(承前)
昨年話題になったアルチンボルドの、果物を集めて人の顔に見立てた絵が、フライヤーなどのメインビジュアルに使われているけれど、展示されているのは美術品だけではない。1576年から1612年(日本で言えば安土桃山時代から江戸時代初期)に神聖ローマ帝国に君臨した皇帝が集めた天文学や錬金術などの書籍、珍しい動物剝製、精巧な器械などをも含めて幅広く紹介した展覧会だ。ちなみに、冒頭の画像は、アルチンボルドの絵に基づき、現代美術家のフィリップ・ハースという人が作った立体が出口附近に展示され、そのコーナーだけが写真撮影可だったので、ここに掲げたというだけで、深い意味はない。
たとえば<天球儀>と<イッカクの牙>と<錬金術の本>と<花の絵画>を同じスタンスで一緒に蒐集するのは、現代から見ればかなり奇妙なことに思われるだろうが、科学的なものも非科学的なものも混在していると感じるのはあくまで現代の科学の水準が前提とされているのであって、大航海時代の進展にともなって新奇な文物が欧洲に集まってくる当時にあっては、おそらく新奇さという観点から、少なくともルドルフ2世にとってはおなじようにカテゴライズされていたのだろう。
あるいは、近代とはまったく異なる分類のありかたや認識のしかた、あるいは世界観を「エピステーメー」と呼ぶべきなのかもしれない。
しかし、当時の「知」の枠組みを総体的に語るのは、筆者の手に余るので、気のついたことをばらばらに記しておきたい。
まず、この展覧会全体が、どことなく
「プラハ目線」
で語られていることに気づく。
ルドルフ2世はハプスブルク家の出だが、自らはウィーンからプラハに城を移し、そこでコレクションに励んだのだった。
後にスウェーデンのグスタフ・アドルフ王が欧洲大陸の三十年戦争に介入した際、コレクションの数々を持ち去ったことから、同国のスコークロステル城の所蔵品も多く出品されている。
王室が置かれたことはプラハの発展を支えたが、欧洲の政治や、イスラム勢力との対決といった課題から逃げるための遷都であったといえなくもないようだ。
三十年戦争の後、ハプスブルク王朝はウィーンに戻ってしまうため、プラハは繁栄から取り残されてしまう。
美術品について。
アルチンボルドとブリューゲル(父)の作品が1点ずつ。
アルチンボルドは1点だが、彼の追随者による、似たような絵があった。
あんなアホな絵を描く画家がほかにいるとは思わなかったが、あの様式の流行は、意外に長く続いたらしい。
ブリューゲルは「陶製の花瓶に生けられた小さな花束」。
40種を超す植物と、10種あまりの虫などが、別パネルですべて名指しされていたのがすごい。こんなことを調べている人も、世の中にはいるのか。
鳥獣画をよくすることで知られるオランダ出身の画家サーフェリーの絵が13点もあった。
さすがルドルフ2世に宮廷画家として仕えていただけのことはある。
王宮に飼われていた鳥や動物の剝製をデッサンし、絵に生かしたこともあったらしい。
かつて星座の物語を書いた本のなかで図版が掲載されていた、「動物に音楽を奏でるオルフェウス」も彼の作品だと知った(プラハ国立美術館の所蔵品だ)。
この絵は、ギリシャ神話に材を得ている。オルフェウスは竪琴の名手であり、あまりの音色の美しさに、動物や鳥もうっとりと聞きほれていたという。
文章だとそうでもないが、この光景を実際に絵にすると、
「そんなことあるわけないやん」
とツッコミを入れたくなってしまうのは筆者だけだろうか。しかも、どの動物や鳥もつがいになっている。ノアの箱舟の神話が影響しているのだろう。
それにしても、さして大きくない画面に実にこまごまと鳥や獣を描き込んでいる。その技倆には感服せざるを得ない。
いま星座の話を書いたが、幼いころにその手の話が好きだった筆者としては、ガリレイの『天文対話』の本や、各種の天球図など、天文関係の古書籍や古い図版が多いのがうれしかった。
16世紀の星座早見盤アストロラーペもあったが、オオグマやケフェウスなどの星座の金属板を何重にも組み合わせて、ご苦労さまなことである。20世紀以降の人間なら、星とおもな星座の並びだけを図にして、星座早見盤を作るであろう。けっして、天馬や巨大ウミヘビをリアルな形状の金属板にして星座早見に搭載したり、天球儀に貼り付けようなどとは考えまい。
そのあたりも、当時と現代では、「知のあり方」が根本的に変わってきているとしか言いようがない。
イッカクの牙や天球儀を並べた「驚異の部屋」のコーナーは、後のミュージアム(博物館、美術館)の先祖をほうふつとさせ、興味深いのだが、ここでは詳述しないことにする。
というわけで、絵画メインで見てもそれなりに楽しく、当時の「知」のあり方などを考えるきっかけにもなるという、なかなか珍しいタイプの展覧会であった。
2018年1月6日(土)~3月11日(日)午前10時~午後6時(金、土曜は~午後9時)。1月16日と2月13日のみ休み
Bunkamura ザ・ミュージアム (東京都渋谷区道玄坂2-24-1)
(この項続く)
