ふせちゃんのブログ

布施隆宏 公式ブログ。 鉄道写真 風景写真 ジオラマ制作など 趣味の世界を紹介します。

国鉄時代 足尾本山駅周辺 1

2025-02-08 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.101-10 1985.5.12 8:57 足尾本山駅足尾製錬所 50mm、F5.6、1/250sec、PLフィルター使用

 足尾銅山は1973年に銅の採掘を終了しましたが、海外から銅を含有した鉱石を輸入し、製錬所のみ稼働が続けられました。 足尾製錬所は 足尾線の終点、足尾本山駅にあります。
 東武バスが赤倉の停留所に停まっているのが見えます。



 No.110-3 1985.7.28 1793レ 35mm、F5.6-8、1/250sec

 間藤駅を出て足尾製錬所を目指す 下り貨物列車。 コンクリート製のアーチ橋と立体交差します。
 このアーチ橋には かつて、軽便鉄道のガソリンカーが走っていました。 写真の撮影時は線路ははがされていて、本山小学校の生徒の通学路になっていました。



 No.109-27 1985.7.28 9:04 1791①レ 95mm、F5.6-8、1/250sec

 アーチ橋と足尾線の鉄橋を反対側から望む。 写真の左奥に道路があり、国鉄足尾線の踏切があります。
 併用軌道だったガソリンカーの線路も、道路と一緒に足尾線の線路と平面交差していました。 国鉄線と軽便鉄道の線路が平面交差するのは、全国でも例が無かったのではないかと思います。



 No.109-31 1985.7.28 9:43 1791②レ 115mm、F5.6、1/500sec

 列車番号の表記に ①と② を付けて表現しています。 1791レ~1790レは、足尾駅までは長編成で走行します。 が、足尾本山駅に至る区間は急勾配で軌道も弱いため、3両程度の貨車しか牽引出来ません。
 足尾駅で編成を組み替え、足尾本山駅まで2往復に分けて運転します。



 No.101-11 1985.5.12 9:06 1791①レ 70mm、F5.6、1/250sec、PLフィルター使用

 銅を含有した鉱石「粗鉱」を積んだトキ25000を牽いて、製錬所のある足尾本山駅まで ゆっくり進みます。



 No.101-13 1985.5.12 足尾本山駅 60mm、F5.6、1/250sec、PLフィルター使用

 1791①レ到着。 機関車はすぐに 帰り荷の連結作業に入ります。



 No.75-19 1984.10.22 9:56 1790②レ 80mm、F5.6、1/500sec

 帰り荷を牽いて出川橋梁を渡る上り列車。 まずは足尾駅まで、貨車を運びます。 1790レは足尾駅で編成を換え、帰途に着きます。



 No.101-17 1985.5.12 9:57 1790②レ 135mm、F5.6-8、1/500sec

 足尾製錬所を背景に、あかがね街道 と鉄道。 足尾銅山 を象徴する一枚です。



 No.109-29 1985.7.28 9:19 1790①レ 210mm、F4-5.6、1/500sec

 線路に並行し、上部に濃硫酸のパイプラインが見えます。 足尾駅まで引かれていて、構内北部の硫酸タンクに貯蔵。 タンク車に積み込まれます。



 No.110-5 1985.7.28 1792レ 95mm、F5.6-8、1/250sec

 粗鉱を卸し、空なったトキ25000を牽いて 軽やかに 1792レ。 踏切脇より撮影。


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国鉄時代 間藤(まとう)駅周辺

2025-02-01 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.75-22 1984.10.22 1790レ 50mm、F5.6-8、1/500sec

 空になった鉱石運搬貨車を引いて山を下り、足尾駅へと向かう上り貨物列車。
 並走するクルマに時代を感じます。



 No.61-22 1984.8 間藤(まとう)駅 135mm、F5.6-8、1/250sec

 プラットホームと駅本屋が 渡り廊下でつながっている間藤駅。 蒸気機関車 C12 が活躍していた頃の、変則的な スイッチバック駅 だった名残りです。

 この間藤駅と製錬所のある 足尾本山駅 との間は急こう配で、鉄橋には強度が無いので 機関車を重連にする事が出来ません。 間藤駅に着いた貨物列車はバックで引込み線に入り、蒸気圧を整え、引込み線の下り坂を利用して一気に加速し、製錬所を目指しました。
 何ともワイルドな運用をしていたものです。



