ネタは降る星の如く

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ホワイトカラー・エグゼンプション「虚妄の“自律的”労働時間制」

2007-02-02 12:52:35 | 時事
 「女性は産む機械」発言で与野党を紛糾させている柳沢厚労相だが、私はその直前のホワイトカラー・エグゼンプション法案を巡る場面でも厚労相側に胡散臭さを感じていた。何が胡散臭いって、ホワイトカラー・エグゼンプションを導入すれば自律的に働けて逆に残業を減らせるという理屈だ。

 その辺りを解説してくれる記事があった。

虚妄の“自律的”労働時間制
迷走招いた政策決定プロセス、空理空論を捨て本音で語れ!

NBO ホワイトカラー・エグゼンプションに関する議論が紛糾したのは、「政策決定プロセス」に問題の根源があったというご意見ですね。

濱口 最初に言っておきたいのは、私はホワイトカラー・エグゼンプションの導入に賛成です。ただし、「労働時間規制の適用除外」ではなく、あくまで「残業代支払い義務の適用除外」としてです。そもそも改革のスタート時点から時間外賃金の問題を長時間労働の話とごちゃまぜにしたことが、この議論を迷走させ、本質を覆い隠してしまった最大の原因です。

(中略)

 本来、ホワイトカラー・エグゼンプションというのは月俸制とか年俸制を選択できるようにするために、労働基準法37条の適用を除外するということなのです。ここは非常に重要なポイントです。あくまで時間外手当の適用除外であって、無制限の長時間労働を容認するような労働時間規制の撤廃ではないのです。

(中略)

NBO それが、どうしてここまで議論がかみ合わなくなってしまったのでしょうか?

濱口 規制改革・民間開放推進会議(内閣府)がホワイトカラー・エグゼンプションの導入を提言するに当たって訳の分からないことを言い出したからですよ。それがボタンの掛け違いの始まりです。

 2005年12月に公表した第2次答申で、ホワイトカラー・エグゼンプションの導入を提言した。そこまではいいのだけれども、「少子化対策の一環として、仕事と育児の両立を可能にする多様な働き方の推進が必要である。そのために、“労働時間規制を外すべきだ」とやったわけです。ホワイトカラー・エグゼンプションが「自律的労働時間制」などと言われるのはそこからきています。私に言わせれば、馬鹿げた論理です。

 残業代廃止ではなく“労働時間規制”の撤廃にすり替わってしまったのです。そうすることで多様な働き方が実現し、少子化対策になるというオマケまでついて…。制度に詳しくない人には、その方が聞こえがいいと考えたんでしょう。日本のために良いことをやろうとしているんだ、損にはならないんだぞ、ということなんですが、素人をだます論理ですね。労使の現場の人はそんなバカなことがあるはずがないと分かっていますよ。


 私が柳沢厚労相に胡散臭さを感じたのは、「残業代ゼロ法案」と世論から猛反発を食らった与党が参院選対策もあって法案を引っ込めようとした時に、「孤軍奮闘」して法案提出にこだわった厚労相が、そんな「馬鹿げた論理」にしがみついたまま、法案提出をなおも進めようとするところだった。

NBO “管理職一歩手前”の人たちと言えば、40代か50代前半の人たちが多いでしょうから、“子育て世代”に重なるのかどうか、そもそも怪しいですね。

濱口 そうですよ。それに、自律的に働くってどういうことなんでしょうか。誰のことを言ってるんでしょうか。そんな人が本当にいるんでしょうか。

 組織で働いている普通のサラリーマンで、管理職一歩手前の人。それがホワイトカラー・エグゼンプションの主な対象者です。上司や部下、同僚もいる。ほかの部局や取引先との関係もある。そういう人たちとの接触なしに、好きな時に好きなように仕事ができる“管理職予備軍”なんてどれだけいるんですか。

 部下「もしもし。課長、どうして会社に来ないんですか?」
 課長「いや、俺は自律的に働いているから今日は出勤しない」
 部下「何バカ言ってるんですか、部長が呼んでます。早く来てください!」

