ふせちゃんのブログ

布施隆宏 公式ブログ。 鉄道写真 風景写真 ジオラマ制作など 趣味の世界を紹介します。

青 春 履 歴 簿

2012-03-31 23:54:06 | 伝えたいもの

< 2006年に掲載の フォトエッセイを 加筆・修正し、再掲載しています >


             フォトエッセイ  青春履歴簿

        
足尾線に賭けた青春
 20代の初め、私は雪の上越線で 同い年くらいのアマチュアカメラマンに会った。 私と彼は、谷川岳を背景に 特急電車を写すため、三脚を並べていた。
 「 お正月の雪晴れの日に “ サロンエクスプレス東京 ( 当時の鉄道ファン憧れの的 ・ 団体専用 欧風列車 ) ” を写せたよ 」 と、ちょっと自慢げに彼。
 「 ふーん。 その日は友達の家で、新年会やってたなぁー 」 と、おどけた私。
 すると、「 そんな事やってるから、せっかくのチャンスを逸すんだ! 」 思いがけず 強い口調で 彼は言った。
 何も、見ず知らずの奴になんか 怒られる筋合いは無い。 大きなお世話だーって思ったけど、心のどこかで、彼の言葉に うなずいていた。

 ただの趣味で始めた写真ではないはず。 人よりいい写真を撮ろうと思ったら、いい加減な気持ちでいてはいけない。 私は彼の一言によって、それまでの曖昧な気持ちを切り捨てることができた。 そして、写真にのめり込むことで、一つの事に夢中になる楽しさ、心地良さを 知ることが出来たのだ。



田舎の ばあちゃんにだって
 私が写真を始めたきっかけは、米山淳一 さんの写真集 「 上越線 」 ( 河出書房新社 ) に 魅了されたことに始まる。 私が社会人になった年に 上越新幹線が華々しく開業した。 米山さんはその開業に合わせ、国鉄上越線の写真集を出版されたのだ。
 厳冬の豪雪地を 雪煙りを上げて駆け抜ける特急電車。 凍てつく夜の駅構内。 ときには、草花の咲き乱れる のどかな田園風景。 私は その写真の一つひとつに輝きを感じ、鉄道の風景写真にひかれていった。

 そんな折、通勤途中の車のラジオで、「 どこかの港町に住むおばあちゃんが、漁港や市場の情景をコンパクトカメラで写し、写真集にまとめたところ、素人の方の写真集にしては 大変好評だった 」 というエピソードを紹介していた。
 この話しを聞いた瞬間、私の目の前にあるすべてのものが 一瞬にして光輝いて見えた気がした。

 社会人になって半年、「 このまま何のとりえも無い ただの年寄りになって、一生を終えてしまうのだろうか。 仕事以外のことで、何か夢中になれることをしてみたい。 歴史のほんの片隅にでも、名前が残るような事をしてみたい 」。 そんなふうに思っていた私は、「 よし、俺も写真集を出そう! 」 そう 決意したのだった。

 そうして、21歳にして初めて、“ 一眼レフカメラ ” というものを手にした。 それこそ、フイルムの入れ方すら 分からないのに。



運命の 出会い
 全国的に “ お座敷列車 ” が流行し、私も 地元の国鉄上越線や 信越本線に出掛け、特急電車や お座敷列車を写していた。
 この頃から 鉄道雑誌に、イベント列車の運転予定表が 掲載されるようになった。 それらを参考に、日記を兼ねた予定表は、一ヶ月も前から 細かい文字で埋め尽くされた。
 沿線の撮影ポイントは 常に数人のアマチュアカメラマンが集い、人気列車の運転日には 数百人の鉄道ファンが詰めかける。 カメラのポジションをめぐって ケンカ沙汰にもなりかねない。
 そんな光景を目の当たりにして、「 人と同じ被写体を撮っていては 写真集にはなりにくいな。 まして自分の技術では、鉄道雑誌のカラーグラビアには 到底かないそうも無い 」と思った。