昨年話題になったアルチンボルドの、果物を集めて人の顔に見立てた絵が、フライヤーなどのメインビジュアルに使われているけれど、展示されているのは美術品だけではない。1576年から1612年(日本で言えば安土桃山時代から江戸時代初期)に神聖ローマ帝国に君臨した皇帝が集めた天文学や錬金術などの書籍、珍しい動物剝製、精巧な器械などをも含めて幅広く紹介した展覧会だ。ちなみに、冒頭の画像は、アルチンボルドの絵に基づき、現代美術家のフィリップ・ハースという人が作った立体が出口附近に展示され、そのコーナーだけが写真撮影可だったので、ここに掲げたというだけで、深い意味はない。
たとえば<天球儀>と<イッカクの牙>と<錬金術の本>と<花の絵画>を同じスタンスで一緒に蒐集するのは、現代から見ればかなり奇妙なことに思われるだろうが、科学的なものも非科学的なものも混在していると感じるのはあくまで現代の科学の水準が前提とされているのであって、大航海時代の進展にともなって新奇な文物が欧洲に集まってくる当時にあっては、おそらく新奇さという観点から、少なくともルドルフ2世にとってはおなじようにカテゴライズされていたのだろう。
あるいは、近代とはまったく異なる分類のありかたや認識のしかた、あるいは世界観を「エピステーメー」と呼ぶべきなのかもしれない。
しかし、当時の「知」の枠組みを総体的に語るのは、筆者の手に余るので、気のついたことをばらばらに記しておきたい。
まず、この展覧会全体が、どことなく
「プラハ目線」
で語られていることに気づく。
ルドルフ2世はハプスブルク家の出だが、自らはウィーンからプラハに城を移し、そこでコレクションに励んだのだった。
後にスウェーデンのグスタフ・アドルフ王が欧洲大陸の三十年戦争に介入した際、コレクションの数々を持ち去ったことから、同国のスコークロステル城の所蔵品も多く出品されている。
王室が置かれたことはプラハの発展を支えたが、欧洲の政治や、イスラム勢力との対決といった課題から逃げるための遷都であったといえなくもないようだ。
三十年戦争の後、ハプスブルク王朝はウィーンに戻ってしまうため、プラハは繁栄から取り残されてしまう。
美術品について。
アルチンボルドとブリューゲル(父)の作品が1点ずつ。
アルチンボルドは1点だが、彼の追随者による、似たような絵があった。
あんなアホな絵を描く画家がほかにいるとは思わなかったが、あの様式の流行は、意外に長く続いたらしい。
ブリューゲルは「陶製の花瓶に生けられた小さな花束」。
40種を超す植物と、10種あまりの虫などが、別パネルですべて名指しされていたのがすごい。こんなことを調べている人も、世の中にはいるのか。
鳥獣画をよくすることで知られるオランダ出身の画家サーフェリーの絵が13点もあった。
さすがルドルフ2世に宮廷画家として仕えていただけのことはある。
王宮に飼われていた鳥や動物の剝製をデッサンし、絵に生かしたこともあったらしい。
かつて星座の物語を書いた本のなかで図版が掲載されていた、「動物に音楽を奏でるオルフェウス」も彼の作品だと知った(プラハ国立美術館の所蔵品だ)。
この絵は、ギリシャ神話に材を得ている。オルフェウスは竪琴の名手であり、あまりの音色の美しさに、動物や鳥もうっとりと聞きほれていたという。
文章だとそうでもないが、この光景を実際に絵にすると、
「そんなことあるわけないやん」
とツッコミを入れたくなってしまうのは筆者だけだろうか。しかも、どの動物や鳥もつがいになっている。ノアの箱舟の神話が影響しているのだろう。
それにしても、さして大きくない画面に実にこまごまと鳥や獣を描き込んでいる。その技倆には感服せざるを得ない。
いま星座の話を書いたが、幼いころにその手の話が好きだった筆者としては、ガリレイの『天文対話』の本や、各種の天球図など、天文関係の古書籍や古い図版が多いのがうれしかった。
16世紀の星座早見盤アストロラーペもあったが、オオグマやケフェウスなどの星座の金属板を何重にも組み合わせて、ご苦労さまなことである。20世紀以降の人間なら、星とおもな星座の並びだけを図にして、星座早見盤を作るであろう。けっして、天馬や巨大ウミヘビをリアルな形状の金属板にして星座早見に搭載したり、天球儀に貼り付けようなどとは考えまい。
そのあたりも、当時と現代では、「知のあり方」が根本的に変わってきているとしか言いようがない。
イッカクの牙や天球儀を並べた「驚異の部屋」のコーナーは、後のミュージアム(博物館、美術館)の先祖をほうふつとさせ、興味深いのだが、ここでは詳述しないことにする。
というわけで、絵画メインで見てもそれなりに楽しく、当時の「知」のあり方などを考えるきっかけにもなるという、なかなか珍しいタイプの展覧会であった。
2018年1月6日(土)~3月11日(日)午前10時~午後6時(金、土曜は~午後9時)。1月16日と2月13日のみ休み
Bunkamura ザ・ミュージアム (東京都渋谷区道玄坂2-24-1)
(この項続く)
私も天体関係にしびれました。
二つとも行ってきました。
自分も
「ああ、これはかみのけ座が記載されていないから16世紀以前の図だな」
などとわかるくらいには星座オタクだったので、なかなか楽しかったです。
うっ、知らないです。私の天文知識も抜けてますな。
子供のころは天文史というよりは、実際に観測したいタイプでした。
かみのけ座はおとめ座の近くにあり、銀河系外の星雲がたくさん見つかっているところです。
古代ギリシャからある星座ではなく、近世になってから、最初にもうけられた星座です。
一応、この件は知っていましたが、かみのけ座とつながりませんでした。