ふせちゃんのブログ

布施隆宏 公式ブログ。 鉄道写真 風景写真 ジオラマ制作など 趣味の世界を紹介します。

国鉄時代 通洞駅周辺 1

2025-02-21 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.213-11 1987.11.1 11:50 🔹トロトレイン 45mm、F8-11、1/125sec

 通洞(つうどう)駅で乗客を降ろし、身軽になって足尾駅に向かう 下りトロッコ列車。
 乗客の大半は 足尾銅山観光 の施設を訪れているのでしょう。



 No.73-23 1984.10.14 1790レ 35mm、F4、1/250sec、PLフィルター使用

 足尾銅山の社宅が建ち並ぶ通洞町。 背景は 足尾銅山 こと 備前楯山。 山すそに小さく、上り貨物列車が見えています。



 No.113-25 1985.8.25 9:14 726D 45mm、F3.5、1/250sec、C4フィルター+PLフィルター使用

 黄砂の影響かどうかは分かりませんが、風景が薄黄色っぽく見えていたので、薄いブルーのC4フィルターで補正して撮影。 モヤっていたので、反射除去フィルターも装着。
 線路越しに街を見下ろせる場所を探して、お寺の敷地から写しています。



 No.240-9 1988.5.29 12:06 9726D 60mm、F8、1/125sec

 選鉱所の手前に 通洞変電所通洞動力所新梨子(しんなし)油力発電所 が見えています。 現存するのは変電所のみです。
 動力所には大きなコンプレッサーがあり、削岩機で使う圧縮空気を作っていました。 油力発電所とは火力発電所の事です。 双方の施設は朽ちていたため、現在は撤去されています。



 No.175-13 1987.3.22 8:05 721D 145mm、F8-11、1/250sec

 変電所と吊り橋。 吊り橋は 軽自動車がギリ通れるかどうかの狭さでしたが、近年、乗用車がすれ違える幅のものに架け替えられました。

 変電所は現役で使われています。 外壁が 黒いマダラなシミの様になっています。 第二次世界大戦の際に空襲を避けるため、カモフラージュ塗装 されたものです。 同様のカモフラージュ塗装は、油力発電所と足尾製錬所にも見られました。
 足尾銅山は軍需品を作っていた訳では無いので、空襲を免れました。

 変電所の建物は老朽化のため、すぐ隣に 建て替え工事が始まっています。 この姿は 間もなく見納めです。



 No.115-0 1985.9.14 10:22 1790レ 120mm、F5.6-8、1/250sec

 古河鉱業 の 旧選鉱所。 1973年に閉鎖して50年以上が経ちます。 大切な産業遺産なので、見学できるように改修する計画もある様です。 が、朽ちた危険な部分も多く、作業には時間とお金が必要です。



 No.156-23 1986.10.18

 通洞駅から足尾駅、さらに田元橋までを見渡せる丘からの眺めです。
 足尾銅山には 主に3つの坑道入口がありました。 製錬所近くの 本山坑、山の裏側にある 小滝坑。 そして 通洞坑。 それぞれに飯場や鉱山住宅などの町が広がっていました。 最盛期の足尾町の人口は3万人を超えます。 一番の繁華街は通洞町で、映画館、劇場、飲食店などが建ち並びます。 芸者も大勢いました。

 江戸っ子が、「宵越しの銭は持たねえ」(その日に得た収入はその日のうちに使い果たす)などと粋がっていましたが、鉱山従事者はもっと切実です。 一度坑内に入ってしまえば、生きて帰れる保証は無いのです。
 足尾銅山の坑道は全長1234km。 高低差1000m。 アリの巣のような坑道で、ひとたび崩れたら最期です。 そんな環境下で働いていたら、全部 お酒で飲み干してしまおうという気持ちも分かります。