 そこで、気分を変えて “ 国鉄 足尾線 ( 現在 : わたらせ渓谷鉄道 ) ” を歩いてみた。 足尾線はもともと銅山鉄道だったので、沿線は観光地化も 宅地化も進んでおらず、自然の多く残る鉄道だった。
 非電化区間なので 邪魔な電柱や架線が無く、また、2~3輌の短い列車は 風景をからめての構図が大変まとまり易く、絵になった。 何より、競争するカメラマンがいないのが嬉しかった。

 私が “ 足尾線 ” という 素晴らしいフィールドに出会えた この年、奇しくも この足尾線は “ 赤字ローカル線 廃止対象路線 ” に選定された。 そして、沿線住民による壮絶な 存続運動が開始されたのだった。



不謹慎
 国鉄の掲げた “ 赤字線廃止基準 ” の中に、「 一時間あたり千人の利用客がある場合、鉄道廃止の協議を 一時、停止する 」 という項目があり、それをクリアさせるため、さまざまな動きがあった。
 対象となるのは 早朝の上り一番、二番列車。 沿線の人たちに 鉄道の利用を呼びかけるのは もちろんのこと、沿線の企業や学校に対し、始業時間を 列車の時間に合わせてもらえるよう 要請したり、列車を利用する人に 補助金を出すという内容。
 そして、老人会の方々を動員させ、協議対象の列車にサクラ乗車させていた。 その運賃は自治体が払っていたが、自腹で参加された人も多かった。

 異常なまでに加熱した 「 足尾線の存続運動 」 は、行く先も分からない 不安の中で展開されていった。
 偶然にも そんな時代に直面した私は、誠に不謹慎ながら 鉄道の廃止を密かに望んでいた。 「 鉄道の廃止と時期を合わせて 写真集を出せば、そこそこ売れるのではないか? 」 と、期待したしたからである。

 ある日、高校時代の友人から 結婚式の招待状が届いた。 ときに、紅葉の撮影シーズンだったため、迷いも無く 欠席の通知を出しておいた。 友情だとか、恋だとか、家族の絆だとか いうものよりも、大切なものがあると信じていたから。
 すると数日後、ほかの友達から電話があり、「 おまえとは もう絶交だ! 」 と、怒鳴られた。
 それが元で、数少ない高校時代の友人と 絶交できた。 自由になれた気がした。



不安だったから
 初めのうちは、一年もあれば 足尾線の四季の写真を写せてしまうと、タカをくくっていた。 けれど 撮影技術が未熟なことや、列車本数の少ない事で、撮影は はかどらないでいた。
 写真集として認められるレベルの撮影ができないまま 足尾線が廃止されてしまったら困るし、いつまで撮影を続けたらいいのかも分からない。 また、自分と同じように 足尾線を専門に写している強力なライバルが どこかに居るのではないだろうかと、そんな不安がどんどん募っていった。
 けれど、不安が大きかった分、足尾線の撮影に熱が入ったのだと思う。


目指していたもの
 1/25000 の地形図に、歩いて探した撮影ポイントを記入していく。 それに分度器を当てて、風景が一番きれいに見える 半逆光の時間帯を割り出す。 そして、その時間に通過する列車を調べる。
 移動時間を考慮し、数ヵ所の撮影ポイントを効率良く回れるよう、毎回の行程表を作った。 晴れの日用と曇り・雨の日用の行程表を用意することで、天気の急変にも対応した。

 写真の参考書として使ったのは 鉄道写真雑誌ではなく、風景写真のガイドブックだった。 この頃の鉄道雑誌は 「 順光で写すことが大事 」 とされ、風景写真雑誌では逆に 「 逆光で写すことに価値がある 」 とされていた。
 たとえ逆光で列車が黒くつぶれても、風景が輝いた瞬間を写したい。 私が目指していたのは 「 鉄道写真 」 ではなく、「 鉄道のある風景写真 」 だった。

 足尾線には これと言って有名な撮影地があるわけではない。 けれど、どこにでもある 何の変哲もない風景が、見違えるほど美しく見える瞬間がある。
 誰も見向きもしないような景色を どこまで魅力的に写せるかが大切だと思った。



