観自在菩薩冥應集、連體。巻1/6・9/15
九、同古市郡通法寺(大阪府羽曳野市に存在していた寺院)観音の事。
通法寺は源頼義朝臣の御建立なり。頼義と申すは清和天皇第六の皇子貞純新王の御子経基王をば六孫王とぞ申しける。延喜七年(907年)十月五日に御年十五にして常寧殿に於いて御元服あり始めて源の姓を賜り、経基を以て日本の大将軍武士の棟梁たるべしとて、白旗一流に螺鈿の御剣一振を相添 . . . 本文を読む
今日は時頼が「法華經の形木供養」をした日。建長三年(1251)三月大九日己巳。天霽、風靜也。今日、相州(北条時頼)、御第(自宅)に於て、法華經の形木を供養(版木供養)被る。鶴岡別當法印導師(鶴岡八幡宮筆頭法印隆弁(天台宗寺門派の僧侶、鶴岡八幡宮・園城寺別当・長吏、大僧正・大阿闍梨。宝治合戦において時頼勝利の祈祷を行う。以後北条得宗家と結びついて園城寺を再興))爲。是年來の御素願に依て、手自ら功を畢 . . . 本文を読む
永延三年989三月九日、円融法皇は東寺に於いて寛朝より伝法灌頂を受けています。「真言伝」に「永延三年三月九日、円融法皇東寺ニテ、大僧正(寛朝)ヲ大阿閣梨トンテ、傳法潅頂ヲ受ヶ給フ、寛平法皇ノ御例ニ任テ色衆八十三口ナリ、一宗ノ光華ト世以テ美談トス」 . . . 本文を読む
お陰を祈って叶わなかったがその後一転して救われた例。本来自己の現世利益を願うのは自我を離れることが出来てない証拠で邪道といいますがしかし「露の世は露の世ながらさりながら」です。お釈迦様も「四門出游」で老病死をご覧になり衆生済度を目指して修行され悟りをおひらきになり、御大師様も「支離懸鶉(しいりけんじゅん:不条理に泣く人々)をみては因果の哀しみ休せず(三教指帰)」とおっしゃり不幸な人々を救済せんと入 . . . 本文を読む
延喜九年909三月九日宇多法皇は光孝天皇周忌に仁和寺において法華八講を修しています。日本紀略に「(延喜九年)三月九日乙亥、太上法皇宇多、於仁和寺被修法華八講.依逆修之功德也.」 . . . 本文を読む