(先に「仏様を拝むということは「懺悔」「随喜」、「勧請」、「菩提心」、「廻向」の五つからなります」といったが、まずこの「懺悔」とはどういうものかをのべると)
凡そ懺悔に自己的懺悔と大我的懺悔とがあります。自己的懺悔とは世間的な仕事の遂行上に起こる懺悔(道交法違反で捕まった時の懺悔のようなもの)です。
次の大我的懺悔がほんとうの懺悔です。私は世の中を恨んで恨みぬいて死んでやろうと思って10日食べずに . . . 本文を読む
原文「この三摩地門は、仏、鷲峯山に在して、鶖子等の為に之を説きたまえり。(このさんまじもんな、ほとけ、じゅぶせんにいまして、じゅしとうのためにこれをときたまえり。
この経に、数の翻訳あり。
第一に、羅什三蔵の訳、(このきょうに、あまたのほんやくあり。だいいちにらじゅうさんぞうのやく、)今の所説の本、是なり。(いまのしょせつのほん、これなり。)
つぎに、唐の遍覚三蔵の翻( . . . 本文を読む