詩人の宗左近が亡くなった。詩壇はついこの前も茨木のり子、清岡卓行を見送ったばかりであり、戦後詩の巨星が相次いで逝くなあという思いだが、それはともかく「北海道美術ネット」としては、宗左近さんと、道内の戦後美術史でも最も有名な作品の一つ、神田日勝「室内風景」とのかかわりについて書かないわけにはいかない。
「室内風景」は、わずか32歳で亡くなった日勝の遺作である。新聞紙に三方を取り囲まれた部屋で性別不詳の人物が坐りこんでいるという図柄で、執拗ともいえる描写は、一度見たら忘れられない。
彼の歿後、1970年の独立展に展示されたのを、宗左近が見て、翌年71年7月号の月刊「時代」に「日本の子守歌1-北辺の農民画家・神田日勝」というエッセーを載せた。
小見出しには「無名の開拓農民が生きた33年の生涯は、虚名に安住している作家たちに根底的な衝撃を与えずにはおかない」とある由(現物に当たっていないので、鈴木正實著「二度生きる 神田日勝の世界」から孫引き)。
神田日勝が曲がりなりにも全国区の画家として名前が知られたのは、宗左近のおかげと言ってよいのである。
宗左近は美術評論も手がけていたが、本職は詩人であり、公募展に足しげく通っていたわけではなかったようだ。たまたま1970年の独立展に足を向けたことが、日勝にスポットを当てることになった。
むろん、日勝の作品そのものの持つ力によって、すくなくても道内では、宗のエッセーがなくても高く評価されたであろうと思うが。
「室内風景」の作品画像は、小さいですが下のページにあります。
http://www.aurora-net.or.jp/art/dokinbi/info/02kaisou.html
「室内風景」は、わずか32歳で亡くなった日勝の遺作である。新聞紙に三方を取り囲まれた部屋で性別不詳の人物が坐りこんでいるという図柄で、執拗ともいえる描写は、一度見たら忘れられない。
彼の歿後、1970年の独立展に展示されたのを、宗左近が見て、翌年71年7月号の月刊「時代」に「日本の子守歌1-北辺の農民画家・神田日勝」というエッセーを載せた。
小見出しには「無名の開拓農民が生きた33年の生涯は、虚名に安住している作家たちに根底的な衝撃を与えずにはおかない」とある由(現物に当たっていないので、鈴木正實著「二度生きる 神田日勝の世界」から孫引き)。
神田日勝が曲がりなりにも全国区の画家として名前が知られたのは、宗左近のおかげと言ってよいのである。
宗左近は美術評論も手がけていたが、本職は詩人であり、公募展に足しげく通っていたわけではなかったようだ。たまたま1970年の独立展に足を向けたことが、日勝にスポットを当てることになった。
むろん、日勝の作品そのものの持つ力によって、すくなくても道内では、宗のエッセーがなくても高く評価されたであろうと思うが。
「室内風景」の作品画像は、小さいですが下のページにあります。
http://www.aurora-net.or.jp/art/dokinbi/info/02kaisou.html
ちょうど高校生だった私ですが、第1回の北海道秀作美術展に選ばれていたのでしょうか。残念ながら第2回から見ましたので、日勝さんの作品を観た記憶がありません。
第2回受賞は本田明二さんでした。
それとも、道立美術館時代にもやってたのでしょうか。
絵もすごいですよね。わたしは、中学の
教員になってからずっと、中学1年生の
鑑賞の授業でとりあげています。
馬からはじまって、馬で終わった、最期の
1年がすごすぎます。室内風景も最期の年
ですよね。
いわゆる「秀作美術展」はいろいろ意見・批判があり、近美になってからしばらくしてタイトルが変わったと思います。
丘珠空港の展覧会の準備、お疲れさまです。
神田日勝、早死にしすぎで、たしかにちょっとかわいそうな気がします。
>川上さん
そうでした。失礼しました。
秀作美術展は、道展20、全道展20、新道展・無所属10という出品枠が批判の対象になったんでしたね。