ネタは降る星の如く

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奥谷発言が衆議院でも話題に

2007-02-08 19:40:57 | 時事
「過労死は自己管理の問題」奥谷氏発言が波紋
 過労死するのは本人の自己管理の問題――。労働政策審議会(厚生労働相の諮問機関)の分科会委員、奥谷禮子氏(人材派遣会社社長)の週刊誌インタビューなどでの発言をめぐって、7日の衆院予算委員会で論議があった。民主党の川内博史議員が「あまりの暴言だ」と指摘。柳沢厚労相も「まったく私どもの考え方ではない」と防戦に追われた。

 奥谷氏は、一定条件を満たした会社員を労働時間規制から外す「ホワイトカラー・エグゼンプション」(WE)の積極推進論者。労働時間規制をなくせば過労死が増えるとの反対論に対し、経済誌「週刊東洋経済」1月13日号で、「経営者は、過労死するまで働けなんていいません。過労死を含めて、これは自己管理だと私は思います」などと反論。また「祝日もいっさいなくすべきだ」「労働基準監督署も不要」とした。労政審分科会でも「労働者を甘やかしすぎ」などと発言している。


 掲載号を読んでました。はい、その通りの発言を読んで、これがホワイトカラー・エグゼンプションを推進する委員の考えなのだと慄然としました。

 週刊誌の記事だったので、ネット上では「痛いニュース」とか2ちゃん系でちょっと話題になったぐらいでしたが、国会の場で取り上げられたことはグッジョブです。

 奥谷氏は朝日新聞の取材に対し、「発言の一部分だけをとらえた質問は遺憾だ。倒産しても、会社は社員を守ってくれない。早くから自律的な意識をもつべきで、労働者への激励のつもりで発言した」と話した。


 言葉尻の問題じゃないですね。「労働基準監督署も不要」なんて発言さえあった記事を、「過労死するのは自己管理の問題」だけ「言葉尻」と捉えられるでしょうか。

 私がホワイトカラー・エグゼンプション法案に反対してきているのも、柳沢厚労相やら奥谷氏やら、雇われて働く側の立場や環境がわかっていない(か、実情を無視してあたかも独立自営業者であるかのように位置づける)人たちがつくった法案であるからです。

 おまけ。日刊ゲンダイからだけど。
「財界のマドンナ」炎上!? 
 奥谷禮子氏(56)の発言に非難ゴウゴウだ。人材派遣会社「ザ・アール」の社長にして、経済同友会理事ばかりか政府や自治体の委員にも就き、ローソンとか日本郵政の社外取締役も務める“財界のマドンナ”である。
 事の発端は、週刊東洋経済1月13日号のインタビュー記事。労働政策審議会の使用者側委員でもある奥谷氏が、日本版ホワイトカラー・エグゼンプションについて、こう話している。
〈さらなる長時間労働、過労死を招くという反発がありますが、だいたい経営者は、過労死するまで働けなんて言いませんからね。過労死を含めて、これは自己管理だと私は思います。ボクシングの選手と一緒〉〈自分でつらいなら、休みたいと自己主張すればいいのに、そんなことは言えない、とヘンな自己規制をしてしまって、周囲に促されないと休みも取れない。揚げ句、会社が悪い、上司が悪いと他人のせい〉
 さらに〈労働基準監督署も不要〉と切って捨てている。これに世間の労働者たちが噛み付いた。ネットの掲示板は批判の声で“炎上”。「労働者に死ねと言うのか」「実態を分かっていない」とか、奥谷氏個人に対する脅迫めいた書き込みであふれ返っている。


「ホワイトカラー・エグゼンプションは時期尚早」城繁幸

2007-02-08 12:50:58 | 時事
ホワイトカラー・エグゼンプションは時期尚早
管理職のマネジメント力を高めることが先


 筆者の城繁幸氏は『若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来』の著者(リンク先はamazon.co.jp)。