「 採用不可 」
 国鉄が分割・民営化された年、私は本屋さんで、群馬県内の山歩きコースを紹介したガイドブックを見つけた。 そして、足尾線撮影の合間に 「 西上州 ( 群馬県南西部 ) 」 の山の写真を撮り始めた。
 西上州の山は、標高があまり高くない割りには 見応えのある岩山が多く、次のフィールドは 西上州 だと直感した。 本格的な風景写真を撮ることで、足尾線撮影のレベルアップも目的だった。

 国鉄が民営化されたことで 足尾線の存続はさらに危ぶまれ、銅山の貨物輸送は 鉄道からトラック輸送に切り替えられた。
 自治体や住民の不安はピークを迎え、地元の新聞には連日のように 関連記事が書きつづられた。 廃止か、存続か。 バス転換か、第三セクターか・・・。
 
 そして私の心の中も、落ち着くことができなかった。 足尾線の写真集を作りたいという旨の手紙を沿え、数社の出版社に写真を送ったのだが、そのうち、回答が来たのは一社だけだった。 「 採用不可 」 と・・・。



あきらめてしまったら
 そんな折り、私にとって 忘れられない一日がある。
 足尾線撮影3年目の、 ある 3月の 雪の日。 私は仕事の途中、車の中で FMラジオを聞いていた。 ある番組のアシスタントを務める女性が、この日限りで仕事を辞めることになっていた。 彼女は短大に在学中で、そのかたわら ラジオの仕事をしていたが、学校を卒業するのに伴って、番組を降りることになった。

 彼女の夢は アナウンサーになることで、各地のオーディションを受けているところだと言う。 その後の進路も決まっていない、不安の中での お別れだった。
 別れの挨拶の中で、リスナーに向かって 「 夢は 絶対に捨てるな! 自分から夢をあきらめてしまったら、叶うものも かなわなくなる! 私も 夢をあきらめないから、みんなも 夢を捨てないで! 」。 いつになく 強い口調で、そう言っていたのが印象的だった。

 翌、日曜日。 午前2時半に家を出発。 車で足尾駅に向かった。 前日からの雪は 日の出前に止み、天気は急速に回復した。
 自動車のライトを照らして、構内のモーターカーを Nゲージのように写したり、停車中の一番列車を 雪明かりの夜景で写したり。 足尾町を一望出来るバイパスでは、朝日に輝く町並みと列車を撮影。 小中付近では、いままでどうにも様にならなかった川原の風景を、パノラマ的にまとめることができた。

 雪は昼前にほとんど解けてしまったが、半日で多くの写真をものにすることが出来た。 後にも先にも、足尾線の撮影で これほどはかどったのは この日だけだったが、それまでの沈滞ムードを吹き飛ばし、その後の撮影にも 弾みがついた思いだった。

 彼女はその後、某テレビ局に 入社することが出来ました。


初夏の まぶしい日差しを浴びて
 この頃の自分に言い聞かせていた言葉。 「 たとえ無駄だと思うことでも 途中で投げ出さずに続けていれば、いつか 価値のあるものになる 」 というもの。
 今まで 写し続けてきた写真たちを、いつか 日の目を見せてあげたいと、そんな気持ちで いっぱいだった。

  草つゆで パンツまで濡らして駆け回ってた 夏草の丘・・・

  通り過ぎる列車の風圧に巻き上げられて、逆光で オレンジ色に輝いてた落葉たち・・・

 そんな シーンの 一つ一つを、ただの思い出で終わらせるわけには いかなかった。

 平成元年、春。 足尾線は 「 わたらせ渓谷鉄道 」 として、第三セクターの鉄道に生まれ変わった。 沿線住民による熱心な存続運動が 実を結んだのだ。
 そして私も、この新緑の季節で 足かけ5年の 足尾線撮影を 終わらせることにした。 必ずしも納得のいく撮影ができたとは言い切れないが、全力を出しきったという気持ちはある。

 その帰り道、線路沿いの国道を 車を走らせていると、なぜだか急に 涙が溢れてきた。
 初夏の まぶしい日差しを浴びて 新緑が輝いている。
 足尾線を撮影するために さんざ かよった道。 見通しのいい直線道路で、私は車を運転しながら 大声で吠えた。 目の奥がヤケドするのではないかと思うくらい 熱い熱い涙が、これでもかというくらいに 溢れ出た。
 夢も 恋も、何もかもすべてが この新緑の季節からスタートするのだと、私は 信じて疑わなかった。



