理の問題点を炙り出し、危機管理のパイオニアとして国を憂う人でした。ご冥福をお祈りいたします。

以下抜粋コピー

産経新聞の正論メンバーで初代内閣安全保障室長を務めるなど危機管理、安全保障のパイオニアとして知られる佐々淳行(さっさ・あつゆき)氏が10日、老衰のため死去した。87歳だった。

 昭和5年、東京都出身。東京大学法学部卒業後、29年に国家地方警察本部(現・警察庁)に入庁。警備や公安畑を歩み、44年の東大安田講堂事件、47年のあさま山荘事件など戦後史に残る重大事件で対処に関わった。

 香港領事、三重県警本部長などを経て旧・防衛庁へ出向。防衛施設庁長官などを歴任した。61年には内閣総理大臣官房・内閣安全保障室長に就任。平成元年の昭和天皇大喪の礼の警備を最後に退官した。

 現役の防衛庁幹部当時に出版しベストセラーとなった「危機管理のノウハウ」(PHP)などの著作を通じ、日本社会に「危機管理」という概念を定着させ、公職退任後も新聞やテレビなど多方面で活躍。テロや災害から国民の生命・財産を守り損害を減らす備えの重要性を訴え続けた。

 国益を重視する現実的な政策提言は歴代政権にも影響を与え、平成13年の米中枢同時テロでは米国の対テロ活動を後方支援するため、自衛隊のイラク派遣を進言。小泉純一郎政権によって実現された。

 正論メンバーとしても長く正鵠(せいこく)を射る持論を展開、19年には第22回「正論大賞」を受賞した。

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