 経団連側の主張の論旨をもう少し深く読み込んでみたい。

 「ホワイトカラーの労働には、仕事の成果と労働時間の長さが必ずしも合致しないという特質がある。したがってホワイトカラーの労働に対しては、労働時間の長さではなく、役割・成果に応じて処遇を行っていく方が合理的である」(ホワイトカラー・エグゼンプションに関する提言:2005年6月)

 だから残業という概念を無くしてしまえ、というわけだ。

 実はこの主張、90年代後半に、日本企業が争って成果主義を導入した際の経営者たちの論理と全く同じである。「もう時間ではなく、成果で報酬に差をつけるべきだ」という考えは、1995年の「新時代の『日本的経営』」(旧日経連編)において既に見られるものだ。

 だが、アメリカから輸入された目標管理や裁量労働制は、企業現場に深刻な機能不全を引き起こしただけだった。ほとんどの日本企業は、いまだ年功序列に変わる成果型の人事制度を構築できていない。

失敗の原因は明らかだ。そもそも職能給をベースとする日本企業では、労働者間の業務の切り分けがきわめて曖昧(あいまい)であり、権限や責任の所在が不明確だという特徴がある。社内組織についても、長く続いた年功序列制度の結果、多くの序列とポストで階層化が進み、主任や課長といった序列には、もはや独自の裁量を振るう余地は少ないのが実情だ。人事権や予算権など業務上の権限を持っているのは、部長級以上の管理職層だけだろう。成果に対する責任を負わせるには、それを生むだけの権限が必須なのだ。それが、今も昔も、日本の会社員には欠けている。


そもそも日本型企業では、その組織のアウトプットである成果が明確に定義されていないことが多いのではなかろうか(役割が人に就くから、部長なり課長なりスタッフのメンバーが変われば、できる仕事の内容も質の高さも変わってしまう……のでは?)。チームで仕事をするという前提で、個々のメンバーに求められる責任や役割や能力については明確に定義されていない。結果として、できる人に皺寄せが行くような運用になる。

 外資系企業では、属人化されず、一旦は職務記述書や職務評価(そのポジションに就いている人の能力評価でなく、そもそもそのポジションはどのぐらいの専門性や問題解決能力を求められるのかを、標準化された職務の重み・大きさで測る)をやって、そのポジションに就いている人が標準スペックに比べてアウトプット(業績・成果)がどうかと評価される。一応、理論的には。弊害として、「自分の仕事さえできていればチーム全体のことはいい」とか、「それは私の仕事ではない」とかいう言葉が聞かれるようになるのだが。

 仮に現状のまま、ホワイトカラー・エグゼンプションを導入すればどうなるか。裁量なんて持たない圧倒的多数の会社員は、合法的に残業手当及び労働時間管理の対象から外されることになる。彼らの多くは、ただ定時退社することを目標とするだろうから、結果、業務は一部の優秀層に集中することになる。

 ここで問題となるのは、彼ら優秀層は自分の労働時間管理を自らで行わなければならないという点だ。労働者は自分の意志で働きたいだけ働くわけだから、何があっても自己責任。労災なんてハナから適用されないことになる。

(中略)

 ただ、成果は時間ではなく、質で測るべき時代だという点は、筆者も同意見だ。無駄な残業を減らせば、労使双方に余裕が生まれるという点も正しい。ではそれを担保するためにはどうアプローチすべきか。まず手をつけるべきはマネジメントだろう。

 「おまえは成果の割に、ダラダラ残業しすぎだ」、「この業務は必要ないからこっちを手伝え」と部下を指導し、コストカットに励むのは、上司たる管理職の本来の存在意義だ。そのためには当然、部下の仕事内容から働きぶりまで、きっちり把握することが必須となる。「そんな難しいことなんてできないよ」と言うのであれば、まして「部下の成果を質ではかる」なんて論外だろう。成果主義にせよホワイトカラー・エグゼンプションにせよ、求められるのは、まずは管理職のマネジメント能力なのだ。


