ふせちゃんのブログ

布施隆宏 公式ブログ。 鉄道写真 風景写真 ジオラマ制作など 趣味の世界を紹介します。

フォトエッセイ 第19話

2008-09-14 15:35:00 | 伝えたいもの
     「 毎日暑いねぇ。 穴もぐりに行かない? きっと涼しいよ~ぉ!」 

 「 うわっ、狭い道! 対向車来たら、すれ違いできないじゃん 」。
 案内役の、埋蔵文化財なんたらかんたらの人の運転するクルマを見失わないよう、夏草の茂る急な坂道を下っていく。 たどり着いたのは、沼田市郊外にある利根川べりの河岸段丘だった。

 ある夏の日、卒業生らで作るサークル活動の顧問から、電話があった。
 「 毎日暑いねぇ。 どうしてる~ぅ? ところで、穴に潜りに行かない? きっと涼しいよ~ぉ! 」。
 唐突な電話でまるで要領を得なかった私は、この時期 「 涼しいよ~ 」 なんて言われたら、断れるはずがない。 私は二つ返事で了解した。 すると、「 じゃあ、クルマ出してくれる~ぅ? 」って・・・。 なるほど! 彼女が私を誘った理由って、それが目的だったのかぁ・・・。
 


 当日、集合したのは10名。 私ともう一人の男の子を除けば、皆さん歴史関連の名立たる有識者のようでした。
 案内されたのは、沼田市上川田地区。 畑に沿った崖に横穴がいくつも掘ってあって、深く続いている。 第二次世界大戦の末期、地下の火薬工場として掘削工事が進められ、完成しないまま終戦を迎えた、戦争遺跡である。

          

穴の中でありながら天井が高く、圧迫感はあまりない。 火薬の爆発事故に備えたらしく、一部に広い空間が作ってある。



 この日、私たちが2ヶ所目に訪れたのは、月夜野町後閑(ごかん)地区でした。 JR上越線と関越道に挟まれた山あいに 「 旧 中島飛行機 地下工場跡 」 というものがあります。
 1945(昭和20)年3月に着工。 面積14900平方メートルの地下工場を突貫工事で作り、終戦直前の 8月10日に完成させています。 工事には、中国から拉致してきた中国人約600名と、朝鮮人約1500名、動員学徒らが従事していたとされています。

 地下軍需工場はこの他に、群馬県内に2ヶ所あった事が分かっています。
  ・ 太田市西長岡地区の、旧 中島飛行機 地下工場。 面積9900平方メートル。
  ・ 吉井町馬庭(まにわ)地区の、火薬製造所。 面積17000平方メートル。

 現在、こういった「 戦争の遺跡 」を「 負の遺産 」として、保存しようという動きが出ています。 戦争の記憶は決して消してはならず、私たちはそれを語り継ぐ必要があると思うのです。



  今回の現地調査に参加した10名。 案内してくれたのは、埋蔵文化材調査事業団の菊池実氏( 左上 )。



調査結果や関連記事が掲載されている「 季刊 群馬評論 」( 群馬評論社 刊 )と、2007年8月に出版された、群馬県内の戦争遺跡を紹介した「 フィールドワーク・群馬の戦争遺跡 」( 平和文化 刊 )。

          < 写真および文章の無断転載を 固くお断りします >

コメント (4)
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