くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

お泊り忘年会。

2012-12-16 | 日記
  
  
  
  

             先日 忘年会の練習会をしたメンバーで お泊り忘年会の本番です。

           土曜の夜は込むだろう とトンボと早めに着きお風呂も済み 皆を待ちます。

           昨年は 最上階の洋食でやったため お習いごとを披露できなかった とメンバーより苦情があがり

           例年にもどり座敷での 土佐スタイル となりました。

           メンバー全員が定年退職をし それぞれ皆が趣味の道に精出しており 詩吟を唄う者

           それにあわせ踊る者 あるいはカラオケ教室での成果を披露する者 また 高知県出身の

           演歌歌手 三山ひろし のおっかけマダムもおり 彼女は歌手が高知公演のときは

           うしろで踊るバックダンサーをしているとのことで 名前入りのハッピをいつも持参しております。

           そして 歌手が今年の紅白にもれたことを 嘆き悲しみ憤慨しておりました。

           また この席で披露するため ギターの猛練習を積んだ者もおり

           さて トンボ夫婦はというと無芸大食で 披露するものがなにもなく‥‥

           と思っていたら トンボが歌を唄うとのことで それが 『ジュピター』と『つぐない』を

           切々と唄い 皆さまの喝さいをあびておりました。

           驚いたねぇ   朝の 五台山行きのアイポッドで覚えたらしい。

           あと20年はだれも欠けることなく お泊り忘年会をやろうではないか 車イスになっても出席しよう!

           と皆で誓い 翌朝 海から昇った朝日に見送られ帰ってきたのでありました。
 

           


 
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六十の手習い。

2012-12-15 | 日記

 
  きちんと防虫剤を入れておったら虫のごちそうにならなかったものを‥‥

『 タンスの肥やし 』になっている大昔の着物が 今は着られることが皆無となり眠っています。

40年前 嫁入るときに親が持たしてくれたもので 高価なものはないけれど 娘が肩身が狭くないように


と楽ではない暮らしの中から 揃えてくれたものです。

これをなんとかせにゃいかん 捨てるのは親にも申し訳ない と考えており

着物をほどき それを洋服や小物にリフォームしたい との思いで教えてくれる先生を探しておりました。

れもんさんが骨を折ってくれ『 物静かで熱心に教えてくれる先生 』という生徒の難しい注文に

ぴったりの先生を見つけてくれました。

高知市の私立女子校出身の私は 皆に「 お裁縫は得意でしょう? 」と聞かれるけれど 全然ダメで

家庭科の授業は苦手でした。

女子中・高らしく 毎年 生徒が縫ったものをバザーで売る という学校行事が

今でも110年の伝統行事として続いており 材料代のみで売るこのバザーは
         
当時 全校生徒1800名ほどの作品が並ぶため 圧巻で人気がありました。 

低学年は 枕カバーに刺繍をしたもの程度でよく しかし これは高知市内の旅館の方が

毎年買っていきました。
                      
学年が上がるにつれ作品がむずかしくなり シンキ臭いことがきらいな娘のために このバザー作品作りは

母やおばあちゃんの仕事となりました。

バザー当日 母は学校に来て 娘に聞いている教室にいき 自分の作った作品を買って帰ります。

これは 売れ残って娘が恥ずかしい思いをしないように との親心か または自分の作った作品が残ることは

しのびなかった かもしれません。

この着物リフォームの案は 同じプール仲間のAさんも考えており 月2回の洋裁教室に 

『 六十の手習い 』としていっしょに行くことになりました。

まずウールの着物をほどき チュニックというか 子供の上っ張りのような上着を縫うことになり

先生の「 簡単にほどけます 」は縫物のできる人の能力で 運針から始めなければならぬ1年生は

たっぷり5時間近くかかり 1度も袖を通すことがなく シツケのついた着物をほどきました。

おばあちゃんが 一針一針心をこめて縫い上げた着物は どれもこれも 

「 これがたまるか! 」と思われるほど赤く また大きな花柄のものが多く 

23で嫁ぐ若い孫娘も 40年たてば63になるという思いはまるでなかったらしく

とっても派手派手でございます。

同年代のAさんも同じで 赤赤 派手派手の作品を 還暦過ぎの2人が着ようではないか

と思っております。

ズボラな私は 防虫剤もきちんと入れてなかったため 虫食いのものもあるが 

ま 気にしない 気にしない とにかく続けよう 2人励ましあって進んでいこうではないか!

もおっ! ヤ~メタ  とならないよう自分に言い聞かせ 

前の夜 ロイズチョコの空き箱に 買いそろえた裁縫道具を詰め さあ 用意はできました。
 
どうぞ 続きますように‥‥

ファイトぉ!    くりまんじゅうぅぅ!! 

