福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

本来神社の参拝方式は自由であること

2020-03-31 | 法話
二礼二拍手は昭和23年に宮司用に定められておりそれまでは庶民は自由に拝んでいたのです。
現在神社では二礼二拍手一礼で参拝せよということになっていますが、この根拠は昭和23年に提唱された神社祭式行事作法に基づいたといいます。「各神社が一般参拝者へ説明・指導している「二拝二拍手一拝」という作法も、この昭和23年改正の神社祭式行事作法に基くものですが・・」「明治8年に編まれた「神社祭式」において「再拝拍手」という形で制定され、これが基本となって、長い時間をかけて「二礼二拍手一礼」という現行の参拝作法が慣例化していったのです」(
西宮神社社務日誌より
しかしこれも宮司さんの作法を定めたものであり、一般人の作法を定めているものではありません。
一般人は本来こういう作法に縛られず、お参りしていたのです。「神道は祭天の古俗(明治24年、文科大学教授  久 米 邦 武)」によれば庶民は神社で「南無」と唱えていたというのです。「いづくの田舎も、村々に皆氏神ありて祭礼をなすは、全国に通じたる風俗なり、・・各其地の古俗によりて祭る。・・細に其祷拝の状を観れば、合掌するもあり、南無の声聞ゆるもあり、或は上下四方を拝し、或は出日の方に向ふ、立もあり、跪もありて、崇佛にも似たり、或は回教拝日の民かとも誤らる。其は礼拝を教ふるもの流々義々なりしによる佛教の正式を教へられたる者は佛壇に向ふ此に却て眞率の誠を表せり。実は皆天に祷りて福を求むる所にて、往古の祓禊祭天の遺俗なり。日本人の日本人たる眞面目なり。」とあります。
現代では神社でお経を唱えるのを憚る雰囲気がありますが、つい最近までは仏式でも拝んでいたのです。当然です、神仏一体でお祀りしていたのですから。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 生物学的にも宇宙は一大生命... | トップ | Q,現世利益よりも後生大事を... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

法話」カテゴリの最新記事