 No.62-24 1984.8.14 間藤駅舎 35mm、F4-5.6、1/250sec

 第三セクター わたらせ渓谷鉄道 への移行に合わせ、この駅舎は建て替えられました。 けれど この石段は残っています。



 No.112-15 1985.8.11 間藤駅 駅名板 55mm、F3.5、1/250sec

 線路はこの先の足尾本山駅まで続いていますが、旅客列車は ここが終点です。 列車の待ち時間に、乗客が駅名板に 想いを書き込んだのでしょう。



 No.173-25 1987.3.8 6:02 720D 110mm、F8-11、1sec

 まだ夜の明けきらない山あいの終着駅に佇む 一番列車。 積雪による消音効果で、いつもなら聞こえるディーゼルエンジンの音が、今日は届かない。



 No.157-2 1986.10.26 9:01 1791①レ 50mm、F8、1/125sec

 松木(まつぎ)川を渡る下り貨物列車。 右奥に見える橋は神子内(みこうち)川を渡る国道122号線と、紅葉の日光に向かう車列。
 松木川と神子内川は下流500mの地点、足尾町 渡良瀬地区で合流し、渡良瀬川 の始点になります。



 No.275-35 1989.2.24 15:28 728D 35mm、F4、1/60sec、ハーフグレーフィルター使用

 松木川橋梁と連続する立体交差。 併用軌道の ガソリンカー の線路がここにありましたが、戦後間もなく廃止されました。
 岩肌の露出した 荒涼とした風景がここから始まります。



 No.113-26 1985.8.25 足尾駅・構内進入信号機 50mm、F5.6-8、1/250sec

 足尾駅に進入する上り列車に対して建植されていた腕木式信号機。
 左は 主本線の1番線への進入制限だとして、右は 2番線及び貨物ヤードへの進入制限という意味かと思います。



 No.123-16 1986.1.26 9:00 1791①レ 110mm、F5.6-8、1/250sec

 足尾駅から終点の足尾本山駅まで、ガソリンカーの併用軌道線路が並行していました。
 軽便鉄道の線路が国鉄の線路と平面交差するのは、全国でもマレな事例です。



 No.130-29 1986.3.16 8:44 750D(後年 752D) 135mm、F5.6、1/250sec、C4フィルター使用

 足尾駅から間藤駅に向け 田元橋に差し掛かると、荒涼とした風景が広がります。 精錬方法が改良される前の 製錬所から出された亜硫酸ガスや、江戸時代からの無計画な樹木の伐採により、草木の育ち難い土地になっています。


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国鉄時代 足尾駅周辺 2

2025-01-28 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.122-24 1985.12.1 15:57 足尾駅・1794レ 上り貨物列車
  210mm、F4、1/30sec、ハーフNDフィルター使用

 出発時刻を待つ1794列車。 通常の1795レ~1794レは重連運転ですが、この日は輸送量が少なかったようで、単機運転になっています。 
 鉱石運搬用の トキ25000 を、浜川崎駅への返空列車です。 機関車のすぐ後ろに車掌車が連結されていますが、桐生駅で進行方向が変わるためです。 桐生駅からは EF60 が担当します。
 山に沈みかけた夕陽が ボンネットを照らします。



 No.158-14 1986.11.3 12系客車を使った 臨時列車「もみじ号

 牽引機は高崎第一機関区所属。 普段の貨物列車の牽引機は 桐生機関区常駐車です。
 1987年4月1日の国鉄の民営化にともない、1987年3月に貨物列車が廃止されました。 足尾線で活躍した DE10DE11 は消滅しています。
 現存車は後期型のDE10-1000番台です。



 No.186-26 1987.5.17 11:50 トロッコ足尾号 135mm、F4-5.6、1/125sec

 機回しを省略するためプッシュプル運転。 始発の高崎駅から桐生駅までは12系客車に乗車し、足尾線内は トラ90000 を改造した 元祖・トロッコ列車に乗車です。
 高崎客貨車区所属のトロッコ列車は、上越線、吾妻線、足尾線のほか、秩父鉄道にも入線していました。
 写真のヘッドマークは秩父鉄道を走行する際に作られたものですが、他線区の運用時にも掲出されるようになりました。
 以前、このヘッドマークをデザインされた方にお会いした事があります。 長瀞のトロと、トロッコのトロが係っていると教えた頂きました。