見えなくていいもの
 そうして 写した 足尾線の写真を “ 山と渓谷社 ” に 飛び込みで持ち込み、マイブックスの 阿部正恒 編集長に出会った。 そして 翌年、写真集 「 わたらせ渓谷鉄道 」 を 自費出版することができた。
 その後、私の身辺は 少々賑やかになった。 本屋さんに 写真集を持ち込んで 置いてもらえる様 お願いして回ったり、写真雑誌などの 新刊本紹介の欄に載せてもらうように 手紙を出したりする日々が続いた。 そして、地元新聞の取材や 読者からの手紙が届き、今まで 経験しなかったことが相次いだ。

 けれど、何か違う。 外見では ちょっとは華やかになったが、内面的な部分で 何も変わっていない気がしたのだ。
 あの 初夏の日の 熱い想いを、あのまま 置き去りにしてしまったような・・・。

 私は 写真集を出す2年前に、四輪駆動のワゴン車に乗り換えていた。 西上州の 山の写真に取り組むためである。
 車には寝袋と防寒着、水タンクとガスコンロなどが積んである。 これで2~3日寝泊りしながら、山歩きや星空の撮影を楽しむことが出来るのである。
 けれど、写真に没頭できなくなっていた。
 どうやら、見えなくてもいいものが 見えるようになってしまったから らしい。 と言うより、今まで目をそらしていたものが、それでは済まない歳になったのだ。 家族のこと、仕事のこと、将来の事など、もっと 真剣に考えなければならないものがあったのだ。

 人と同じことをしていたら、人と同じか、それ以下の幸せしか手に入らない。 夢を追うことが幸せに続く道だと思って 始めた写真だった。 ところが、目の前にあったはずの幾つもの幸せを失っていることに気が付いた。
 いったい何のための 夢だったのだろう。 自分ひとりがとり残されたような、ひどい疎外感に襲われた。



仕事も遊びも、楽しくなければ 人生じゃない
 西上州の山の撮影を始めた頃から スクラップノート ( 雑記帳 ) を書き始めた。 思いついた文章を書き留めたり、心に残った本の一節や 歌の歌詞、新聞の切り抜きも貼っておいた。 幼い頃の思い出、学生時代に好きだった女の子のこと、そして 書きなぐりの心理描写などが つづられている。
 スクラップノートを書くことで 心の整理を付け、自分の本当の気持ちを見つける事で、少しづつ 自分に自信を持ち、勇気を出せる気がしていた。

 その中で “ 座右の銘 ” を作るのがマイブームになった。

  ・ 『 挫折して ダメだと思って諦めるか、逆に バネにしてがんばるか 』

  ・ 『 目標さえはっきりしていれば、方法なんていくらでもある 』

  ・ 『 流されず、状況判断と 先制攻撃 』

  ・ 『 たとえカラ元気でも、続けていれば元気になる 』

 毎年 新しい座右の銘をにすることで、自分の弱いところを直そうと思った。 そして、最終的な目標は 『 仕事も 遊びも、楽しくなければ 人生じゃない! 』
 これは、私を理解してくれる知人の一人からいただいた言葉であるが、達成するのは容易ではないと思う。

 私は 風景写真でプロのカメラマンになりたいと思ったことはない。 会社に勤めて お給料をいただき、生活の基盤を作る。 その上で、週末にカメラを持って出掛ける。 それが私のライフスタイルに一番合っていると思う。

 西上州の撮影を始めて10年が過ぎ、いくらか味のありそうな写真も増えてきた。 写真のレベルや 金銭的な問題はあるが、いつの日か必ず、「 西上州の山 」 の写真集を出してみせる。 しかもそれは 単なる写真集ではなく、読んだ人が元気になるような、心の若い人たちへの 応援歌でありたいと考えている。
 そして その趣旨に対する活動こそが、私の生涯の仕事ではないかと ・・・。


                   フォトエッセイ  「 青春履歴簿 」  ― 終 ―


< 無断転載を 固くお断りします >


 掲載誌 : [ 森のクラス会 vol.3 ( 樹の森出版 ) 2002 SPRING より ]