 No.263-3 1988.12.29 15:01 725D 300mm、F5.6、1/500sec

 社宅の連なる風景の 右上に写っているのは 磐裂(いわさく)神社 かと思います。



 No.259-1 1988.11.13 12:08 9726D 110mm、F11、1/125sec

 紅葉のピークを過ぎると、枯れススキが目立ちます。 住宅の間を走る キハ20。



 No.258- -1 1988.11.6 中才地区

 古い枕木で出来た鉄道柵に、お布団がいっぱい干してありました。 今夜も暖かいお布団で寝られそうですね。



 No.152-28 1986.10.4 13:44 728D 80mm、F4-5.6、1/125sec

 右下に 旧選鉱所。 そして 鉱山住宅が建ち並びます。



 No.253- -1 1988.10.28 12:05 9726D 35mm、F8-11、1/60sec

 鳥居と祠(ほこら)。 この 石の階段に、人々の日常が見える気がしました。



 No.226- 30 1988.3.27 8:08 721D 50mm、F11、1/250sec

 移動性低気圧が本州南岸を進み、気温の低い内陸部で雪になりました。 冬の始めと終わりに多い天気です。
 国道のバイパスの除雪は完璧なのに、街中の除雪は あまり行われません。 何なんでしょう?



 No.229- 22 1988.3.27 8:09 721D 80mm、F11、1/250sec

 上の写真を撮った数秒後に、同じ列車を写しています。 フィルム番号が違っているのは、別のカメラで写しているから。
 単焦点レンズとズームレンズでは、色調が違います。



 No.110-13 1985.7.28 14:34 🔹グランドキャニオン号 210mm、F5.6、1/250sec

 製錬所奥の 松木(まつぎ)渓谷 は草木も生えない荒涼とした風景なので、グランドキャニオンに似ているとして、グランドキャニオン号。
 遊び疲れた子供たちが 通洞駅から団体専用列車に乗り込みます。



  No.234-21 通洞駅

 鉄道の風景を標準レンズで写し、月を望遠レンズで二重露出撮影。 フィルムカメラの時代は こんな裏ワザが簡単に出来ていました。
 夕暮れ時の西の空だから三日月。 デフォルメ写真だからと言って、ここに満月を置いてしまうのはルール違反です。。。


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国鉄時代 足尾駅周辺 2

2025-02-11 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.122-24 1985.12.1 15:57 足尾駅・1794レ 上り貨物列車
  210mm、F4、1/30sec、ハーフNDフィルター使用

 出発時刻を待つ1794列車。 通常の1795レ~1794レは重連運転ですが、この日は輸送量が少なかったようで、単機運転になっています。 
 鉱石運搬用の トキ25000 を、浜川崎駅への返空列車です。 機関車のすぐ後ろに車掌車が連結されていますが、桐生駅で進行方向が変わるためです。 桐生駅からは EF60 が担当します。
 山に沈みかけた夕陽が ボンネットを照らします。



 No.158-14 1986.11.3 12系客車を使った 臨時列車「🔹もみじ号

 牽引機は高崎第一機関区所属。 普段の貨物列車の牽引機は 桐生機関区常駐車です。
 1987年4月1日の国鉄の民営化にともない、1987年3月に貨物列車が廃止されました。 足尾線で活躍した DE10DE11 は消滅しています。
 現存車は後期型のDE10-1000番台です。



 No.186-26 1987.5.17 11:50 🔹トロッコ足尾号 135mm、F4-5.6、1/125sec

 機回しを省略するためプッシュプル運転。 始発の高崎駅から桐生駅までは12系客車に乗車し、足尾線内は トラ90000 を改造した 元祖・トロッコ列車に乗車です。
 高崎客貨車区所属のトロッコ列車は、上越線、吾妻線、足尾線のほか、秩父鉄道にも入線していました。
 写真のヘッドマークは秩父鉄道を走行する際に作られたものですが、他線区の運用時にも掲出されるようになりました。
 以前、このヘッドマークをデザインされた方にお会いした事があります。 長瀞のトロと、トロッコのトロが係っていると教えた頂きました。



