流派や分野を超えた、札幌や江別在住の書家5人による2度目のグループ展。
きっかけは、2003年、「札幌の美術 19+1の試み」にこの5人が出品したこと(いまは札幌芸術の森美術館でおもに冬季に開かれる「札幌美術展」は、21世紀はじめには札幌市民ギャラリーで開かれ、評論家や学芸員が出品者を選抜していたため、かなり先鋭的な顔ぶれであった)。
5年後にふたたび5人がコンチネンタルギャラリーに集まり、そしてさらに5年後の今回で、活動に一区切りつけるとのことである。
今回は「眼」という共通テーマに沿った作品を1点ずつと、それ以外の作品をひとり2~4点出品している。
いちおう分野をいえば、遠藤香峰さんと須田廣充さんは近代詩文、大川壽美子さんはかな、竹下青蘭さんは前衛、吉田敏子さんは墨象ということになるが、そういう垣根を取り払って実験的なことにも取り組める場としても、このグループ展は機能しているようだ。
(余談めくが、実力者が5人そろっているのに、北海道書道展出品者が須田さんと大川さんの2人だけというのもおもしろい)
5日のギャラリートークにおじゃましてきたので、そこで聞いた話を交えながら、作品を紹介したい。なお、画像枚数が人によって1枚だったり2枚だったりしているが、これは深い意味はない。
まず、竹下青蘭さん。
前衛書は道内では函館や帯広がわりあい盛んだが、札幌では竹下さんとその生徒さんがいるくらい。北海道書道展に「墨象」の部門はあっても「前衛」の部門がないことも、もしかしたら関係あるかもしれない。「可読性」「文字」を離れて(あるいはカッコに入れて)かかれた書である。
「視界・何処へ」
自分の作品はこれからどうなっていくのか、自分はこれからどこへ行くのだろう―という気持ちが根底にある作品。乗っていた飛行機が突然雲の中に入っていつまでも外に出ず、ときおり海とも空ともわからない遠くが見えるだけ…という、一種心象風景のようなものという。
前衛書に限らず、淡墨と濃い墨を同じ作品内で使用することは一般的ではないという。確かに、抽象絵画のようでもある。しかし、最後に引いた濃い墨の横線の一回性は確かに書の線であることを物語っていると思うし、新しい表現領域に乗り出していると思う。
左は「面より線へ 潮騒」の2枚組み。右は「光を求めて」。
「潮騒」のほうも、複数の種類の墨を用いている。竹下さんはかなも好きで、美しい料紙を自分で作るようなつもりで、上部の模様部分を書いてみたという。
また余談っぽくなるが、「潮騒」という題は5月につけたが、その後「あまちゃん」の「潮騒のメモリーズ」がヒットして、この2枚組みを「アキちゃん」「ユイちゃん」を表現したものだと思った人がいたらしい(笑)。まあ、新宿眼科画廊で「あま絵」のグループ展が開かれたくらいだから、そういう書もあっていいかも。
「光を求めて」は、文字を書いているわけではないのに、なんとなく漢字っぽく見えるし、読もうと思えば読むことすら可能だとも感じられる。
これは、竹下さんが日々ひたすら漢字を臨書して練習しているからで、「体の中にいつのまにかしみついてしまった。やはり漢字はバランスというか、安定した形をしているので」。
次は須田さん。
「4点並べてみて、騒がしさに自分でもあきれてしまう」と話していた須田さん。
「白がきれいに見えるよう書きたい。落款の位置も含め、白を生かすよう、考えながらやっています」
いちばん手前は「圓空佛―圓空は仏法の戦士樹の声を聴く―」。
この春、東京で開かれていた円空展に触発されて書いた作品で、真ん中に、縦に2本引かれた線は、円空の木をイメージしてぱっと書いたもの。文字ではない。筆ではなく、ペンキを塗るローラーに墨を含ませて使っているとのこと。かすれがうまいぐあいに出ている。
文字の部分は、硬い毛とやわらかい毛の筆を同時に用いている。
次の作品「麒麟之翼」は、麒麟という文字を書きたくて4字熟語を探したが、適当なものが見つからず、東野圭吾の小説の題を書いたという、パネル4枚からなる作。
