玄米ごはん族のあしたのたのしみへ

玄米と野菜、果物で今日から明日へ。農業と穀物菜食の日々

全く変わらない食事

2020-03-25 03:28:25 | 健康
 玄米は副食も少ない。ほっておくと、副食はだんだん少なくなっていくが、主食の玄米は増えていく。そうして体が締まってしまう。
 白米はビタミンなど捨て去ったものなので副食で補うため、だんだん副食が増えていくが主食の白米は減っていく。これは、粉食と同じだろう。
 主食が完全なら副食はいらなくなってくる。

 どんなに小さい時に粗食でも大きくなってから主食が不完全なら満足感がないので、いつも同じだ、とか、動物性が足りないとか、米寿の言うことかとビックリしてしまう。

 玄米が主食なら、ワカメ、ネギ、味噌ぐらいで文句もない。万が一にはネギがなくなるかもしれないがその時はなくても我慢しておわりだ。
 玄米、ワカメ、味噌なら常備している保存食だ。
 しかし、微量要素欠乏の白米では何を食べても満足感はない。そこへ万が一となって生鮮食品、動物性が手に入らなくなるとーーーーーー勝手にして下さい、としか言いようがない。
 白米に保存食で微量要素を補えればそれで良いが。自分で作っている野菜が威力を発揮するか。

 満足感か不足感かは主食で決まる。何を主食にするかで大きく違う。どうせなら満足して。
 不足感、不満も内部原因だとわかる。どんなに量が入っても不満が残るのは主食が原因。
 
 内部ではなく外へ何かを追求する欲求。


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気心がわかっているように

2020-03-24 01:31:15 | 健康
 今回、生命にかかわる重大な決断があっという間に実行された。その結果、全世界が認める最良の結果が出ている。
 粒食の成果だ。

 玄米は小麦に比べ完全だ。必須アミノ酸をすべて持っている。玄米だけでも充分、元気ですごせる。
 自然食レストランでも玄米おにぎりに海苔をつけて少量の味噌でいただくメニューがある。家庭の味そのものだ。それでも、おにぎりは注文しないで副食が多い定食などにしている。
 穀物菜食人間はせっかくだから副食をたくさんいただきたいと思っている。体もゆるまってちょうど良い。出かけるといつもと違うことを求める。何か違うことの期待感。

 出かけるといっても父は病院で診察、検査してもらうのか楽しみだったが、パタッと行かなくなった。悲壮感たっぷりで通っていたのは、いったい何だったのか。はり薬も効き目がなかったが、お医者様を頼りにしていた。今年は暖冬のおかげかもしれないがピタリ行かなくなった。 
 最大の感染源には行かないほうが、と言っただけ。

 父に限らず高齢者は病院を避けるようになった、と後でわかった。
 見事な判断力だ。では、それまでの病院通いは何だったのか、ということはわきにおいても、この決断力はすごい。お医者様を信頼して通って、効果がなかったのにいっしょうけんめい通っていたのに、パタリと。
 本能が避けろ、と言ったようだ。

 本能は個人の感性の究極だ。粒々で食べる米が個々人の本能を育てる。バラバラで生きる知恵だ。
 粒を原形がわかる状態で食べていると個人の本能に磨きがかかる。その本能には草食動物にはない、助け合いの心が追加されている。群れをつくらないでバラバラであるがゆえに。
 小麦の粉食に比べ米のごはんはたとえ精米でも粒々が一つ一つわかり、一つ一つのエネルギーがまとまって体の栄養になる、と毎食に経験している。玄米ならバラバラだが足りないものはない。バラバラのほうが良いという考えもすぐに出てくる。まとまるのはうっとうしいの感じは粒食から出ている。
 小麦の粉食は原形はわからないほど練り込まれて加工もぐっと複雑、まとまっていて一体化している。ところが、足りないものがありそれは別の食物に求めることになる。まとまって一体化しているのに、まだ、足りない。どうやっても、足りないものがある。これが不安の考えに直結する。足りないものを何かで充足したい、という切なる思い。

 満足しているかそれとも不安にとりつかれるか、で分かれる。個々バラバラでも不安がなく満足。
 反対に一体化しても満足など無く不安でいっぱい。
 この正反対の感覚はすごい違いだ。
 粒食では、玄米ならバラバラで行こう、みんなで満足、が既定路線になる。白米でもある程度は。だが、少し不安があるかも知れない。父は治らないとわかっていても不安があるので病院通いだった。

 粒食で食べる米、できれば玄米を食べることで独立自尊の満足が得られ、不安がない。白米でも気持ちが落ち着くことは高齢者を見ればわかる。

 危機を乗り切ったのは

  個別分立で全体調和

簡単に言うと、

  個別本能で集団回避

 高齢者は粗食で育ったので成人してから白米でも体が丈夫で本能は曇らなかった、ということがわかった。

 まとめると、

 成長期の粗食で体が丈夫になることはわかっていたが本能も健全になっていることがはっきりした。

 
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広々と感じるお店

2020-03-23 01:25:03 | 健康
 自然食品や自然食レストラン、カフェはお客さんがたいへん少ない。今回の騒動でも何も影響がない、と思えるほどいつもの通りで少ない。時間帯にもよるのだろうが、よくこれで店を開いていられるなあ、と感心している。

 いつも、せいせいしてのんびりできる。気分転換に最高、食事も最高。それにもかかわらずお客さんがいないことの方が多いような。
 家では主食7:副食3の割合でいただいている。この割合の自然食レストランはあまりない。たいがい割合が逆になっていて主食2:副食8ぐらいになって副食がたいへん多いので、締まった体の人間にはピッタリ、体がゆるんで気持ちが良くなりリピーターになっている。