  No.229-13 1988.3.27 6:40 753D 80mm、F8-11、1/125sec

 ヘッドライトは点いていませんが、1番線に停まってもいますが、当駅始発の下り列車です。 キハ20、キハ30、キハ40の3連です。



  No.229-14 1988.3.27 6:46 753D 80mm、F11、1/125sec

 足尾駅で停泊した2本の列車は 隣の間藤(まとう)駅に行ってから、それぞれ 上り1番列車、上り2番列車として走ります。

  下り751D → 上り720D 2両編成
  下り753D → 上り722D 4両編成(休日は3両編成)



  No.229-15 1988.3.27 6:46 753D 80mm(トリミングあり)、F11、1/125sec

 この時代はまだ、夜間以外には ヘッドライトを点灯して走る習慣はありませんでした。 何ならこの列車は テールランプすら点けていませんが。

 国鉄/JR足尾線時代、腕木式信号機は現役でした。 1989年3月29日の わたらせ渓谷鉄道 開業に合わせ、自動閉塞機の信号ケーブルを線路脇に埋設する工事が行われていました。



  No.278-26 1989.3.28 11:50 🔹団体列車 70mm、F5.6、1/125sec

 JR足尾線 最後の日。 高崎客貨車区所属の旧型客車を牽引して来たのは、チョコレート色に塗色変更した DE10 1705機。 このページの4枚上の写真、トロッコ足尾号を牽引していた時は 朱色塗装だった事が分かります。



  No.278-27 1989.3.28 11:58 🔹団体列車 135mm、F3.8、1/125sec

 1番線に停まっているのは 9726D。 キハ40の2両編成。 足尾線の気動車のほとんどが キハ20、キハ30、キハ40の混結編成。 高崎第一機関区所属で 八高線との共通運用なので、仕方ありません。 足尾線の撮影で キハ30が走って来るとガッカリなのです。
 キハ40の2両編成の姿は イベント列車以外では希少なのでした。



  No.278-29 1989.3.28 12:05 🔹団体列車 210mm、F4、1/125sec

 写真を1枚撮るごとに 撮影ノートに撮影データを書き込んでいました。 フィルムカメラを使っていた頃はずっと続いていた習慣です。
 それはまぁ、オートフォーカスも 自動露出も無いカメラを使っていれば そうなるのですが。 シャッターチャンスには弱かったです。



  No.279-7 1989.3.28 17:56 🔹くつろぎ号 135mm、F4、1/4sec、ハーフグレーフィルター使用

 足尾線最後の日。 2往復の団体列車が走り、数百人の鉄道ファンが詰めかけました。 普段の閑散とした沿線の風景からは想像も出来ない光景です。 この人たちがもっと早くに 足尾線に乗りに来てくれれば、廃止にならなかったのかもと、思っても仕方のないことです。
 廃線が近づき、次第にカメラを持った人が沿線に増えていき、並行する国道にはマナーの悪い路上駐車が溢れ、こんな事なら早く廃止になってくれればいいと、悲しい気持ちになりました。
 翌、3月29日、わたらせ渓谷鉄道 開業。

  関連記事  2016-03-19 国鉄 足尾駅 貨物列車 最終運転日 1987.3.29


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国鉄時代 足尾駅周辺 1

2025-02-01 08:00:01 | 国鉄 足尾線
No.124-6 1985.12.29 (9:43) 足尾駅構内 210mm相当 F4 1/250sec 

