なぜか北海道新聞のサイト「どうしんnet」には出ていないようですが、北海道新聞2010年5月8日夕刊に工藤欣弥さんの訃報が載っていました。
以下、引用。
ざっと30年にわたって美術館にかかわっていたわけで、道内の美術館の、初期の歴史に、大きく貢献された方でした。
「美術館の小径」には、三岸節子から好太郎の遺作の寄贈を受けて道立美術館(のちの三岸好太郎美術館)を開いたいきさつや、好太郎の常設展示と年数回の企画展を両立させなくてはならない難しさなど、エピソードがたくさん記されています。
近代美術館ができる前の道立美術館は原則無料でしたが、工藤さんが無料にこだわったことなども書かれています(というか、博物館法では、入場料は無料が原則と定められている。意外と知られていないことだが)。
ご冥福をお祈りいたします。
以下、引用。
道内3美術館の初代館長を務め、道内美術館を草創期から先導した工藤欣弥さんが、8日午前0時10分、肺悪性腫瘍のため札幌市内の病院で死去した。88歳。自宅は札幌市西区(以上引用)
(中略)
1921年(大正10年)、東京生まれ。養子縁組で函館に移り、庁立函館中(現函館中部高)卒業後、弟子屈尋常高小などで代用教員を務めた。45年、中央大を病気療養で中退し札幌へ。48年に道庁に就職。67年に道内で初めて開設された道立美術館の初代館長に就任、71年まで務めた後、道教委文化振興室長などを経て76年に再び道立美術館長、77~88年に同美術館の名称を変更した道立三岸好太郎美術館の初代館長、90~96年に札幌芸術の森美術館の初代館長を務めた。
文筆家としても知られ、エッセー集「美術館の小径」(北海道新聞社)などの著書のほか、北野洸(こう)の筆名による小説「弥生坂」で92年の第26回北海道新聞文学賞佳作賞を受賞。2001年には北海道新聞文化賞を受賞した。
ざっと30年にわたって美術館にかかわっていたわけで、道内の美術館の、初期の歴史に、大きく貢献された方でした。
「美術館の小径」には、三岸節子から好太郎の遺作の寄贈を受けて道立美術館(のちの三岸好太郎美術館)を開いたいきさつや、好太郎の常設展示と年数回の企画展を両立させなくてはならない難しさなど、エピソードがたくさん記されています。
近代美術館ができる前の道立美術館は原則無料でしたが、工藤さんが無料にこだわったことなども書かれています(というか、博物館法では、入場料は無料が原則と定められている。意外と知られていないことだが)。
ご冥福をお祈りいたします。