お陰を祈って叶わなかったがその後一転して救われた例。
本来自己の現世利益を願うのは自我を離れることが出来てない証拠で邪道といいますがしかし「露の世は露の世ながらさりながら」です。お釈迦様も「四門出游」で老病死をご覧になり衆生済度を目指して修行され悟りをおひらきになり、御大師様も「支離懸鶉(しいりけんじゅん:不条理に泣く人々)をみては因果の哀しみ休せず(三教指帰)」とおっしゃり不幸な人々を救済せんと入定されています。お陰を祈るのは悟りへの第一歩として庶民には許されるべきことでしょう。そして世の中には因果を超えて救われている例がたくさんあることも事実です。以下にその例証を出します。
1,「山岡瑞円上人の略伝・三井英光」(山岡師は戦前「子安大師講」を世界にひろめるとともに「三密学園」という学校をつくるなど大活躍された人で香園寺中興の祖です。山岡師は当初病気と貧困で寺に臥っていて世の中と神仏を怨んでいましたがその後運命を受け入れようと思ったことで救われました。)
「(香園寺住職・山岡瑞円師は病気で進退窮まって寺に臥っていました。)世の中を恨んで恨んでうらみのはて、それらに対して復讐的に死んでやるといふ心地であった。 世の中をうらんでいたときは、常に私の心の中に敵があったのです。
あいつがこうしたためにこの私がこのようなどん底に落ちている。 親の行いがわるかったので、世間からさげすまれ、かてて加えて不治の難病に伸吟せねばならぬ、師匠が借銭を遺したため、債鬼に毎日せめられる、 総代が陰険な手段を以って日夜に迫害をして私を独りぼっちに陥れた、信者信者というても其の正体は私をただ使いし、 私の骨までしゃぶろうとするものだ、というふうに私と関係の深いものに対してほど、深く恨みをいだいていた、 困窮のどん底に落ちた私の心が僻みと恨みと腹立ちとに燃え爛れていたのであります。
仏が人を救うなどとそんなことがあるものか、こんな苦しいときにも仏様は私を救うてくれないではないか、この世に神も仏もあるものか、 お経は人を誑かす架空の妄談ではないか、こういう煩悩の嵐が心のなかで吹いて吹いて吹きすさんでいたのであります。・・・ しかし、いくら恨んでも敵をどうすることもできぬ、世の中は私と無関係に進んでいく。 私ごときがいくら恨んだとて針でついたほどの変化もない、もう一切の恨みはさらりと捨てた、このような運命をもって生まれてきたのだから、 甘んじて従うより途がない、食えぬのだから食えないまま死んでいこうと考えた、それに絶対服従をしたのです。
そうすると奇体に敵がなくなったのです。・・・それまでは強度の神経衰弱であった、それは戦って負傷したうめき声でした。 ところが敵がなくなったのでいまや安らかな心持になりこころゆくばかりすやすやと眠りました。 ・・・全く孤独でしたので食べさせてくれる人もありません。ただすべてを忘れて幾日と無く眠りました・・・。 この境地に至って私の不治の難病も薄紙をはぐようにいつのまにかよくなりました。 ・・・この境地においてはなんにも望むところはないのに不思議にも恵まれる一方でありました。 或は巡拝の人がやってきて、私がなにもせずに全くの孤独で病臥していると洗濯もしてくれたり、お米もあつめてきてくれたり・・ それからまもなく私に拝んでくれという人が出てきました。私はなにも知らぬまま拝みました。不思議にもお蔭を受けたのです。 もとより私が治したのでなくて、仏様が相手を連れてきて、私が治したかのような様式をとらせてくださったのです。
・・まったく仏様が治してくださったのです。
・・・私が無我となり不思議にもいろいろな人に助けられてから1週間ばかりして 島根県のおばあさんが行き倒れて重体になったのでわたしに拝めといってきた。
もとより拝む作法も知らなかったがただいわれるままに拝んだら不思議にもお蔭があったのです。 それを聞き伝えてか私ごときものにも拝んでくれという人が段々まいるようになりました。 これまた仏様のお指図ですからもとより仏様が治してくださるものとひたすらしんじて拝みますといつもおかげがあったのです・・・。」
2・本田宗一郎の言葉「がんばっていれば、いつか報われる。持ち続けていれば、夢はかなう。そんなのは幻想だ。たいてい、努力は報われない。たいてい、正義は勝てやしない。たいてい、夢はかなわない。そんなこと、現実の世の中ではよくあることだ。けれど、それがどうした?スタートはそこからだ。」
3、二人の子どもと共に鉄道自殺や入水自殺を何度も企てた果てに肺病になり、それでも突然御大師様に助けられ挙句にお寺まで建立できた尼僧の体験談がありました。善根山弘法寺初代住職 齋藤智照法尼の法話
4、新義真言宗の開祖興教大師覚鑁上人「末代真言行者用心」。
「なかなか効現のあらわれないのは、仏様がその人の信心を試されている場合、本人の宿業が重い場合、かすかに成就しているが本人が分かってない場合、しばらく魔が隠している場合など、があるが深い信心をもって修行を続ければ必ずお蔭がある。」
(「経にいはく(大日経のこと)いかなる心をおこすもの必ず悉地を成ずるや、いはく深信あるもの能く悉地を得、何なるをば深信という、いはく久々に修行して法験を得ずといえども疑慮を生ぜず退心を生ぜざるなり、このごとくの人必ず定んで悉地を成就す、あるは本尊、行者を試さんが為の故に、あるは諸天等その信心の浅深を試さんがために暫く以って之を抑うるがゆえに、あるは宿障重深なるがゆえに暫く不成に似たりといへども、冥(かすか)に能く成就すれども自ら知らざるがゆえに、あるいは魔旬妨げをして暫く覆蔽(ふくへい)するがゆえに、このごとく等の種種の因縁あるが故に疑怠すべからず」 -末代真言行者用心))
5、「加持祈祷の原理と実修(三井英光)」に「般若心経にある如く、一切は空で実体はない。しかれば祈れば事態は変わり効験はあらわれてくることとなる。そしてその場合、効験は必ず因縁を通して現れてくる。・・加持するのは神秘実在の大地に種をまくようなもので、すぐに生える場合と春にならぬと生えぬ場合がある。すぐに効験が表れてこないのはまだ生える因縁になってあらぬからである。・・むしろお蔭のないのがお蔭だと思うべきである。いまお蔭を出しては為にならぬと思われる時には仏様はかえってお蔭を隠していらっしゃる、それが実はお蔭である。丁度出してよい時にはちゃんと出してくださるのである。・・・そうはいっても直ちにお蔭の顕れることは皆望むところである。そのためには当事者・関係者に平生から仏の神秘加持力を信じて終始真心をもち続けるよう指導すべきである。・・また時に思いがけない障碍のあらわれることがある。・・むしろ障碍があるほどますます(関係者は)懺悔し、(行者は)修法すればかえって災い転じて福となるのである。・・仏様は真の御親だから叱られても叱られても寄り添って拝みますます修行にはげめばお蔭は雨の如く降ると知るべきである。(「三井英光、加持祈祷の原理と実修」趣意)」
6、「「加」とは諸仏の護念なり、「持」とは我が自行なり。(加持の義、「秘蔵記」)」
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