墨を吸い込まない特殊な紙を使っている。
4字熟語を書くときは「起承転結」を考えるが、ここでは「之」が「転」となった。そして、ふつうは後半か末尾に押す落款をあえて「麟」のところにした。
3枚目の「抱甕」は、老子から。おろかな行為の謂。
大きさの感覚を狙って、一部わざと紙からはみ出させて書いた。
最後は「五風十雨」。
良寛風というか、とらわれない気持ちで書いた。意識が出ているほかの作品に比べ、肩の力が抜けて、個人的には一番好きと、須田さんは話す。
個人的には、「麒麟之翼」の大胆さにひかれる。「之」は、「りゅう座」のようにうねっている。
あと、「圓空」は正字(いわゆる旧漢字)を通し、「仏」は新字と正字の両方をまぜて使っているのにはなにか意味があるのか、尋ねてみたかった。
次は遠藤さん。
遠藤さんは「心眼」がいちばん大きく、象形文字による造形が光っていた。会場でも「これがいちばん好き」という声が聞かれた。しかし、都合で、写真は次の2作。
左は「貝がらの中で残りの夏が燃えている」。
誰のことばかはっきりしないそうだが、いわゆる近代詩文とはやや異なる筆法。かなり太く書いているのに、ぎゅうぎゅう詰めの感じがしない、不思議な魅力のある作品だと思う。
墨を深く、動きも大きくということを意識して書いた―と遠藤さん。「あたたかさを表現したかった。淡々と、あまりいろんなことを考えず、筆をおいていくようなつもりで、横よりも縦の動きで書いた」とのこと。
右は「心魄」。「心」が小さく「魄」がずいぶん大きい。
二つの文字が別々になるのではなく一つのかたまりとなるよう書こうとした。ここをくっつけようとか、そういうことは事前には考えず、空間を大きくつかみながら、自分を思い切りぶつけてみた―と遠藤さんは話す。
この作品はますます近代詩文書というより、墨象のようである。
次は、大川さん。
斉藤史の短歌4首。
5日のトークには、函館美術館の書展の準備のため、姿を見せることができなかった。
まず、一般的に、この正方形のサイズにかなを書くということ自体、異例だと思う。
そして、次の
「ふりむけばわが来し方は何の色 つねに風吹く背後なりしかな」
で驚かされたのは、こんな渇筆のところから始める? というところ。
この作に限らず、潤渇のリズムがどれも破調で、目が離せない。
かなの場合、一般的には連綿を優先して、可読性は考慮しない。そして配置が重んじられる。
大川さんは、連綿よりも一字ずつの独立性を考えるため、一見近代詩文のようにも見える。
ほかの作品は次のとおり。
ぬば玉の黒羽蜻蛉は水の上 ははに見えねばつぐこともない
まこと今なにかほろびていくなれば ひたすらに沁む花の紅
生きゆくはみな修羅ながら鬣の金色にかがやくものの羨しさ
この4首目の配置も斬新きわまる。
紙を上下半分に断ち切り、右上を大胆に空け、5句目のみを右上に書いている。
最後は吉田さん。
近年は、絵画や彫刻など他分野の人と組んで国内外で発表を重ねる一方、札幌や銀座での個展、師の森田子龍に臨書を学んだ記録を本にまとめて出すなど、精力的に活動しているとのこと。
左から「毬」「生」「呼」「樹」。
「毬」は、「寛」のあと、しばらく取り組んでいる文字。
「樹」などは、古い筆を用いている。もう毛がどんどん抜けておりてきている状態で、それをあえて使っているときくと、ふしぎな線の出る理由がわかる。
「不自由さというのが、気に入っている」
吉田さんは墨人会に所属してずっと、ボンドを混ぜた墨を使ってきたが、疑問がわいてきて、いろいろな墨を使うようになってきたという。いったんボンド墨を離れることで、仲間のボンド墨の良さがあらためてわかってきたという。
もっとも、会場からは「ボンド墨の太い文字の方が好き」「毬の字はわざとらしさがある。なんで毛と求をあんなに離すのか」などの声もあり、かように忌憚のない意見が飛び交うのも、この会らしい。
