「興福寺南円堂銅灯台の銘」(大師、拾遺雑集「銅灯台の銘並びに序」)
「弘仁七年載歳丙申ひのえさるに次るとし、伊予の権守正四位下藤原朝臣公人等,先考の遺教に追遵して(亡父の遺言の教えを守り)、敬って銅灯台一所を造らむと志ふ。心、乖ひ麗れず、器、つえを期す。慧景伝えて極まらず、慈光燭して外なし。『遺教経』にいわく、燈に明あり、明は命なり。燈は命を延ぶと。『譬喩経』にいわく、仏の為に燈を燃さば,後世に . . . 本文を読む
22番平等寺から23番薬王寺までは約20キロです。海沿いと山沿いの2つの遍路道がありますがいつも海沿いの道をいきます。この道はドドーンという地響きのような海鳴りが絶え間なく聞こえます。遍路道の途中には風化した古い道標が青い海を背に立っています。
19年春は23番薬王寺までの途中でシャツからはみだすくらいの全身刺青の20才の若者と一緒になりました。此の青年は21番薬王寺でタクシーから降りてきた . . . 本文を読む