  No.229-13 1988.3.27 6:40 753D 80mm、F8-11、1/125sec

 ヘッドライトは点いていませんが、1番線に停まってもいますが、当駅始発の下り列車です。 キハ20、キハ30、キハ40の3連です。



  No.229-14 1988.3.27 6:46 753D 80mm、F11、1/125sec

 足尾駅で停泊した2本の列車は 隣の間藤(まとう)駅に行ってから、それぞれ 上り1番列車、上り2番列車として走ります。

  下り751D → 上り720D 2両編成
  下り753D → 上り722D 4両編成(休日は3両編成)



  No.229-15 1988.3.27 6:46 753D 80mm(トリミングあり)、F11、1/125sec

 この時代はまだ、夜間以外には ヘッドライトを点灯して走る習慣はありませんでした。 何ならこの列車は テールランプすら点けていませんが。

 国鉄/JR足尾線時代、腕木式信号機は現役でした。 1989年3月29日の わたらせ渓谷鉄道 開業に合わせ、自動閉塞機の信号ケーブルを線路脇に埋設する工事が行われていました。



  No.278-26 1989.3.28 11:50 団体列車 70mm、F5.6、1/125sec

 JR足尾線 最後の日。 高崎客貨車区所属の旧型客車を牽引して来たのは、チョコレート色に塗色変更した DE10 1705機。 このページの4枚上の写真、トロッコ足尾号を牽引していた時は 朱色塗装だった事が分かります。



  No.278-27 1989.3.28 11:58 団体列車 135mm、F3.8、1/125sec

 1番線に停まっているのは 9726D。 キハ40の2両編成。 足尾線の気動車のほとんどが キハ20、キハ30、キハ40の混結編成。 高崎第一機関区所属で 八高線との共通運用なので、仕方ありません。 足尾線の撮影で キハ30が走って来るとガッカリなのです。
 キハ40の2両編成の姿は イベント列車以外では希少なのでした。



  No.278-29 1989.3.28 12:05 団体列車 210mm、F4、1/125sec

 写真を1枚撮るごとに 撮影ノートに撮影データを書き込んでいました。 フィルムカメラを使っていた頃はずっと続いていた習慣です。
 それはまぁ、オートフォーカスも 自動露出も無いカメラを使っていれば そうなるのですが。 シャッターチャンスには弱かったです。



  No.279-7 1989.3.28 17:56 くつろぎ号 135mm、F4、1/4sec、ハーフグレーフィルター使用

 足尾線最後の日。 2往復の団体列車が走り、数百人の鉄道ファンが詰めかけました。 普段の閑散とした沿線の風景からは想像も出来ない光景です。 この人たちがもっと早くに 足尾線に乗りに来てくれれば、廃止にならなかったのかもと、思っても仕方のないことです。
 廃線が近づき、次第にカメラを持った人が沿線に増えていき、並行する国道にはマナーの悪い路上駐車が溢れ、こんな事なら早く廃止になってくれればいいと、悲しい気持ちになりました。
 翌、3月29日、わたらせ渓谷鉄道 開業。

  関連記事  2023-11-10 国鉄時代 足尾駅周辺 1

  関連記事  2016-03-19 国鉄 足尾駅 貨物列車 最終運転日 1987.3.29


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国鉄時代 足尾駅周辺 1

2023-11-10 14:23:00 | 国鉄 足尾線
No.124-6 1985.12.29 (9:43) 足尾駅構内 210mm相当 F4 1/250sec 

 時代の流れと共に鉄道も姿を変え、古い写真は歴史を語る貴重な資料になると気付きました。 納戸からアルバムを探し出したので、未発表の写真を中心に紹介します。

  40年前の、足尾銅山を支えた 鉄道の歴史を見て欲しい。

 写真右の、黄色いヘルメットをかぶっている人が古河鉱業の社員。 写真中央の人は、協力会社の作業員。 濃硫酸の充填作業の準備中。



No.177-23 1987.3.22 足尾駅構内 

 足尾本山駅こと足尾製錬所で精製された濃硫酸はパイプラインで足尾駅構内に運ばれます。 貯蔵タンクからタンク車へ充填する作業は、平日・休日を問わず行われました。



No.117-20 1985.10.20 (14:45) 足尾駅構内 80mm相当 F3.8 1/250sec 

 足尾駅構内でタンク車の移動に使われていた小型機関車。



No.151-13 1986.9.23 (15:07) 足尾駅 725D列車 110mm相当 F5.6 1/250sec 

 足尾駅に到着する下り列車。 構内にいるDLは先行した1795列車の牽引機。 写真下方に写る住宅の屋根が 雰囲気良いです。
 国道122号線バイパスのコンクリートよう壁上部より撮影。 国道から徒歩25分程度。 NHK施設に続く歩路の途中から、見晴らしの良い場所に出られます。