エピローグ
 今から10年ほど前、樹の森出版の発行する季刊誌 「 森のクラス会 」 より、わたらせ渓谷鉄道への取材の依頼がありました。 その記事の資料として 寄稿した文章を、今回 ブログに掲載してみました。

 樹の森出版の代表を務める 阿部正恒氏は、山と渓谷社 に勤めていらした時に、写真集 「 わたらせ渓谷鉄道 」 を担当して下さった編集長です。

 阿部氏にお会いするのは 「 わたらせ・・・ 」 の出版以来でしたから、十数年振りの再会になりました。 その日、会食を取りながら思い出話しをしていました。 そして、十数年前の私の印象を 阿部氏はこう語ってくれました。

 「 あの頃の君は 鋭い刃物の やいばのようだった。 コレと決めたら一歩も譲らず、真っ直ぐに突き進む。 そんな人だった 」 と。
 この言葉は私にとって、とても意外なものでした。 それまで私は、「 優柔不断なヤツ 」 と言われることが多かったものですから・・・。
 それだけ、この 写真集に対する 想い入れが強かったということなのでしょうか・・・。

「 森のクラス会 」 に “ 青春履歴簿 ” の文章を寄稿した頃はまだ、西上州の山の撮影の真っ最中でした。 その後、写真集 「 西上州の山 」 ( 上毛新聞社 刊 )、DVD 「 わてつ 四季の旅 」 ( 有限会社 ナニモ ) の発行を経て、現在に至ります。


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フォトエッセイ 「 喜んでくれる人がいるからね 」

2012-03-27 06:33:20 | 伝えたいもの

< 2008年に掲載の フォトエッセイを 加筆・修正し、最掲載しています >



             フォトエッセイ  写真家の見た風景
          ― 第十七話 ―  「 喜んでくれる人がいるからね 」


 あるとき私は、わたらせ渓谷鉄道沿線のお宅に お邪魔していました。 雑誌 「 森のクラス会 」 ( 樹の森出版 ) の取材のお手伝いを頼まれ、ボランティアで同鉄道を支えている方々の所へ インタビューに出掛けることになりました。

< 鈴木さま >  雪は踏まれて固まると危ないので、朝早く起きて雪かきをしています。 私がもともと足が悪いので、踏み固められた雪の上を歩くのが嫌なので、できる所は全部雪かきをします。
 ボランティアで雪かきとか夏の草取りとかをしていますが、みんな見ていて自分の出来ることを手伝ってくれます。 いろんな人に声をかけてもらえて、この仕事は本当に楽しいです。

< 町田さま >  人間を運ぶだけだったらバスとかの方が便利ですけど、ささやかな事かも知れませんが、鉄道を使うほうが環境にやさしいと思います。
 車だと、どうしてもせわしくなり、まわりをゆっくり見る余裕がなくなります。 人とのつながりは車よりも鉄道のほうが多いので、これからも沿線に花を植えて、みんなで楽しめる沿線にしていきたいと思います。




< 星野さま >  駅を立て替える事ができました。 有志で駅の清掃を行っています。 今でこそ自動車の普及で 鉄道の乗車率は低くなっていますが、これからの高齢者社会では、ますます必要性は高まると思います。

< 細野さま >  自宅の前に駅が出来て、なんだか自分の庭をきれいにするような気持ちで 自然に始めました。 冬は三色スミレ、夏はサルビア、マリーゴールドなど。 夏は月に一回から二回 下草刈りをしなければいけないのですが、駅を花でいっぱいにしていることを 近所の方がみんな分かってくれて手伝ってくれます。
 体力がなくなって 遠くまで行けなくなったお年寄りが 「 この駅に寄るだけでお花見ができるよ 」 って言ってくれたことが 本当にうれしかったです。

             掲載誌 : 森のクラス会 Vol.3 樹の森出版 >




 無人駅のはずなのに 駅舎はいつも清潔に保たれ、待合室には手作りの座布団が並んでいる。 今ではどこのローカル線でも見かける光景ですが、ここ、わたらせ渓谷鉄道では、国鉄 足尾線の時代から 沿線の方々によるボランティア活動が 行なわれていました。
 「 喜んでくれる人がいるからね 」。 あっけらかんと言い放つ笑顔は とても生き生きしていて、利益だの損得だのを度外視した 純粋な表情を見せていました。