 うーん、ちょっと違うかな。

 成果主義という名目を打ち出しておいて、成果とは何かということをきちんと社内でガイドラインとして落とし込まないトップマネジメント(とその会社の人事部)が一番悪いと私は思う。事業部制であれ、機能別組織であれ、社員や組織の個々の評価軸を曖昧にしたまま、中間管理職に判断を委ねるのが一番悪い。トップマネジメントがすべてを決められはしないだろうが、方針を定め、すり合わせるための話し合いを中間管理職とやっていくことを放棄すべきではない。

 それがあって初めて、管理職のマネジメント能力が問われることになるし、開発育成すべきだという話になる。

 中間管理職の能力不足にだけ成果主義の責任を求めるのは、おかしい。

 その点で城氏のコラムには全面的に賛成できないが、以下の点では賛成。

 その上で、日本全体に職務給と成果主義が普及し、各会社員が裁量を持って業務を切り回すビジネスパーソンへと進化した後で、ホワイトカラー・エグゼンプションは議論すればいい。経営側の努力義務をすっ飛ばして、いきなり労基法の制限を無くしてしまえというのは、まったく本末転倒な話だ。

 最後に1つ。現経団連会長はの御手洗冨士男氏は社長時代、「業務の妨げになるから」という理由で自社のフレックス勤務を廃止した前科がある。そんなお方が「従業員の裁量を尊重するべき」という理由で、ホワイトカラー・エグゼンプションの導入を推進しているのは、性質の悪いジョークとしか思えない。


 残業代を払わなくていいとなれば、立場が変われば考え方も変えられるということですかね。



改正雇均法 男性へのセクハラも禁止に

2007-02-08 12:50:40 | 時事
 4月1日に改正される男女雇用機会均等法に関する解説記事。

管理職のためのセクハラ・パワハラ対処法【第1回】
改正均等法で男性へのセクハラも対象に

 まず第1点は、事業主の措置義務です(改正均等法第11条)。均等法には従前、企業における事業主に対しては「配慮義務」しか課せられていませんでしたが、今回の改正により「措置義務」となりました。これは事業主に対して、セクハラの防止や対策に関する体制整備など、具体的な措置を講じることを義務づけたことになります。

(中略)

 改正ポイントの第2点は、男性に対するセクハラも対象となったということです(改正均等法第11条)。例えば、女性社員に向かって「女は職場の花でいい」「女性社員は職場で掃除、お茶汲みをすべきだ」といった発言をすると、セクハラに当たるとして問題になりました(人事院のガイドラインより)。

 男性社員に向かって「男のくせに根性がない」と言ったり、社員旅行で男性社員にいわゆる「裸踊り」を強要したりすることも、均等法上問題ある行為となります。


 まぁいいんじゃないですか。セクハラ防止の話をすると、男性社員から「なんで男にも『ハゲ』とか『デブ』というのを禁止にしないのか」と文句が出ることもありますから^^;。

 「裸踊り」禁止となると、業界によっては飲み会や宴会の慣行を変えなければならないかも……私のとこの業界でもごく一部にはそういうノリもあるようですが(私は営業現場から遠いので遭遇したことがないですが……)自粛を迫られるのでは(汗)。

第3点は、企業名の公表制度に「セクハラ対策違反」が追加されることです(改正均等法第30条)。

(中略)

 第4点は、セクハラの事案も紛争調整委員会の調停の対象となったことです(改正均等法第18条)。


この辺は特に違和感なし。

 また従前から変更がない点ですが、再度確認していただきたいのが以下の2点です。

 第1は、セクハラに関する指針における「労働者」とは、パートタイム労働者、契約社員など、事業主が雇用する労働者のすべてを言い、派遣先はいわゆる派遣社員についても、措置を講ずることが必要とされています。

 第2は、指針における「職場」とは、事業主が雇用する労働者が業務を遂行する場所を指し、取引先の事務所や取引先と打ち合わせするための飲食店、顧客の自宅などについても、もしこれらの場所でセクハラに当たる言動があった場合は、相談や適切な対応の対象となるということです。


 了解です。