No.154-15 1986.10.9 (14:25) 足尾駅 1795列車 135mm相当 F5.6-8 1/125sec 

 1795列車は足尾駅に到着するとすぐ、前補機を切り離します。 この時代、まだ 車掌車が連結されているのが分かります。
 足尾線では、上り列車も下り列車も、車掌車は機関車のすぐ後ろに連結されていました。
 その理由は、桐生駅で両毛線に入る時に 進行方向が変わるためです。

 < 貨物列車の列車番号は時期によって変更されています。正確な列車番号は、国鉄発表の資料を参照して下さい >



No.103-3 足尾駅構内 150mm相当 F4 1/250sec 

 高崎第一機関区所属の DE10。 足尾線では、DE10とDE11が貨物を牽引していました。 DE11は蒸気発生装置を持たない貨物専用機ですが、夏季に客車列車を牽いて入線している姿も見られました。



No.117-21 1985.10.20 (14:50) 足尾駅構内 80mm相当 F5.6 1/125sec 

 足尾駅構内を探索していた時、このような表示板を見つけました。 タンク車の車体にハリガネでしばり付けて使います。



No.126-9 1985.12.29 (10:07) 足尾駅遠景 105mm相当 F5.6 1/250sec 

 国道122号線バイパスのフェンスに望遠レンズを押し当て、北東側から足尾駅方面を写しています。 傾きかけた倉庫が並んでいます。
 おもむきのある風景でしたが、これらの建物はすっかり無くなってしまいました。



No.179-19 1987.4.4 (20:10) 足尾町 35mm ハーフグレーフィルター F5.6 10min 

 建ち並ぶ鉱山住宅を見おろすバイパス道路から、備前楯山(足尾銅山)を望む。 山すそに伸びる白い光跡が足尾線。 732D下り列車です。 空にはスバルの姿も。

 この頃、自動車に搭載する 車載テレビ という物が流行っていました。 NHKの大河ドラマで「 独眼竜政宗 」を放送していました。 夜間まで撮影する事が多くなっていたので、車載テレビが欲しくてしょうがなかった記憶があります。



No.259-25 1988.11.27 (5:57) 足尾駅構内 751D列車 80mm相当 F8 35sec 

 早朝から分岐器がけなげに働いていたので、カメラを向けました。 列車は、窓の明かりの光跡だけ写りました。
 夜の写真に興味を持つ様になった頃の撮影です。 車中泊も増えていきました。



No.177-28c 1987.3.29 (8:38) 足尾駅構内 80~210mmトリミング有 F5.6 1/250sec 

 分割民営化を3日後に控え、この日は足尾線貨物列車の最終運転日です。 当日の日記には「 9791列車は単行運転。 構内に残っていたタンク車5両を牽いて9790列車発車 」とありました。

 硫酸タンク車の組成を終えた入替え機は、構内の隅にゆっくり移動して行きました。。。




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足尾線貨物の魅力

2022-03-12 01:05:20 | 国鉄 足尾線
 1985.5.5 13:37  小中 - 神土 1795レ

 短いトンネルの先から、重連機関車の重低音が空気を震わせているのが伝わってくる。 緑深い木立ちの中を進みながら、複式喚呼の警戒吹笛が 谷あいに響き渡った。




 1985.7.28 9:04  間藤 - 足尾本山 1791-1レ

 足尾駅で編成を組み直し、身軽になった列車。 急こう配なのだが、この区間は補機を持たない。
 朝の1791列車は、二回に分けて足尾 - 足尾本山間を往復する。 松木川を渡り、製錬所へと向うところ。




 1987.3.22 12:47  間藤 - 足尾本山 9792レ

 上掲写真の鉄橋を高台から眺めている。 奥は本山小学校。 そして、備前楯山。


旧国鉄足尾線貨物編



足尾銅山・光と影(1)



