札幌市中央区のサッポロファクトリーのとなりに公園があり、開拓使第2代長官をつとめた永山武四郎の旧邸宅がたっています。
となりに併設されているのは旧三菱鉱業寮です。
2018年6月8日の北海道新聞札幌市内面によると
「旧永山邸は1877年(明治10年)ごろ、永山武四郎(1837~1904年)が建て、木造平屋約140平方メートル。旧三菱寮は旧永山邸を買収した三菱鉱業(現三菱マテリアル)が1937年(昭和12年)ごろ隣に増築し、木造2階建て延べ約530平方メートル」
とのこと。
その入ってすぐのところに、この母子像が設置されています。
上半身裸の女性は左腕に裸の赤子をかかえ、右手で足下にすわっている羊とおぼしき動物の頭をなでています。
女性は下半身に緩やかに布をまいており、アルカイックな西洋彫刻を意識して作っているようなんですが、どこか日本的な感じも帯びているようです。
羊か犬かわかりませんが、動物は2匹。姿勢を低くして、向かって左側にいます。
素材は石のようです。
題名はわかりません。
また、三菱鉱業寮にある由来も、判明しませんでした。
正面に次のような解説板があります。
「かつて三菱鉱業寮に設置されていた彫刻 作者は日展参与などをつとめた山畑阿利一(1908-1980)といわれています。」
「山畑阿利一」をネット検索すると、青銅花瓶のオンラインショップやヤフーオークションなどのページが大量に出てきて、調べ物になりません。
東文研アーカイブデータベースというサイトには次のようにあります。
名前の読みについては、ブログ「札幌時空逍遙」には
「やまはたありいち」
とあります。
一方、美濃加茂市民ミュージアムによると「やまはたありかず」とあります。
1949年から68年まで毎年日展に出品していたという彫刻家でも、いまアクセスできる情報はこのぐらいしかありません。
なんだか諸行無常を感じます。
今後、各種辞典などにあたって、なにか新しい情報が得られれば補足します。
となりに併設されているのは旧三菱鉱業寮です。
2018年6月8日の北海道新聞札幌市内面によると
「旧永山邸は1877年(明治10年)ごろ、永山武四郎(1837~1904年)が建て、木造平屋約140平方メートル。旧三菱寮は旧永山邸を買収した三菱鉱業(現三菱マテリアル)が1937年(昭和12年)ごろ隣に増築し、木造2階建て延べ約530平方メートル」
とのこと。
その入ってすぐのところに、この母子像が設置されています。
上半身裸の女性は左腕に裸の赤子をかかえ、右手で足下にすわっている羊とおぼしき動物の頭をなでています。
女性は下半身に緩やかに布をまいており、アルカイックな西洋彫刻を意識して作っているようなんですが、どこか日本的な感じも帯びているようです。
羊か犬かわかりませんが、動物は2匹。姿勢を低くして、向かって左側にいます。
素材は石のようです。
題名はわかりません。
また、三菱鉱業寮にある由来も、判明しませんでした。
正面に次のような解説板があります。
「かつて三菱鉱業寮に設置されていた彫刻 作者は日展参与などをつとめた山畑阿利一(1908-1980)といわれています。」
「山畑阿利一」をネット検索すると、青銅花瓶のオンラインショップやヤフーオークションなどのページが大量に出てきて、調べ物になりません。
東文研アーカイブデータベースというサイトには次のようにあります。
日展参与の彫刻家山畑阿利一は、10月14日午前6時20分、胆道がんのため東京都文京区の日本医科大学附属病院で死去した。享年72。1908(明治41)年9月12日大阪府枚岡市に生まれ、大阪府立泉尾工業学校窯業科を卒業後上京、小倉右一郎に師事し、また川端画学校で学んだ。1928年第9回帝展出品作「女立像」が初入選、38年、39年の新文展で「母子」「みのり」がそれぞれ特選となり、42年無鑑査となった。一方、第一美術協会、構造社にも出品し、34年第一美術協会に無鑑査となり、38年の構造社第11回展「胸像」が研究賞、翌年第12回展「愛撫」が構造賞を受賞した。戦後、55年の都市美展出品作「大地」が文部大臣賞を受賞、日展では56、62年に審査員をつとめ、58年に日展会員、64年評議員、70年からは参与となった。日本彫塑会委員、日本陶彫会委員も兼務。主な作品は上記受賞作のほか、「関東大震災慰霊碑」「慈愛」「聖観音像」
名前の読みについては、ブログ「札幌時空逍遙」には
「やまはたありいち」
とあります。
一方、美濃加茂市民ミュージアムによると「やまはたありかず」とあります。
1949年から68年まで毎年日展に出品していたという彫刻家でも、いまアクセスできる情報はこのぐらいしかありません。
なんだか諸行無常を感じます。
今後、各種辞典などにあたって、なにか新しい情報が得られれば補足します。