 私がずっと 写し続けてきたこの鉄道が、実はとても温かな人たちによって支えられていることを知り、改めて胸が熱くなる想いでした。

 ありがとうございました。

            ― 第十七話 ―  「 喜んでくれる人がいるからね 」  ― 終 ―


< 無断転載を 固くお断りします >



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しょうがレモン

2012-03-24 00:44:21 | これってグルメ ?
 カップベンダー自販機に、新しいメニューが入ってました。

 「 しょうがレモン 」 ( ホット ) 80円。

 これ ちょっと、購入するのに勇気がいりましたー。 ブログネタにしてしまおうと、覚悟を決めます・・・。

 しょうが を使った飲み物が流行っていますが、今回は レモンとの合体ですね・・・。




 中身はこんなカンジ。 味はしっかり付いてます。 甘味もあります。 しょうがの特徴の、発汗作用までは得られませんでした。


 実は誰かがイタズラしていて、選択ボタンがすでに押してありました。 つまり、お金を入れると勝手に 「 しょうがレモン 」 が出てくるようになってました・・・ (笑


 興味のある方は お試しください・・・。


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かりんとう饅頭

2012-03-20 00:00:14 | これってグルメ ?
      カリカリ揚げたて かりんとう饅頭 を いただきました ♪

              製造元 : さくら小福 ( 栃木県 足利市 )




 直径 5cmくらいの かりんとう。 と思いきや、中はしっとり おまんじゅうでした。




 こしあんが入り、甘く仕上げてありました。 一つ食べると後をひき、10個入りの 1パックを ペロリでしたー。 ごちそうさまでした


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フォトエッセイ ガラスの森

2012-03-17 15:36:45 | 伝えたいもの

     < 2008年に掲載の フォトエッセイを 加筆・修正し、最掲載しています >



   妙義山 ・ 第二見晴しより 金鶏山  日没まぎわ、蒼い風景に霧がまとわり付く。
   < 35mm F5.6 - 8 1/125sec >



             フォトエッセイ  写真家の見た風景
               ― 第十五話 ―  ガラスの森

 ● 乾雪 ・・・ 北国の雪はパサパサに乾いた乾雪 (パウダースノー)。 樹木の枝に着いた雪は、少しの風でも吹き飛んでしまう。 だから、厳冬期の北海道などの雪景色には、樹氷はあまり見られない。

 ● 樹氷 ・・・ 関東地方の雪は雨で始まる。 やがて気温が下がり、湿った雪になる。 湿った雪は木の枝に付着しやすく、夜間の冷え込みで凍りつき、樹氷になる。

 ● 霧氷 ・・・ 木の枝の上側に積もる雪に対し、枝の裏側や幹までも白く染めるのが霧氷。 空気中に漂う霧が樹木などに付着して凍った状態。 けれどその命は短く、太陽が昇るにつれ 「 シュワ シュワ シュワ 」 と、音ともつかない音をたてて 氷の魔法が融け、元の枯れ木立ちに戻っていく。



1日目.
 あるとき私は、妙義山・中間道を歩いていました。 妙義神社から白雲山の山腹を巻き、石門群へと続く自然遊歩道です。 遊歩道とは言え、倒木や落石のある、起伏の多い道が続きます。
 未明から関東地方に降り出した雨は、山間部では雪になっていました。 ふんわりと綿帽子をかぶった妙義神社を訪ねてから、見晴し台を目指します。 表妙義の山々を見渡せる絶好の場所なのです。
 雪は午後になって止みましたが、上空の雲は取れません。 夕方になって霧が出始め、金鶏 (きんけい) 山に雲海が広がりました。 「 もし、雲の切れ間から夕焼けが差し込んで、全体を赤く染めてくれたなら・・・ 」。 そんな淡い願いもかなわず、少し残念な気持ちで山を降りる事にしました。
 「 明日、この雲海と朝日を写せたらいいな 」 など、期待しながら・・・。