ともかく、非常に見ごたえのある書展であった。
2013年9月24日(火)~10月6日(日)午前10時~午後6時(最終日~午後5時)
コンチネンタルギャラリー(札幌市中央区南1西11 コンチネンタルギャラリー地下)
※アクセス、地図は末尾に。駐車場は中通り側にあります
■交錯する眼差しの方へ 遠藤香峰・大川壽美子・須田廣充・竹下青蘭・吉田敏子 書展 (2008年)※テキストは未完のままです。申し訳ありません。
■札幌の美術 2003 ※画像なし
■第37回北海道書道連盟展 (2008)※大川さん、竹下さんに言及。画像なし
■10人の書展(2010年6月)※大川さん、須田さんが出品
【告知】須田廣充書展 韻律の中へ-草野心平詩より- (2011)※画像なし
■第32回高書研展(2007年)※画像なし
■須田廣充書展「アメリカ・インディアンの聖なる大地の教えより」(2004年)
■第6回青青社書展(2010) ※竹下さんのグループ
■奎星会北海道巡回展(2008年)
■青青社書展(2007年)
■竹下青蘭・武田律子 書と陶の二重奏 (2006) ※画像なし
■第24回北海道墨人展 (2010) ※吉田さん出品。画像なし
□毎日新聞「書の世界」。今回の書展の紹介記事(全国版) http://mainichi.jp/feature/news/20131003dde014070034000c.html
□kayjam gallery の吉田敏子さんのページ http://www.kayjam.com/gallery/toshiko_yoshida/index.html
・地下鉄東西線西11丁目2番出口から徒歩1分
・市電「中央区役所前」降車すぐ
・じょうてつバス「西11丁目駅前」から徒歩1~2分
・ジェイアール北海道バス、中央バス「厚生年金会館前」から、手稲・小樽方面行きは約570メートル、徒歩8分、札幌駅方面行きは約470メートル、徒歩6分
きっかけは、2003年、「札幌の美術 19+1の試み」にこの5人が出品したこと(いまは札幌芸術の森美術館でおもに冬季に開かれる「札幌美術展」は、21世紀はじめには札幌市民ギャラリーで開かれ、評論家や学芸員が出品者を選抜していたため、かなり先鋭的な顔ぶれであった)。
5年後にふたたび5人がコンチネンタルギャラリーに集まり、そしてさらに5年後の今回で、活動に一区切りつけるとのことである。
今回は「眼」という共通テーマに沿った作品を1点ずつと、それ以外の作品をひとり2~4点出品している。
いちおう分野をいえば、遠藤香峰さんと須田廣充さんは近代詩文、大川壽美子さんはかな、竹下青蘭さんは前衛、吉田敏子さんは墨象ということになるが、そういう垣根を取り払って実験的なことにも取り組める場としても、このグループ展は機能しているようだ。
(余談めくが、実力者が5人そろっているのに、北海道書道展出品者が須田さんと大川さんの2人だけというのもおもしろい)
5日のギャラリートークにおじゃましてきたので、そこで聞いた話を交えながら、作品を紹介したい。なお、画像枚数が人によって1枚だったり2枚だったりしているが、これは深い意味はない。
まず、竹下青蘭さん。
前衛書は道内では函館や帯広がわりあい盛んだが、札幌では竹下さんとその生徒さんがいるくらい。北海道書道展に「墨象」の部門はあっても「前衛」の部門がないことも、もしかしたら関係あるかもしれない。「可読性」「文字」を離れて(あるいはカッコに入れて)かかれた書である。
「視界・何処へ」
自分の作品はこれからどうなっていくのか、自分はこれからどこへ行くのだろう―という気持ちが根底にある作品。乗っていた飛行機が突然雲の中に入っていつまでも外に出ず、ときおり海とも空ともわからない遠くが見えるだけ…という、一種心象風景のようなものという。