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国鉄足尾線 春・夏

2016-06-09 00:00:01 | 国鉄 足尾線
  水沼駅より  上り 722D列車 ( 左 )、下り 721D列車

  6:56、下り列車 到着。 タブレットを受け取った駅長は 足早に事務室へ。 
  6:58、上り列車 到着。 車掌と駅長がタブレットを交換。
  6:59、上り列車 発車。 列車を見送った駅長は 再び事務室へ。
  7:04、下り列車 発車。

 毎日繰り返されていた光景です。
   ( 注 : 上り 722Dは 1986年 11月から列車番号が 720Dに変更 )



  水沼駅より  下り列車 と 駅長

 列車を見送る駅長の肩に タブレット が見えます。 そして、駅長の頭の上には 自動閉塞器 のセンサーが新設されているのが写っています。
 JR足尾線 から わたらせ渓谷鉄道 になる際、タブレット交換を廃止する事になっていました。
 そして、無人駅 に。




  沢入駅 - 原向駅間より 1794レ

 貨物操車場での 貨車の入れ換えで見かける事の多かった DE10 ですが、A-A-A-B の軸配置は急カーブの多い 足尾線 に最適な機関車なのでした。
 DD51 の2倍の燃費性能も特筆できる部分です。




  小中駅 - 神土駅間 渡良瀬川より

 JRが国鉄だった頃 ( 30年余前 )、杲 ( ひので ) 小学校 の対岸の渡良瀬川では 子供たちが水遊びしている姿を見かけていました。
 子供の数はめっきり減っています。




  神土駅 - 沢入駅間より 1790レ
1985.6.30 ( 10:38 ) 210mm相当 F4 1/125sec

 第一渡良瀬川橋梁を行く 貨物列車。
    < トンネルの上の 安全な場所から撮影しています >




  神土駅より  団体 いもほり列車
70mm相当 F5.6-8 ハーフNDフィルター 1/250sec

 小中駅 最寄りの観光農園まで、家族連れを運んだ 団体列車。 なんと、キハ20 を4輌仕立てた ゴージャス編成。
 後にも先にも、足尾線でこれほどの編成美に出会ったのは この時だけです。




  原向駅 - 通洞駅間より

 線路柵の有効利用。 お日さまの匂いのするお布団で、ゆっくり おやすみなさーい。



  花輪駅 - 小中駅間より

 わたらせ渓谷鉄道に更新される際、写真の位置に 中野駅 が新設されました。
 きれいな田園風景だったのですが、今では畑を耕す人も少なく、荒地になっているのが残念です。




  小中駅 - 神土駅間 杲小学校付近より

 毎年9月の最終休日は 杲 ( ひので ) 小学校 の運動会の開催日になっていました。 児童数の減少により、現在は廃校になっています。
 30年近く前の写真には たくさんの子供が写っています。 彼らはどこに行ってしまったのでしょう。




  神土駅より 1793レ ( 単行 )
1986.10.18 ( 11:32 ) 210mm相当 F4 1/500sec

 その日の輸送量によっては 重連運転 にもなる 1793レ。 ですが、運休することも多く、気の置けない列車でした。
 1793レは この駅ですれ違う列車が無いので、走ったまま タブレット交換 を行います。
 この日、運休ではなく 単行で運転した理由は、復路の 1792レ に 帰り荷が予定されていたから。。。


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国鉄足尾線 秋・冬

2016-04-09 00:58:25 | 国鉄 足尾線
  沢入駅 - 原向駅間 吉ノ沢架樋 ( かけひ ) 付近より 728D列車
1985.11.9 ( 13:53 ) 110mm相当 F5.6-8 1/250sec

 テールランプは点いていませんが、上り列車の後追い写真です。
 11月上旬、線路に積もった落ち葉が列車の風圧で巻き上げられ、列車の後を追いかけていきます。
 右の 「 高崎鉄道管理局 」 の看板が懐かしいです。


< ネガフィルムの画像を電子データに変換しましたので、紹介していきます >



  沢入駅 - 原向駅間 名越トンネル付近より 725D列車
1986.11.10 ( 14:47 ) 70mm相当 F16 1/60sec

 足尾線で使われていたディーゼルカーは キハ20キハ30キハ40
 高崎第一機関区 所属だったので、八高線と共通運用でした。
 足尾寄りに キハ30が連結される事が多く、がっかりさせられていました。