   『 ガラスの森 』  夜明けの金鶏山
   < 35mm F4 1/125sec PLフィルター >

   写真集 西上州の山 ( 上毛新聞社 刊 ) より抜粋


2日目.
 午前4時半。 懐中電灯に照らし出された遊歩道は ガチガチに凍り付いて、ガラスの破片のように鋭く光っています。 靴の裏が裂けてしまいそうで、しかも、転んだら痛そうです。
 そして まったくの予想外。 昨日 出ていた雲海は夜の冷え込みで凍りつき、一面の霧氷状態になっていました!
 東の空が明るくなり始めると、表妙義の山々は濃いブルーから ムラサキ色へと変化していきます。 やがて、金鶏山の北壁に日が差し出すと、ガラス細工の森が黄金色に輝きました。

 「 すべてはこの瞬間のため 」。 私は凍える指先でカメラを構え、無心でシャッターを切り続けます。 レンズを替え、露出を換え、構図を変えて、悔いの残らない撮影を心掛けます。 
 ふいに、金洞山の上空に、満月過ぎの月が目に入りました。 なぜだか、ウソをついた時のような後ろめたい気持ちが心をよぎります。 月は何もかもを見透かしているようで、「 しまった、見つかっちゃった 」 という気持ち。
 「 今日、精一杯生きているか? 」 と、心に問いかけてみました。 と言うか、今日、月曜日は午後から出社しました・・・。




   『 残 月 』  妙義山 ・ 第二見晴しより 金洞山
   < 24mm F5.6 1/125sec >

 日中に見える月のことを、「 嘘をついたような月 」 と表現したのは、俳人、尾崎放哉 ( ほうさい )。 夜に取り残されたうつろな月が、金洞 ( こんどう ) 山の背後に見えて
いた。

                     ― 第十五話 ―  ガラスの森  ― 終 ―


< 無断転載を 固くお断りします >


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フォトエッセイ 会津弁の丁寧語

2012-03-12 22:00:00 | 伝えたいもの

 『 序 章 』  美しい風景に出会ったとき、作曲家はその風景にメロディを想い浮かべ
るという。
 只見線沿線はこれから4か月の間、きびしい雪の季節を迎える。 なまり色の雲。 八海山周辺はすでに雪模様。 次に雪が降る時には、間違いなく里にも落ちてくる。
 こんな重苦しい風景に、人はどんなメロディを想い浮かべるのだろう。
   < OM-3 80-210mm F4 1/250sec ハーフNDフィルター RD100 >



             フォトエッセイ  写真家の見た風景
               ― 第十四話 ―  会津弁の丁寧語

 あるとき 私たちは、JR只見線に乗っていました。 JRが販売している割引切符 「 土日きっぷ 」 を利用しての、冬の旅です。
 福島県の郡山から 磐越西線に乗って会津若松へ。 そして、只見線に乗って 新潟県の小出へと抜ける、ローカル線を乗り継ぐ旅になります。
 この旅の、計画段階での友人とのメールのやりとりには、「 雪見列車 」 という言葉が飛び交っていました。
 「 雪見列車 」 という名の臨時列車が走っている訳ではないのです。
 豪雪地帯をゆくローカル線。 暖房の効いた車内でお弁当を広げ、ほろ酔い気分でまったりと過ごす。 吹雪の中をひた走る列車の姿を心に想い描いて、私たちは 「 雪見列車 」 と呼んでいたのでした。

 以前、新潟に在住する方に電話をかける機会がありました。 その人は電話を取るたび、「 ハイ、○○でしたー。」 と、語尾を過去形にして 声を返していました。
 変わった電話の取り方だなぁと、ずっと不思議に思っていました。 そして、その後 分かった事ですが、会津 ・ 越後地方の人の丁寧語は、過去形になることを知りました。
 相手に敬意を払い、言葉使いを丁寧にしようとすると、なぜか 過去形になるの でした




 『 静 寂 』  雪は、音を吸収する働きがある。 列車が接近していても、背後に野生動物がいたとしても、その存在に気付けない。 「 静寂 」 という名の騒音に心をかき乱されて、鼓動の高鳴りは治まることが無かった。
 都会の鉄道は1cmでも雪が降れば、運転を取り止めてしまう。 只見線は10cm以上の雪が積もっても、時刻表通り、ピッタリに運転されている。 強引な気もするが、一度止めたら それまでだし・・・。