 そうなるに決まってるじゃないですか。

NBO 確かに、“自律的”に働いている人はこの制度を入れなくても自律的だろうし、“自律的”に働けていない人がこの制度で途端に自律的になるとは思えませんね。

濱口 指示を待つだけでなく自分の頭で考えて能動的に働くことは大切です。育児への参画も大切です。しかし、労働時間規制を撤廃したら、それらが両立するなんてことを言うのは空想ですよ。馬鹿げている。ある企業の人事部の方が、「この制度が入ったら、社員に勝手に休まれても文句を言えないんでしょうか」と心配していました。当然ですよ。“管理職一歩手前”であるからこそ、職場を放棄して勝手に休んだりすることは許されるはずがないでしょう。

 要するに、現場の実態からかけ離れた空理空論を規制改革会議が持ち出したことからすべての議論がずれてしまったのです。規制改革会議の答申は、その後、閣議決定されました。「少子化対策の一貫として、仕事と育児の両立を図るために労働時間規制を撤廃する」ということが政府方針として決定されてしまったのです。厚生労働省はもはやその枠の中でしか動けない。馬鹿げたことだと担当者は思っているけれども、事務方としては政府決定に沿って作業を進めるしかない。残業代を何とかしたいだけの使用者側も引きずり込まれて身動きが取れなくなってしまった。

 厚生労働省の労働政策審議会ではどうなったかというと、労働側は「労働時間規制をなくしたら、過剰労働になって過労死するじゃないか。どうするんだ!」と猛反発したわけです。マスコミや政治家は大衆受けすることが好きなので、「残業代ゼロはけしからん」とネガティブキャンペーンを張りましたよね。しかし、議事録をご覧になれば分かりますが、労働組合側はそんなことは一言も言っていません。「残業代の適用除外」については受け入れる余地はあったのに、「労働時間規制の撤廃」となると話は違う。企業のどこに、休むも出勤するも自由で、自律的に働いている人間がいるんだ。いるんだったら連れて来い、と。当然ですよ。

 反論できないわけです。反論できないまま議論が進むわけです。そして、元祖米国で導入された本当のホワイトカラー・エグゼンプションを日本に導入することの是非や、労働法制が根本的に違う日本に導入するための方法論については、まともな議論がされませんでした。


 誰が悪いか知らないが、そういうねじれ現象のまま法案をつくり、その法案をまだ推し進めようとするところが、胡散臭い。そして、誰が聞いても「そんなバカな」と思う理屈を、まだふりかざしているところが、なお胡散臭い。

NBO 厚労省や使用者側は、ホワイトカラー・エグゼンプションは長時間労働を助長するものではないことを正々堂々と主張すべきでしたね。

濱口 実は、日本経団連が2005年にまとめた『ホワイトカラー・エグゼンプションに関する提言』の中では、そういうことをちゃんと言っているんです。そういうものはなかなか報道されずに表に出てこないんです。そこでは、「使用者の指揮命令下に置かれている時間」「賃金計算の基礎となる時間」「健康確保措置の対象とすべき時間」が整理されないままぐちゃぐちゃになっていると指摘しています。

 賃金の計算の対象となる時間については成果主義でやっていくべきであり、法的な規制ではなく労使の話し合いで決めていこうと。一方で健康確保の観点からは、「睡眠不足に由来する疲労の蓄積を防止する観点から、在社時間や拘束時間を基準として適切な措置を講ずることとしてもさほど大きな問題はない」とはっきり言っているんです。

 今回の労政審の答申(2006年12月27日)でも、『健康・福祉確保措置として、「週当たり40時間を超える在社時間等がおおむね月80時間程度を超えた対象労働者から申出があった場合には、医師による面接指導を行うこと」を必ず決議し、実施すること』と書いてある。答申の中身をよく読むと実はちゃんと長時間労働に対応しているんです。私はもっと強い規制をかけてもいいと思っていますが…。

