一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

「理系」の問題

2007-07-03 | よしなしごと
「ゆとり教育」が本格化してから教育を受けた子供が大学生になりはじめています。

大学の講師をしている友人は、学校から「今年の新入生は違いますよ」と言われたのでどんなものかと興味を持って講義に当たったところ、コミュニケーション能力を磨くことに主眼を置いた教育を受けているせいか、皆一様に明朗快活、活発に発言するのに驚いたそうです。
皆講義内容を理解していないことに悪びれずに質問や発言をするのでアメリカの学生に講義をしているような感じがしたそうです。


一方で学力。

某国立大学の工学部で教えている友人も、教養過程では高校の物理の復習からはじめているとか。なにしろ入試科目で選択しなくても済むのだからまともに勉強したことがない、という工学部生がぞろぞろいるらしいです(あ、この話前に書いてますね)。

東大でも教養学部で理科一類では専門学部の授業についていけるように、高校の物理の補講を始めたとか。


ただ、問題は学習指導要領とか受験制度だけではないようです。

7,8年シリコンバレーでベンチャー企業に参加していて、一昨年日本に戻ってきて、某大手メーカーの研究所の管理職になった友人の話では、転職して給料が2割下がったそうです。
そのベンチャー企業もIPOまでには至らなかったそうですが、投資家はスタートアップの企業に優秀な人材を集めるために、技術者の給料の相場はそこそこ(かなり)高いとか。


学生、特に「理系」の学力ひいては日本の基礎技術の衰退が問題視されていますが、そもそも日本では経済合理性だけ考えれば理系に進学するのはペイしない、というお金の配分の偏りの問題もありそうです。

ソフトウエア業界は別として、基礎技術や製造技術に関しては、優秀な技術者大手メーカーが囲い込んでしまう、逆に言えば面白そうな技術を研究するには大学に残るか大手メーカーに行って徒弟制度と安い給料に甘んじないといけないという構造があるようです。

青色ダイオード事件以来、職務発明についての報酬制度は充実してきたようですが、実際に数十、数百億単位の収益を上げる特許などは(当然ながら)そう簡単に発明できるものではないとか(そりゃそうだ・・・)。


何かというと「給料もらいすぎ」と格差社会パラノイア的な批判がされる昨今ですが、もっとしかるべき人々にきちんとお金が回るような世の中にしていくことの方が大事なのではないかな、と思います。

企業に関しては「ヒト・モノ・カネ」とよく言われますが、学問・基礎研究の世界もその3つのバランスがとれていないといけないという、考えてみれば当たり前のことなのでしょう。

もっともそれはお上の政策でどうにかなるというものではなく、雇用の流動化や企業から独立して起業する人の増加などで徐々に世の中の仕組みが変わっていくことでしか実現しないのかもしれません。


コメント
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