 


                

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ごはん。

2012-12-14 | 日記
      
 
                 いつものように3合のご飯を炊き 10分蒸らして炊飯器の蓋をあけ

              いつものようにシャモジでほぐすとき  アレッ  と思いました。

              えらく柔らかいではないか  とね。

              水の分量を1キザ間違えたのであります。

              結婚以来 ほぼ毎日ご飯は炊いており これが40年近く続いている中で

              水の分量を間違えたことは一度もなく

              思わず   ゾ~~ン  と背筋が寒くなりました。

              あたしゃ呆けたのではないか  とね。

              ご飯を炊くという作業は 朝起きて顔を洗う というようなごく当たり前の

              日常生活の一部になっており なんにも考えずにやっていたけれど 

              これからは 水の分量を間違えないように とここにも神経を使わなければなりません。

              サントリーの 頭にも効くというサプリを飲んでみようか ちょっとお高いけれど

              と真剣に考えながら トンボと柔らかいご飯を食べたのであります。



                       

                 高知市のある小学校です。

              運動場のフェンスにかけてありました。

              イカ の お す し

              ええねぇ  うまいねぇ  ざぶとん2枚!
 
               

                
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ひよこ組忘年会。

2012-12-13 | 日記
         

                 月一で プールひよこ組はランチ会をしており 今月の例会は 昼忘年会となりました。

             今回は プレゼントの交換会をすることになり 手芸のできる者は気のきいた小物を作り

             料理の得意な者は常備菜を作り お菓子の先生はケーキを焼き という武器があるものの

             なんの得意分野ももたぬ者は 2-3の店をまわりプレゼントを探す ということになります。

             ただし 500円という設定額があり この金額でのプレゼントはとてもむずかしい。

             それでも かわいい箱に和柄の足袋ソックスを2足入れ すき間におしゃれなチョコレートを詰め

             なんとか仕上げました。

             総勢15名と今回はとても多く 時々しかプールへ来られないメンバーも参加し レストランも

             気をきかせ別室を用意してくれ これは声を張りあげる土佐女にはとてもありがたい。

             メンバーは40代が2名 50代が4名 あとは60代のマダムが大半を占め そして

             オオトリは 90歳の 美空ひばり が君臨し黒一点の会員も毎回参加してくれ 

             皆に 「 こうちゃん 」 と呼ばれています。

             これは彼を  北島康介  になぞらえて メンバー全員がそう呼んでいるのです。

             皆 食べて飲み ぺちゃくちゃと3時間  店からお茶が出てお開きとなります。

             大半がサンデー毎日のマダムですが 若いメンバーはパートの仕事をしている者もおり

             それぞれが 家庭や仕事 また子供や姑 との軋轢を抱えている  といったなんの悩みもない

             という者はおらず プールで思いっきり泳ぎ こうして大声で話し 涙が出るほど笑い

             何ごともなかったかのように 日常に帰っていくのです。

             母の時代には考えられなかった このようなストレス解消時間が 現代では絶対に必要と思われます。



                     
 
                全部食べたら イソップ童話の 腹がはじけるカエルのようになりました。

             弱ったねぇ  食欲‥‥

             うれしくもあり  また悲しくもあり‥‥ なのです。
  

           

                
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山芋名人。

2012-12-12 | 日記

 

朝の散歩は山道を通るため 山に自生している山芋がたくさんあります。

多くは高い木にまきつき 葉はきれいに色づいています。

これを見ると 山に住んでいたころを思い出します。

山芋名人のおじさんは 毎年 葉っぱが色づくのを楽しみにしておりました。

まず 場所が掘りやすい傾斜であること 芋の生育状態が良い赤土系の土地であること

とどこでも良いわけではなく 名人にはこだわりがあるのです。

たいていが1人での作業ですので この時期 狩猟の解禁時期と重なるため 鉄砲撃ちに

イノシシと間違われての事故を防ぐため ラジオを持っていくこと。

彼は 若いころより山芋を掘っていたため 当時 高級品の携帯ラジオは買えず

昔は 大声で歌を唄いながら作業をした と言っておりました。

芋の曲がり具合に添い 長時間かけて掘り取られた山芋は 折れないように添え木をして
            
丁寧にひもをかけ これで作業は完了となります。

たまに「土佐のさと」などで曲がりくねった長い山芋に 丁寧に添え木をしたものが

売られており 数千円とびっくりする値段がついているのは 長時間かかった人件費と思われます。

山芋名人のおじさんは 今年の作業を終えると 木の上の葉っぱを見て

ツルをたどり 根元にポケットに入れてきた麦の種をまきます。

山芋はやがて葉を落とし真冬をむかえ ツルは枯れ落ち 地上からは姿を消し

その年は暮れていきます。

やがて早春のころ 目印の麦は芽吹き まだ周辺が枯色の山の中で そこだけ青々と

みずみずしく育っています。

この目印を見て おじさんはまた山芋を掘ります。

こうして 人と自然の歳時記はすぎていきました。

こんな風物詩のような光景は 今では滅多に見ることができなくなりました。



               

明け方の東の空に大きく 明けの明星が見られます。

五台山上にかがやく この金星を撮りたく 数日前から撮っておりましたが

トンボが言うには デジカメでは無理とのこと。

明け方の写真ですが 下弦の月と金星が う~ん 望んだ映像の半分も撮れんねぇ。
   

                

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