ふせちゃんのブログ

布施隆宏 公式ブログ。 鉄道写真 風景写真 ジオラマ制作など 趣味の世界を紹介します。

前橋育ち

2012-04-24 00:01:00 | おじゃまします~ぅ
 前橋っ子の共通の思い出と言えば ・・・ 前橋公園 でのお花見。 幸の池 での水あそび。 中央児童遊園。 中央通り商店街 でのお買い物。 前三百貨店 のレストランでの昼食。
 児童遊園は歴史が長く、現在 るなぱあく と改称し、親子 3代の遊び場になっています。 10円で乗れる 「 お馬さん 」 遊具は 50年以上経った今でも 存在しています。




 私の家は繁華街にほど近い 下町にありました。 お買いものにも 遊びに行くにも、とても便利な環境です。 周辺には同い年の子が たくさんいました。 ( 本文と写真は関係ありません )




 八幡宮。 5歳のとき、2歳半違いのアネキと 七五三参りをした場所です。 近くに写真館があり、家族4人で記念写真を撮っています。
 大工さんだった父親は 年間休日は十日程度。 職人気質だったので、子育てはもっぱら母親の担当。 今の時代では 生きづらそうです。




 この写真だけ 当時のものです。 他の写真は最近の撮影です。

 幼い頃、トッポジージョ の刺繍のついたセーターが お気に入りでした。 母親の手編みです。 街行く女性がよく 「 かわいい! 」 と声をかけてきました。
 「 ボク いくつ? 」 と聞いてくるので、指を2本出して 「 ふたつ 」 と答えていました。 3歳のお誕生日の直前、これからは 「 みっつ 」 って答えるんだなぁ ・・・ と思い、指を3本出す練習をしました。 指を2本立てるのは簡単だけど、3本立てるのは やりにくいなぁ ・・・ と、幼ごころに感じていた記憶があります。

 ウチでは、セーターやカーディガンなどは 母親が作っていました。 手編みだったり、機械編みだったり。 てっきり どこの家庭も、お母さんが作るのが当たり前だと思っていました。 セーターを お金を出して買うなんて、考えられませんでした。 実はそうでは無いと気付いたのは、高校生くらいになってからのことです。
 9年前に母親が亡くなり 荷物の整理をしていて初めて知ったのですが、母親は編み物の師範の資格を持っていました。 
 手芸用品店にも よく 一緒に出掛けていました。 色とりどりの毛糸に囲まれていると ワクワクして、心地良いのでした。

 



 幼い頃の記憶です。 夏の強い日差しにいたたまれず、母親と二人で 喫茶店に入りました。 私は メロンソーダだか レモンスカッシュだかを注文しました。 グラスから炭酸のつぶつぶが吹き出しているのが面白く、眺めていました。
 すると、汗をかいたグラスの向う側には、レースのカーテンと 街行く人の姿が ・・・。 私は、逆光で見る 炭酸水の中の景色に見入っていました。
 透過光 とか 色彩 に興味を持つようになったのは、この瞬間からかも知れません。 ステンドグラス、ガラス細工、電球照明などの輝きが好きで、やがて 写真を始めることになるのでした。。。


コメント
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