前衛書に限らず、淡墨と濃い墨を同じ作品内で使用することは一般的ではないという。確かに、抽象絵画のようでもある。しかし、最後に引いた濃い墨の横線の一回性は確かに書の線であることを物語っていると思うし、新しい表現領域に乗り出していると思う。
左は「面より線へ 潮騒」の2枚組み。右は「光を求めて」。
「潮騒」のほうも、複数の種類の墨を用いている。竹下さんはかなも好きで、美しい料紙を自分で作るようなつもりで、上部の模様部分を書いてみたという。
また余談っぽくなるが、「潮騒」という題は5月につけたが、その後「あまちゃん」の「潮騒のメモリーズ」がヒットして、この2枚組みを「アキちゃん」「ユイちゃん」を表現したものだと思った人がいたらしい(笑)。まあ、新宿眼科画廊で「あま絵」のグループ展が開かれたくらいだから、そういう書もあっていいかも。
「光を求めて」は、文字を書いているわけではないのに、なんとなく漢字っぽく見えるし、読もうと思えば読むことすら可能だとも感じられる。
これは、竹下さんが日々ひたすら漢字を臨書して練習しているからで、「体の中にいつのまにかしみついてしまった。やはり漢字はバランスというか、安定した形をしているので」。
次は須田さん。
「4点並べてみて、騒がしさに自分でもあきれてしまう」と話していた須田さん。
「白がきれいに見えるよう書きたい。落款の位置も含め、白を生かすよう、考えながらやっています」
いちばん手前は「圓空佛―圓空は仏法の戦士樹の声を聴く―」。
この春、東京で開かれていた円空展に触発されて書いた作品で、真ん中に、縦に2本引かれた線は、円空の木をイメージしてぱっと書いたもの。文字ではない。筆ではなく、ペンキを塗るローラーに墨を含ませて使っているとのこと。かすれがうまいぐあいに出ている。
文字の部分は、硬い毛とやわらかい毛の筆を同時に用いている。
次の作品「麒麟之翼」は、麒麟という文字を書きたくて4字熟語を探したが、適当なものが見つからず、東野圭吾の小説の題を書いたという、パネル4枚からなる作。
墨を吸い込まない特殊な紙を使っている。
4字熟語を書くときは「起承転結」を考えるが、ここでは「之」が「転」となった。そして、ふつうは後半か末尾に押す落款をあえて「麟」のところにした。
3枚目の「抱甕」は、老子から。おろかな行為の謂。
大きさの感覚を狙って、一部わざと紙からはみ出させて書いた。
最後は「五風十雨」。
良寛風というか、とらわれない気持ちで書いた。意識が出ているほかの作品に比べ、肩の力が抜けて、個人的には一番好きと、須田さんは話す。
個人的には、「麒麟之翼」の大胆さにひかれる。「之」は、「りゅう座」のようにうねっている。
あと、「圓空」は正字(いわゆる旧漢字)を通し、「仏」は新字と正字の両方をまぜて使っているのにはなにか意味があるのか、尋ねてみたかった。
次は遠藤さん。
遠藤さんは「心眼」がいちばん大きく、象形文字による造形が光っていた。会場でも「これがいちばん好き」という声が聞かれた。しかし、都合で、写真は次の2作。
左は「貝がらの中で残りの夏が燃えている」。
誰のことばかはっきりしないそうだが、いわゆる近代詩文とはやや異なる筆法。かなり太く書いているのに、ぎゅうぎゅう詰めの感じがしない、不思議な魅力のある作品だと思う。
墨を深く、動きも大きくということを意識して書いた―と遠藤さん。「あたたかさを表現したかった。淡々と、あまりいろんなことを考えず、筆をおいていくようなつもりで、横よりも縦の動きで書いた」とのこと。
右は「心魄」。「心」が小さく「魄」がずいぶん大きい。
二つの文字が別々になるのではなく一つのかたまりとなるよう書こうとした。ここをくっつけようとか、そういうことは事前には考えず、空間を大きくつかみながら、自分を思い切りぶつけてみた―と遠藤さんは話す。
この作品はますます近代詩文書というより、墨象のようである。
次は、大川さん。
斉藤史の短歌4首。
5日のトークには、函館美術館の書展の準備のため、姿を見せることができなかった。