   < OM-4Ti 85mm F2.8-4 1/250sec RD100 >


 旅行中、私たちはある異変に気が付きました。 山間部に入っても、陽が当たっているのです。 会津 ・ 越後地方の冬は、ひたすら雪が降り続く。 青空がのぞくのは一ヶ月に一度くらいのもの。
 吹雪の中の列車を期待して出掛けたわけですが、どうやら、その一ヶ月に一度の晴天日を、ミゴトに引き当ててしまった様です。
 予想外の展開に戸惑いながらも、結果的には、期待以上の景観に出会うことができました。
 夕日に向かってひた走る列車の車窓から、私たちは、オレンジ色に染まっていく雪原のその果てを、声も無くただじっと、見つめているの でした




 『 慈 雪 』  越後の冬は ひたすら雪が降り続く。 それが当り前だと思ってた。 気が付くと、灰色の空は青空に変わっていた。 2月中旬、午後になっても陽が山々を照らしているのが、なんだか妙に嬉しかった。
   < OM-3 110mm F5.6 1/500sec RD100 >

                    ― 第十四話 ―  会津弁の丁寧語  ― 終 ―


< 無断転載を 固くお断りします >



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グリーンムーバ

2012-03-07 23:26:28 | 鉄道模型 車両改造など
広島電鉄 5000形 グリ-ンムーバ ( MODEMO製 )


 残業時間調整のため、少々 早めに帰宅。 せっかくなので 伊勢崎市 連取町の模型店 エルホビー を覗くことに ・・・。
 いつの間にか、鉄道模型と プラモの売り場が入れ替わってました。

 ショーケースの中で、ひと際 自己主張を示す Nゲージ グリーンムーバ。 最後の一つ! 私の目は釘付けです ♪

 それほど大きなストレスが溜まっていたと言う訳でもないのですが、衝動買いしちゃいました。 購入価格:10752円 ( 税込 )。




 業界大手が手掛けない車種。 それでいて、魅力ある車輌。 そのシリーズで高い評価を得ている MODEMOの製品ですから、クオリティも問題ありません。 少量生産でこの価格なら、お買い得な気がします。

 お店でのテスト走行もスムーズです。 一般の車輌よりも減速率が高く、速度が出なくなっています。
 モータの回転数が高くても 車輪の回転が少ないというのは、低速時での安定走行につながるので、歓迎できます。




 「 路面電車のような軽量車輌は 通電性等、走行状態が心もとない 」 というイメージが強く、今まで 目を向けていませんでした。

 現在 制作中のレイアウトも、路面電車対応の改造が必要になります。
 とても 楽しみです。


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手榴弾消火器 !!

2012-03-05 03:55:44 | おじゃまします~ぅ
手榴弾消火器 ( 笠井商会製 ) !!

・・・ん   何やら 物騒なモノでも入っているのか ・・・ ?




 緊張しながら フタを開けてみました ・・・

 ガラスで出来た 丸いフラスコのようなものが入ってます。 栓は抜かれ、中の白い粉 ( ? ) は ほとんど空です。




 容器の中には 消火剤が入っていたらしく、火の中に投げ込んで使うもののようです!




 今回訪れたのは、わたらせ渓谷鉄道 花輪駅のすぐ近く。 旧花輪小学校記念館 です。

 手榴弾消火器 は、教室を利用した展示室の中から見つけました。




 誰もいない階段や廊下。 放課後の ちょっと寂しい雰囲気です。 廃校になって久しいですが、いつ子供が現れてもおかしくないです。




 机の高さを想像すると、教室の窓の位置が 妙に高い気がします。
 北側の廊下から入るすき間風が生徒の顔に当たらないようになっているのか? 授業中、廊下の景色で生徒の気が散らないようにしてあるのか・・・?




 毛筆書帖。 絵画の手本画集のようなものでしょうか。




 カタカナばかりの文章は 読みにくいです。 挿絵の雰囲気がとても好きです。




 竹で出来たカサ。 壊してしまいそうで 触れませんでした。

 以前訪れたときとは 展示内容が少し違ってました。 昭和初期の空気に浸ることが出来た ひとときでした。。。


コメント (4)
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