NBO そういう話だとすれば労使が歩み寄る余地もあったはずですね。

濱口 何がおかしいかと言えば、「自由度の高い働き方にふさわしい制度の創設」という表題です。「自由度が高い」というのは仕事の中身であって、時間という観点から見たら自由度なんか高くならないんです。

 こんな表題をつけなければいけないのは、先ほども言いましたが、最初に規制改革会議が、これは仕事と育児の両立だ、好きな時に休んでもいい制度であるかのような幻想を描き、それが閣議決定されてしまったからです。この枠組みから逃れられないまま議論を進めなければならなかったのです。政策決定プロセスの一番大切な「アジェンダ設定」のところを間違えたから、その後の議論が全部ねじれてしまったのです。

 時給800円のパートタイマーの人に残業をさせて、残業代を払わないなんていうのは許しがたいことです。しかし、年収2000万円の人が所定労働時間を少し超えて働いたからといって、1時間当たり8000円に25%を割り増しした時間1万円の残業代を払わなければいけないなんていう法律が実態に合わなくなっているから見直すべきだと、はっきりと問題提起すればよかったんです。

NBO なぜ、そんなアジェンダ設定を規制改革会議は出したんでしょうか?

濱口 それは当時の委員の方々に聞いてくださいとしか言いようがないですね。詳しい経緯は分かりませんが、少子化対策が叫ばれ始めた頃ですから、規制緩和をしたら少子化対策になるんだというロジックを柱としたんでしょう。しかし、少子化対策や仕事と育児の関係というのは、どう考えても規制を“強化”する方向の話です。そもそも、労働時間規制とは、これ以上長く働かせてはいけないという規制であって、労働時間を短くするための規制をかけているわけではありません。単に労働時間規制を緩和すれば仕事と育児が両立して少子化対策になるなんていうのは直感的に「それは嘘だ」と誰でも思いますよ。

NBO 労働法制改革は始まったばかりです。「労働ビッグバン」というキャッチフレーズも飛び出してきました。しかし、政策決定プロセスの頂点にある規制改革会議や経済財政諮問会議には労使の代表が参加していないという批判がありますね?

濱口 現場の実態、使用者や労働者の要望とかけ離れた空中楼閣の議論になったとしたら、今回のホワイトカラー・エグゼンプションみたいな混乱が再び起こる恐れはあります。日本人の新しい働き方に関して、もっと率直に、ストレートに、本音で議論することが必要です。公労使が同じテーブルに着き前向きな議論ができるようにする政策決定プロセスが一番大切だと思います。


 この記事を見る限り、一番アホだったのは規制改革会議だったとは思うのだが……でも、柳沢厚労相の「女性は産む機械」発言も、そもそもは少子化対策の話をしていた折のことだ。ホワイトカラー・エグゼンプション法案にかこつけて、自律的に働けるのだからむしろ少子化対策にもなるという理屈を持ち出したのは、この御仁のような気がする。

 何となく、「愚民」に対する説得はそれでいけるだろうと、国民の知性をバカにしたところが引っかかる。

いや、そもそも。発案した本人でなくても、その論理のおかしさに気づいたら修正にかけるのが一省の大臣の役割だろう。論理がおかしいことに気づいていないのなら、大臣としての資質が問われる。気づいているのなら、そのおかしさに手をつけず最後まで法案提出にこだわったところに大臣の資質が問われる。

 そう思っていた矢先の「女性は産む機械」発言。

「女性は産む機械」発言でも、「愚民」にわかりやすく語ってやろうという発想から、女性の生涯出産能力を機械にたとえてみたんじゃないか。

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 インタビュー記事にコメントが沢山付いている。賛否いろいろあるが、ならばなぜ使用者側は年収2000万円以上でなく400万円以上を対象に導入しようとしたのかというツッコミがするどいと思う。

 一方、経済同友会幹事の北城氏の記事が掲載されたが、こちらは批判的なコメントが多い。

ホワイトカラーエグゼンプションは「残業代ゼロ」ではない