くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

母のロマンス。

2012-12-07 | 日記

                         

母の病院の日です。

月に一度 2つの病院へ行き 2ヶ月に一度眼科へ行きます。

まず 認知症の心療内科です。
               
先生は まず 母のブローチをほめ 髪型をほめます。

次に 今は何月か聞き 年齢を聞きます。

この質問はクリアでき 次に 現在の時間を聞きます。

母は 腕時計を見て これも正確に答えます。

先生が 「○○さん いい時計をしていますねえ」 と言うと

母は この時計は 女学生のころ 広島へ挺身隊でいく前に 夫が買ってくれたもので

軍需工場で働いていたが 肋膜を患い 一人さきに高知へ帰された 

その後 広島には原爆が投下された と言います。

「あんた 挺身隊とはなにか知ってますか?」と先生は脇の看護婦に聞きます。

「ていしんたい? 知りません」と看護婦。

昭和2年生まれの母は 戦争中は女学生で 女子挺身隊として広島の軍需工場で

勤労奉仕をし 途中で肋膜の病気をして 一人さきに高知へ帰された という話は

子供のころから聞かされておりました。

しかし 腕時計は半年ほど前 私が1,000円ショップで買い 母の腕にはめたものです。

それと 終戦後 復員した父と見合い結婚した母は 挺身隊時代には父は戦地におり

お互いが知らない仲です。

「その時計はね」と言いかける私に 言うなと先生が目で制します。

あと少しで金婚式を迎えるはずだった母は この式典に出席することを楽しみにしておりましたが

突然の父の死で それは叶いませんでした。

父が逝って15年たち 母も85歳になり 娘は60歳を越えました。

母の心の中には 今でもしっかり父が生きており それも若々しいころの父の姿が

刻み込まれているのです。

生きているときはケンカもしていたけれど 亡くなると 夫のいいところばかりが

記憶に残り 戦争中は軍需工場での勤労奉仕 と今では考えられない青春時代を送った母は

若き日の父が 女学生の母に渡したプレゼントの腕時計 という大切なロマンスとして

しっかり頭に植えつけられ 美しい思い出となり残っています。 

母ちゃん幸せだね と母の横顔をながめ 娘は帰っていきました。


    

                    

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする