高橋是清といえば、昭和金融恐慌のときにモラトリアムを実施・金輸出再禁止などを行い、軍事予算を縮小して二・二六事件で暗殺されたという知識しかなかったのですが、そこに至るまでの波乱に富んだ前半生についての自伝です。
幕末に生まれて足軽の家に養子に出された少年が、英語を学ぶために横浜のホテルのボーイになり、海外行きたさに貨物船に忍び込んだもののアメリカの仲介者に奴隷として売買され、やがて帰国後英語教師から特許庁の創設に携わるなどしたもののペルーの銀山開発で身代を失い、その後横浜正金銀行から日銀と銀行家として再起し、日露戦争のために外国で起債を成功させるまで(こう書くだけでも波乱万丈ですね)が描かれています。
本人の日記を元に口伝したものを自伝としたために、当時のことが細部に至るまで語られています。
明治の日本が欧米にキャッチアップしようと努力した様子がリアルに描かれ、しかも当時の日本人が臆することなく自分の立場を主張していた様子を読むと、今の「グローバルスタンダード」に戦々恐々とするわが国と比較して感慨を覚えます(感慨を覚えてる暇はないのですがw)。
たとえば、特許制度の創設に向けて欧米を視察していたとき
ベルリン滞在中京都の織物の旧家川島という人に二、三回会った。この人は自分の家に昔から伝わっている織物や布地の見本を携えて注文を取って廻っていた。この人が自分の経験で感じたことだといって話すのには「いずれ日本でも意匠の保護をすることになるであろうが、それについて最も注意せねばならぬことは、図柄と色の配置とを区別して考えねばならぬことである。日本では図柄の保護ばかりでなく、むしろ色の配置の保護に重きを置く必要がある。私の織物や布地の意匠はドイツやフランスでたびたび盗まれている。あす私が見本を送るからよく比較して見て下さい」とて翌日になって見本を送ってきたが、見るとなるほど図柄よりも色の配置が大切であることを深く感じた。
今の川島織物セルコンですね。自分の商品に自信を持ち、自らを守るために見ず知らずの新しい概念を積極的に取り入れようという積極的な姿勢は見習うべきものがありますね。
また、後半のハイライトである日露戦争の戦費調達のための外債発行。
高橋是清は国の全権代理人として起債のために欧米を回ります。
今で言う(昔もそういったのかもしれませんが)Roadshowですね。
引き受け幹事を誰にするかによって売れ行きが左右されること、起債が成功裏に終わると金融機関が群がってくる中で、既存の幹事との信頼関係を維持しながら新たなマーケットを開拓する苦労、そして、日本国内で発行した債券を海外に持ち出して外債との鞘取りをしようとする連中など、金をめぐっての振る舞いは現在とほとんど共通することがうかがえます。
当時東洋の弱小国だった日本が国家予算規模の起債を行なうことは当時の金融市場としては無謀ともいえる行為だったと思います。
あとで振り返ったから言えるという部分もあるのでしょうが、それを堂々と実現してしまったところは、本人の才覚もあるのでしょうが、当時の日本の国としての若さを感じます。
今の方が資金調達は格段に容易になっているのですが、容易になった代わりに、幹事の証券会社などに多額のフィーを払っているわけで、それが進歩といえるのか、と考えてしまいます。
まあ、そんなことを言ってもタイムマシンがあるわけでもなし、いつの時代にいたとしてもでも「文句言い」は文句言いにあいかなれないでしょうから、今いるところで精一杯がんばりましょう、ということですね。
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