 時代の流れと共に鉄道も姿を変え、古い写真は歴史を語る貴重な資料になると気付きました。 納戸からアルバムを探し出したので、未発表の写真を中心に紹介します。

  40年前の、足尾銅山を支えた 鉄道の歴史を見て欲しい。

 写真右の、黄色いヘルメットをかぶっている人が古河鉱業の社員。 写真中央の人は、協力会社の作業員。 濃硫酸の充填作業の準備中。



No.177-23 1987.3.22 足尾駅構内  

 足尾本山駅こと足尾製錬所で精製された濃硫酸はパイプラインで足尾駅構内に運ばれます。 貯蔵タンクからタンク車へ充填する作業は、平日・休日を問わず行われました。



No.117-20 1985.10.20 (14:45) 足尾駅構内 80mm相当 F3.8 1/250sec 

 足尾駅構内でタンク車の移動に使われていた小型機関車。



No.151-13 1986.9.23 (15:07) 足尾駅 725D列車 110mm相当 F5.6 1/250sec 

 足尾駅に到着する下り列車。 構内にいるDLは先行した1795列車の牽引機。 写真下方に写る住宅の屋根が 雰囲気良いです。
 国道122号線バイパスのコンクリートよう壁上部より撮影。 国道から徒歩25分程度。 NHK施設に続く歩路の途中から、見晴らしの良い場所に出られます。



No.154-15 1986.10.9 (14:25) 足尾駅 1795列車 135mm相当 F5.6-8 1/125sec 

 1795列車は足尾駅に到着するとすぐ、前補機を切り離します。 機関車の後ろに 車掌車が連結されているのが分かります。
 足尾線では、上り列車も下り列車も、車掌車は機関車のすぐ後ろに連結されていました。
 その理由は、桐生駅で両毛線に入る時に 進行方向が変わるためです。



No.105-23 1985.6.16 (14:26) 足尾駅 1795列車 170mm相当 F3.8 1/500sec 

 鉱石運搬の1795列車到着。 足尾駅構内には多数の タキ が留置されています。

 < 貨物列車の列車番号は時期によって変更されています。正確な列車番号は、国鉄発表の資料を参照して下さい >



No.103-3 足尾駅構内 150mm相当 F4 1/250sec 

 高崎第一機関区所属の DE10。 足尾線では、DE10とDE11が貨物を牽引していました。 DE11は蒸気発生装置を持たない貨物専用機ですが、夏季に客車列車を牽いて入線している姿も見られました。



No.117-21 1985.10.20 (14:50) 足尾駅構内 80mm相当 F5.6 1/125sec 

 足尾駅構内を探索していた時、このような表示板を見つけました。 タンク車の車体にハリガネでしばり付けて使います。



No.126-9 1985.12.29 (10:07) 足尾駅遠景 105mm相当 F5.6 1/250sec 

 国道122号線バイパスのフェンスに望遠レンズを押し当て、北東側から足尾駅方面を写しています。 傾きかけた倉庫が並んでいます。
 おもむきのある風景でしたが、これらの建物はすっかり無くなってしまいました。



No.179-19 1987.4.4 (20:10) 足尾町 35mm ハーフグレーフィルター F5.6 10min 

 建ち並ぶ鉱山住宅を見おろすバイパス道路から、備前楯山(足尾銅山)を望む。 山すそに伸びる白い光跡が足尾線。 732D下り列車です。 空にはスバルの姿も。

 この頃、自動車に搭載する 車載テレビ という物が流行っていました。 NHKの大河ドラマで「 独眼竜政宗 」を放送していました。 夜間まで撮影する事が多くなっていたので、車載テレビが欲しくてしょうがなかった記憶があります。



No.259-25 1988.11.27 (5:57) 足尾駅構内 751D列車 80mm相当 F8 35sec 

 早朝から分岐器がけなげに働いていたので、カメラを向けました。 列車は、窓の明かりの光跡だけ写りました。
 夜の写真に興味を持つ様になった頃の撮影です。 車中泊も増えていきました。



No.177-28c 1987.3.29 (8:38) 足尾駅構内 80~210mmトリミング有 F5.6 1/250sec 

 分割民営化を3日後に控え、この日は足尾線貨物列車の最終運転日です。 当日の日記には「 9791列車は単行運転。 構内に残っていたタンク車5両を牽いて9790列車発車 」とありました。

 硫酸タンク車の組成を終えた入替え機は、構内の隅にゆっくり移動して行きました。。。




コメント (2)
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