  水沼駅 - 花輪駅間 小黒川橋梁より

 秋の渡良瀬川の水は冷たかったです。 ビーチサンダルを履いて、ひざ上まで水に浸かって 渡渉しました。 この付近は水コケが多くて滑りやすいです。
 川原に遊びに来ていた家族連れが、私の事を心配そうに見ていました。 「 ここでコケたら恥ずかしい 」。 そればっかり気にしていたのでした。



  水沼駅 - 花輪駅間 小黒川橋梁付近より

 足尾線は山合いのため、秋冬はすぐに日陰になってしまいます。 ですが対岸の山の斜面には西日が当たり、オレンジ色に染まっていました。
 蒼い風景とオレンジ色の対比が 面白い絵になりました。




  足尾駅より 751D列車

 前日からの雪は 夜明け前に止み、空は次第に明るくなってきました。 構内の照明が 雪を明るく照らしています。
 寒い中で撮影しているはずですが、写真では温もりさえ感じてしまいます。 それは ただの風景写真ではなく、鉄道のある風景 だからなのかも知れません。




  間藤駅より 720D列車
1987.3.8 ( 6:02 ) 110mm相当 F8-11 1sec

 まだ夜の名残りが残り、街灯がぼんやり灯る間藤の町並み。
 足尾駅で停泊したディーゼルカーは 751D列車 として 間藤駅へ移動。 ここから桐生駅に向けて 一番列車 が走り出します。




  通洞駅 - 足尾駅間 バイパス道路より 備前楯山と 721D列車
1988.3.27 ( 8:09 ) 80mm相当 F11 1/250sec

 真冬の雪は湿度が低いので あまり樹木にからみ付かないですが、春の雪は水分が多いので、樹氷 になります。
 雪晴れの朝、まぶしく輝く風景に、心も ときめくのでした。




  大間々駅 - 上神梅駅間 福岡大橋より 722D列車

 前日に足尾駅で停泊し、上り列車としてやって来た 722D列車 です。 平日は 4輌編成で運用されていました。

 国鉄時代、赤字線廃止対象路線 になっていた足尾線。 乗車率 1000人をクリアさせる事が存続の条件でした。 地元住民による懸命な乗車運動は、この列車の乗車率に託されました。
 足尾線で長年展開されていた 特別乗車運動 は、全国トップレベルだったと記憶しています。
 沿線の方々にとって、感慨深い列車なのです。




  足尾本山駅より 操車風景

 足尾銅山 は 1973年に閉山しましたが、海外から銅を含有した鉱石を輸入し、製錬所のみ稼働が続けられました。
 町を包み込む水蒸気。 銅山の最盛期を知らない私ですが、ここに立つたび、独特の風景に圧倒されていました。




  JR足尾線最後の日  足尾駅より  団体列車 くつろぎ号
1989.3.28 ( 17:45 ) 170mm相当 F4 1/8sec

 1987年 春の 国鉄民営化 のタイミングで 貨物列車が廃止。 それから 2年。 すでに構内の一部のレールが撤去されているのが、この写真から分かります。

 足尾線最後の日。 小雨の降る寒い日曜日でした。 2本の団体列車が運転され、一般の列車も朝から乗車率は 100%を超えていました。

 鉄道を廃止して路線バスに転換するのか、第三セクター鉄道として鉄路を残すのか。 5年間続いた議論と乗車運動は、わたらせ渓谷鐵道 の発足という 一つの結果を導き出しました 。。。


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国鉄 足尾駅 貨物列車 最終運転日 1987.3.29

2016-03-19 06:06:25 | 国鉄 足尾線
 No.121-30  1985.11.23 14:42 「 モータカー 」 35mm F8 1/125sec

 国鉄・足尾線が 赤字線廃止対象路線 に選定されたのは 1984年。 すぐに住民による 特別乗車運動 が始まりました。
 ですが、分割民営化 すると鉄道の存続がさらに難しくなるため、バス転換 または 第三セクター化 の模索が進められました。



