学食を早めに抜けて星野さんを誘ってヤマメ釣りに行こうと考えたり、気温が下がったので秋のきのこが気になるので見に行きたと思ったり、バジルの苗を買って植えようかと思ったりしてるうちに店についた。
その頃になると疲れだけが膨らんでとりあえず昼寝。
起きるのが辛いほどだった。
友人家族が飲みに来た。
8時までで閉店だよと言って納得してもらった。
和牛の味噌漬けを焼いたり片貝の奴を出したり。
筋雲が現れてもう次は雨雲がやってくる。
学食を早めに抜けて星野さんを誘ってヤマメ釣りに行こうと考えたり、気温が下がったので秋のきのこが気になるので見に行きたと思ったり、バジルの苗を買って植えようかと思ったりしてるうちに店についた。
その頃になると疲れだけが膨らんでとりあえず昼寝。
起きるのが辛いほどだった。
友人家族が飲みに来た。
8時までで閉店だよと言って納得してもらった。
和牛の味噌漬けを焼いたり片貝の奴を出したり。
筋雲が現れてもう次は雨雲がやってくる。
毎日空を見てる。
今、一番下にいる自分。
すきがあれば空きを見つけてまた登り始めよう。
お金のために生きてるのではないと言ったのは訂正。
あったほうが楽と思い始めてる。
雨上がり雲を相手に独り言。
空の青さ、雲の白さに満足して時間が過ぎた。
星野さんとヤマメ釣りに行くつもリだった。
雨の後は大物が釣れる予感。
昨日催促が来た。
禁漁になってしまうよと。
昨日の夕方の雲。
薪を切ってた。
雲に覆われてたのが雲の切れ間が広がって夕日が新堂島の山を照らした。
次は権現堂が赤く染まり雲も赤くなった。
これはすごいとカメラを取りに行ったらもう光が消えかけてた。
夜は茗荷とほやと玉ねぎの酢の物、沖縄のテビチ。
韓国のチョッパル。
カリフラワー畑の横に今年は蕎麦畑ができた。
芽が出たなと思ってるうちにもう白い花が見えた。
今日の予定は決まってるので車を止めて蕎麦の花を見る事もできた。
まだまだ蕾が多くてこれからのそば、雨に濡れてみずみずしい。
細い農道は通勤の抜け道だから長くいると通る人にプレッシャーを与えてしまうと30秒だけ。
朝鳶沢の峰に霧がかかってた。
今日は霧を見ることができる。
弟の告別式は盛大だった。
仲間たちが駆けつけたりしたからみんな家に入ってもらい棺に花をたっぷり用意したので入れてもらい最後のお別れをしてもらった。
施主の挨拶、娘にもとうとう二人きりになったのでこれからも助けてくださいと挨拶しなさいと言っておいて実行した。
予想以上うまく言ってくれた。
大の男が雪下ろしに一日かかる冬がやってくる。
自分も年取って手助けがうまくできない。
言葉が胸に刺さった人たちも手助けしてくれると読んだ自分の心の醜い企みだ。
お斎はテーブルで。
手作りの田舎料理がたっぷり。
本家のお母さんがあんたもよくやったと言ってくれた。
調子に乗って特攻戦士が最後の出撃の気持ちでしたと。
皆さんに助けられて儀式的ではない人間的な田舎葬式が済んだと。
今回はあまり疲れないと感じてたが店についたらすごい疲れに襲われ横になって5時間。
今日も学食と市場に行った。
学食のスタッフがもう15分手伝えると言ったら後はやるから急いでと送り出してくれた。
式が始まる10分前に会場についた。
妻と親戚が心配そうに外で待ってた。
周りに迷惑をかけながら生きてると実感。
とうとうアルコール依存症になった。
なにかした後や前にアルコールを手に吹き付けないと不安で。
手はもう奈良漬けになってるかも。
女子サッカーのおかずの一つはタンともやしとニラの炒めだった。
味付けはと聞くと焼肉ソースでといわれたけどそんなの無いのでにんにくと生姜と胡椒と胡麻油と砂糖と塩と醤油と豆板醤と甜麺醤とオイスターソースと化学調味料と胡麻で炒めた。
残ったので自分のつまみに持ち帰った。
野菜の味噌汁が残ってたので片貝の木綿豆腐とクジラを入れた煮物的汁がつまみと晩酌の肴。
弟に献杯、君は心のなかに生きてる、我が命尽きるまで一緒だ、残された親子にも大丈夫肉体はなくなっても心のなかに住んでいていつも見守ってるからと。
魚沼市のコシヒカリ、ごちそうおにぎりの撮影締切日が今日夕方だった。
魚野川の勝負おにぎりはレタスに隠れてるもの。
黒毛和牛味噌漬け石窯炙り肉おにぎり。
まだ公表しないでと言われて出せない。
SMS 映するものと要望があった。
3ヶ月以上思いついたように試作。
本も買ってみた。
でも自分色のおにぎりが作りたいと思い一旦は諦めたが再度要請でトライ。
おにぎりのつけダレも二種類。
これからちょっと変わるかもしれないがかぐら南蛮酢味噌ソースと生姜胡麻ソース。
出来ればじ野菜たっぷりの汁を付けたい。
夕飯は試作おにぎりと片貝の豆腐を温めて、ミヨウガと生姜をたっぷり。
夕方雨が降ってきた。
弟が亡くなったと知らせが届いた早朝。
雲と立ちこめる霧と朝日で釈迦涅槃図を思い出した。
学食に食材を届けてからお迎えに行くけど良いと聞いたら病院もいいよとのこと。
コロナで面会もままならなかったが最後だからか会うことができたそうだ。
親子三人、娘がおばーちゃんが亡くなったと教えたら体ががたがた動いた、娘が長渕剛の乾杯を歌ったら閉じてた右目が開いたよと話してくれた。
すごく幸せの最後だったろうと、涙と絶句。
あばや。
権現堂の方から雨がやってきた。
明日は告別式、悲しみが日常になってきた。
一週間に2回の葬儀、通夜が終わり晩酌ができる。
左上がいものて。
さつまいもの葉っぱの下の茎。
皮をむいて炒めてあるから柔らかくて物足りない。
野菜がほとんど。
低い雲が垂れ下がり時折雨がぱらつく。
昨晩十時過ぎに危篤の電話があって亡くなったら迎えに行かなくてはいけなかった。
早い時間にビールを飲んでて零時を過ぎないと酒が抜けない。
業者を頼むしかないと思った。
結局無事だった。
布団に入らないで仮眠。
寒いと思ったら今日は気温が18度より上がらなかったからだ。
雨が続き、きりがわく一日。
何回も危篤を繰り返し夜になった。
ノンアルコールビールで晩酌。
飲みに来ると言う人がいたので海鞘や高級マグロを用意してたがキャンセル。
海鞘だけたべて片貝の豆腐を煮て夕飯。
今日は布団で寝よう。