きちんと防虫剤を入れておったら虫のごちそうにならなかったものを‥‥
『 タンスの肥やし 』になっている大昔の着物が 今は着られることが皆無となり眠っています。
40年前 嫁入るときに親が持たしてくれたもので 高価なものはないけれど 娘が肩身が狭くないように
と楽ではない暮らしの中から 揃えてくれたものです。
これをなんとかせにゃいかん 捨てるのは親にも申し訳ない と考えており
着物をほどき それを洋服や小物にリフォームしたい との思いで教えてくれる先生を探しておりました。
れもんさんが骨を折ってくれ『 物静かで熱心に教えてくれる先生 』という生徒の難しい注文に
ぴったりの先生を見つけてくれました。
高知市の私立女子校出身の私は 皆に「 お裁縫は得意でしょう? 」と聞かれるけれど 全然ダメで
家庭科の授業は苦手でした。
女子中・高らしく 毎年 生徒が縫ったものをバザーで売る という学校行事が
今でも110年の伝統行事として続いており 材料代のみで売るこのバザーは
当時 全校生徒1800名ほどの作品が並ぶため 圧巻で人気がありました。
低学年は 枕カバーに刺繍をしたもの程度でよく しかし これは高知市内の旅館の方が
毎年買っていきました。
学年が上がるにつれ作品がむずかしくなり シンキ臭いことがきらいな娘のために このバザー作品作りは
母やおばあちゃんの仕事となりました。
バザー当日 母は学校に来て 娘に聞いている教室にいき 自分の作った作品を買って帰ります。
これは 売れ残って娘が恥ずかしい思いをしないように との親心か または自分の作った作品が残ることは
しのびなかった かもしれません。
この着物リフォームの案は 同じプール仲間のAさんも考えており 月2回の洋裁教室に
『 六十の手習い 』としていっしょに行くことになりました。
まずウールの着物をほどき チュニックというか 子供の上っ張りのような上着を縫うことになり
先生の「 簡単にほどけます 」は縫物のできる人の能力で 運針から始めなければならぬ1年生は
たっぷり5時間近くかかり 1度も袖を通すことがなく シツケのついた着物をほどきました。
おばあちゃんが 一針一針心をこめて縫い上げた着物は どれもこれも
「 これがたまるか! 」と思われるほど赤く また大きな花柄のものが多く
23で嫁ぐ若い孫娘も 40年たてば63になるという思いはまるでなかったらしく
とっても派手派手でございます。
同年代のAさんも同じで 赤赤 派手派手の作品を 還暦過ぎの2人が着ようではないか
と思っております。
ズボラな私は 防虫剤もきちんと入れてなかったため 虫食いのものもあるが
ま 気にしない 気にしない とにかく続けよう 2人励ましあって進んでいこうではないか!
もおっ! ヤ~メタ とならないよう自分に言い聞かせ
前の夜 ロイズチョコの空き箱に 買いそろえた裁縫道具を詰め さあ 用意はできました。
どうぞ 続きますように‥‥
ファイトぉ! くりまんじゅうぅぅ!!