 No.105-23  1985.6.16 14:26 「 1795レ 」 170mm F3.8 1/500sec

 足尾銅山 は 1973年に閉山しましたが、海外から銅を含有した鉱石を輸入し、製錬所のみ稼働が続けられました。

 貨物列車の運転区間は 浜川崎駅 - 足尾本山駅 です。
 両毛線 桐生駅まで EF60 がけん引。 足尾線内は DE10 ( DE11 ) が担当。 足尾駅で編成を組み換え、製錬所のある 足尾本山駅へ向かいました。



 No.154-13  1986.10.9 14:24 「 1795レ 」 135mm F5.6-8 1/125sec

 足尾線貨物は毎日 3往復が設定されていました。

 1791レ ~ 1790レ は タンク輸送。
 1795レ ~ 1794レ は 鉱石輸送。 本務機 + 次補機重連運転
 1793レ ~ 1792レ は その日の輸送量によっては重連にもなりますが、運休することも多かったです。
 1793レ ( 往路 ) を単行で運転し、1792レ ( 復路 ) は 貨車をけん引 というパターンもありました。



 No.173-18  1987.3.8 「 モータカー + 伊藤忠商事 タキ75799 + コープケミカル タキ55763 」

 午前 5時。 前日からの雪は 夜明け前に止みました。 自動車のヘッドライトを照らして、古河鉱業硫酸タンク とタンク車を撮影。
 国鉄時代最後の雪景色だったと 記憶しています。



 No.177-02  「 古河鉱業 タキ1378 」



 No.177-04  「 日本鉱業 タキ4389 」



 No.177-05  「 伊藤忠商事 タキ85756 」



 No.177-08  「 古河鉱業 タキ15762 等 」



 No.177-17  「 モータカー + 古河鉱業 タキ15764 」



 No.177-19  「 古河鉱業 タキ1349 」



 No.177-20  「 古河鉱業 タキ4548 + 古河鉱業 タキ1349 」



 No.177-21  「 古河鉱業 タキ4555 」



 No.177-23  「 古河鉱業 タキ1349 + 古河鉱業 タキ4555 」



 No.177-25  「 モータカー x 2 」

 早朝から、最後の 荷役作業 を終えた職員さん。 ゆっくり ゆっくり、たばこを吹かしている姿が印象的でした。



 No.177-27  「 モータカー x 2 」

 国鉄 足尾線は 旅客事業と共に 貨物事業も赤字を出していました。 製錬所は事業を縮小し、貨物運搬は トラック輸送 に切り替える事になりました。

 1987年 4月 1日の 国鉄民営化 の 3日前、足尾線から貨車の姿が消えました。



 No.177-28  1987.3.29 8:38 「 モータカー x 2 」 80~210mm F5.6 1/250sec

 1987年 3月 29日。 国鉄・足尾線 貨物列車 最終運転日。
 貨車の送り出し準備を終えたモータカーは 側線に移動して、エンジンを止めた。。。


コメント (4)
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廃線散歩 5

2010-02-28 20:50:02 | 国鉄 足尾線
 出川橋りょう を越え、レールは 足尾製錬所 まで続いている。
 世界遺産 として施設を残したいと考えている日光市と、負の遺産は消し去りたいと思っている 古河鉱業
 昨年から撤去作業が始まっていたが、文化遺産 として保存して欲しいものです。




 赤倉地区の交差点より 出川橋と製錬所を望む。 中央に 新古河橋古河橋




 古河橋。 かつてはここを大型トラックが通っていたが、現在は歩道専用です。 現役で使われている鉄橋としては 日本最古のものです。
 足尾銅山 の持つ輝かしい歴史を ここに見ることができます。




 足尾町と日光市が合併し、現在は日光市の 指定文化財。 合併によって 保存運動が活発になってくれた気がします。




 備前楯山 ( 足尾銅山 ) を背景に、足尾製錬所を望む。
 荒涼とした風景は、ここに来なければ分からない。

                                    廃線散歩 ― 終 ―


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廃線散歩 4

2010-02-27 22:28:01 | 国鉄 足尾線
 向赤倉トンネル を抜けた所に、またまた 落石が ・・・。




 カーブを進むとすぐに鉄橋。 そして終点 足尾本山駅




 出川橋梁 に連なり、道路の立体交差。




 その橋脚に書かれた表示。 短い電話番号。 鉄道電話 でしょうか ・・・。
 



 出川橋梁を渡った所が 足尾本山駅。 足尾製錬所 があった場所です。


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