まず、一般的に、この正方形のサイズにかなを書くということ自体、異例だと思う。
そして、次の
「ふりむけばわが来し方は何の色 つねに風吹く背後なりしかな」
で驚かされたのは、こんな渇筆のところから始める? というところ。
この作に限らず、潤渇のリズムがどれも破調で、目が離せない。
かなの場合、一般的には連綿を優先して、可読性は考慮しない。そして配置が重んじられる。
大川さんは、連綿よりも一字ずつの独立性を考えるため、一見近代詩文のようにも見える。
ほかの作品は次のとおり。
ぬば玉の黒羽蜻蛉は水の上 ははに見えねばつぐこともない
まこと今なにかほろびていくなれば ひたすらに沁む花の紅
生きゆくはみな修羅ながら鬣の金色にかがやくものの羨しさ
この4首目の配置も斬新きわまる。
紙を上下半分に断ち切り、右上を大胆に空け、5句目のみを右上に書いている。
最後は吉田さん。
近年は、絵画や彫刻など他分野の人と組んで国内外で発表を重ねる一方、札幌や銀座での個展、師の森田子龍に臨書を学んだ記録を本にまとめて出すなど、精力的に活動しているとのこと。
左から「毬」「生」「呼」「樹」。
「毬」は、「寛」のあと、しばらく取り組んでいる文字。
「樹」などは、古い筆を用いている。もう毛がどんどん抜けておりてきている状態で、それをあえて使っているときくと、ふしぎな線の出る理由がわかる。
「不自由さというのが、気に入っている」
吉田さんは墨人会に所属してずっと、ボンドを混ぜた墨を使ってきたが、疑問がわいてきて、いろいろな墨を使うようになってきたという。いったんボンド墨を離れることで、仲間のボンド墨の良さがあらためてわかってきたという。
もっとも、会場からは「ボンド墨の太い文字の方が好き」「毬の字はわざとらしさがある。なんで毛と求をあんなに離すのか」などの声もあり、かように忌憚のない意見が飛び交うのも、この会らしい。
ともかく、非常に見ごたえのある書展であった。
2013年9月24日(火)~10月6日(日)午前10時~午後6時(最終日~午後5時)
コンチネンタルギャラリー(札幌市中央区南1西11 コンチネンタルギャラリー地下)
※アクセス、地図は末尾に。駐車場は中通り側にあります
■交錯する眼差しの方へ 遠藤香峰・大川壽美子・須田廣充・竹下青蘭・吉田敏子 書展 (2008年)※テキストは未完のままです。申し訳ありません。
■札幌の美術 2003 ※画像なし
■第37回北海道書道連盟展 (2008)※大川さん、竹下さんに言及。画像なし
■10人の書展(2010年6月)※大川さん、須田さんが出品
【告知】須田廣充書展 韻律の中へ-草野心平詩より- (2011)※画像なし
■第32回高書研展(2007年)※画像なし
■須田廣充書展「アメリカ・インディアンの聖なる大地の教えより」(2004年)
■第6回青青社書展(2010) ※竹下さんのグループ
■奎星会北海道巡回展(2008年)
■青青社書展(2007年)
■竹下青蘭・武田律子 書と陶の二重奏 (2006) ※画像なし
■第24回北海道墨人展 (2010) ※吉田さん出品。画像なし
□毎日新聞「書の世界」。今回の書展の紹介記事(全国版) http://mainichi.jp/feature/news/20131003dde014070034000c.html
□kayjam gallery の吉田敏子さんのページ http://www.kayjam.com/gallery/toshiko_yoshida/index.html
・地下鉄東西線西11丁目2番出口から徒歩1分
・市電「中央区役所前」降車すぐ
・じょうてつバス「西11丁目駅前」から徒歩1~2分
・ジェイアール北海道バス、中央バス「厚生年金会館前」から、手稲・小樽方面行きは約570メートル、徒歩8分、札幌駅方面行きは約470メートル、徒歩6分
(といっても、わたくしが書いたわけではござらぬ)