 副食を主食以上に多く取るのは粉食の習慣だ。
 小麦は必須アミノ酸が1個足りない。足りない1個のために副食に高カロリー食をたくさんとるようになる。
 玄米はすべて持っている。
 自然食レストランはたいがい玄米を提供している。玄米には副食などいらないぐらいだが、メニューは副食が多く選ぶのに迷ってしまう。これは最高の時間。
 女性のお客さんが多いのも、家で締まった体を自然食レストランの副食でゆるめるためかもしれない。

 もし、体をゆるめるメニューが自然食レストランなら、一般の普通の人が外食に求めるものは体を締める料理かもしれない。お客さんの入り具合を見ると体を締める料理が必要なので、反対にゆるめる料理の自然食レストランは人気がない、と思える。
 高カロリー食をつねに取っている人は、体を締める料理が好きなのだろう。信じられないことだが。

 高カロリー食で体がゆるまるなんて、本当かどうか。自然食レストラン以外には、うどん、そばのお店以外に行ったことがないのでこの結論はどうもあやしい。
 この結論では、オリンピックで高カロリー食の外国の選手が食事に行くところは、自然食レストランではない、ビシッと締める料理屋さんへいって楽しむ、となってしまう。

 それ以前に、東京、茨城に選手が来るかどうか。それより渡航できるかどうか。暖かくなればおさまるはずだが。
 
 キーパーツの日本。全世界の基幹になっている日本。暑くなってから劇的な物流正常化。
 その中で通常通り変わりない、ずうっとお客さんが少ない最高のーーー長続きしてください。

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体を資産にできた人

2020-03-21 02:00:32 | 健康
 粒食か粉食で分けると、今まで、なぜ、と思っていたことがスッキリ説明できる。

 成長期はたった十数年、20歳で終わり。その期間の食事が粗食か美食でその後の人生が変わる。粗食ですごしていると、人生は資産になり、美食では負債になる。
 資産の人生が父、負債の人生がものぐさ人間。

 今回の騒動で、世界を見ると食事が粒食か粉食かで分かれることがわかった。
 粉食=小麦=肉食
 粒食=米=粉食より少ない肉、魚 
 感染が広がっているところは粉食だ。

 冬になり汗が出なくなって食べ物でたまった毒が行き場が無くなり肺に集中するようになるとインフルエンザの症状が出る。毒を人体が排毒できないでいるのでウィルスを作り出し毒の分解をさせて排出することで様々な症状が出る。食べ物を改めれば良いだけ。
 排毒ができない高齢者や持病のある人はあきらめることになる。若い人は排毒できるので感染しても無自覚か症状が軽い。
 根本的な原因は排毒できない、ということだ。長年の食習慣が排毒を困難にしている。
 副次的な原因は儀礼的な習慣の違いだ。

 粉食は小麦を粉にして、練り込んで、発酵させたり、伸ばしたりして食べる方法。粒食は米を粒のままで食べる方法。
 粉にして練り込むと原形が無くなり一体化する。粒のままでは最後までバラバラだ。
 一体化すると挨拶も濃厚になる。バラバラでは非接触のお辞儀だ。

 咳で飛んだウィルスは活性化している。汗から出るウィルスは毒といっしょに分解されたものだ。
 活性化したウィルスがうつるとたいへんなことになる。若い人はうつってもたいしたことはないが、高齢者や持病のある人は非接触のお辞儀ですませた方が良いがそうもいかないようだ。
 粒食の高齢者は排毒がうまくいっているので粉食のところのような爆発的な危険な数字にはならない。

 こうして考えると、オリンピックは若い人中心なので問題ない。汗をかくようになればますます問題がなくなる。念のため今やっていることとは反対に高齢者が引っ込んで若い人が出てくれば良いだけ。高齢者が今回病院を避けているようにオリンピックの時もオリンピック会場を避ければ良いだけ。
 
 ところが、わが国の高齢者は粗食で育った頑丈な体が資産の方が多いのでオリンピックを避ける必要などないので安心だ。

 ビックリするような結論になった。


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少数の粒食、多数の粉食

2020-03-20 00:26:03 | 健康
 すごいスピードで感染が広がっているところと、ほぼ一定のところの違いを、粉食か粒食かどちらかに分けることができる。
 粒食は粒を丸ごと、粉食はねって膨らませたり伸ばしたり。これだけでも粉食の濃厚な接触から混合させたものへ、一体感も大きい。
 反対に粒食の原形保持、バラバラ感。
 食べる前から何となく結果がそうなのか、と納得できてしまう。
 美食か粗食の違い以前の、粉食か粒食で分けると、製造過程からして反対だ、とわかった。
 こうして考えると食事の違いから習慣も相当違うだろう、反対だろうと想像できる。

 食べるものが粉食のように濃厚な混合物なら習慣も濃厚そのもののお付き合い、ご挨拶になる。粒食は原形保持でバラバラなので、挨拶も非接触のお辞儀だ。

 原形保持か濃密混合か、どちらかだが、感染が一定になったところは少数だが粒食に分けられる。それ以外の多数の国は粉食。
 食事以前の、食べ物の製造工程が作った習慣の違いだ。

 製造工程の違いが習慣の違いになる。粉か粒。習間は反対になる。

 穀物菜食の生活ではお付き合いが疎遠になる。自分で疎遠にしているのだが誰も、出てこい、などと強制はしない。それで差し障りなく会話に加えてもらっている

 国どうしははたしてどうか。多数の国にたいし少数も少数。多数の国が模範にしていただけると良いが。

 数字の小さいこと、本当にすごいことです。

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