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映画「アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶」

2006年09月21日 00時02分41秒 | 音楽、舞台、映画、建築など
 20世紀を代表するフランスの写真家アンリ・カルティエ=ブレッソン(1908-2004年)に、最晩年にインタビューしたドキュメンタリー映画「アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶」が、札幌・シアターキノで公開中なので、仕事の帰りに見てきた。
 撮影のさまたげになるからと人前に顔を出すことを避けていた人が、自作を見ながらカメラを前に思い出話をするという、たしかに貴重なフィルムではあるし、たとえば「このアルバムを、ジャン・ルノワールに見せて、雇ってほしいと頼んだんだ。セカンド助監督になれた」などという場面があったりして、ふむふむと思うのではあるが、全体としては、「アスフェリカルの非球面眼日記」さんなども書いているように、インタビューにくふうがたりず、やや平板な映画だ。
 機材を見せてくれるとか、時系列の流れで追うとか、構図の秘密を分析的に説明してくれるとか、72分の中になにかしらメリハリをつけてくれないと、単調なんである。
 まあ、本人以外に、アーサー・ミラーやエリオット・アーウィット、イザベル・ユベールらが出てきて、カルティエ=ブレッソン作品の魅力を語っていたので、ねむらずにすんだわけだが。

 それにしても、「わからないということだけ」さんもふれているけど、カルティエ=ブレッソンはずいぶんいろんな人のポートレイトを撮っているんだなあ。
 ジャコメッティやマティス、ガンジーは知ってたけど、マン・レイ、デュシャン、サルトル、ボーヴォワール、カポーティ、ルオー、シャネル(カルティエ=ブレッソンは撮影中、彼女と犬猿の仲の人物の名を出してしまったと振り返っていた)、マリリン・モンロー、マンディアルグ…。

 ときどき気の利いたことをいうので、メモしたけど、暗闇の中で書いたので、後で見直すと、さっぱり読めないのであった。org
 なんとか読めた、カルティエ=ブレッソンのせりふ。
写真は短刀の一刺し。映画は瞑想だ。

 もうひとつ。
疑う視線と、あとは表現のセンスだ。疑う視線を持っていたのは、ジャコメッティとドガぐらいだ。

 豊平橋停留所によると、こんなことばもありました。
(自らの作品を前に)例えて言うならゲップのように(苦笑いするブレッソン)、不意に記憶が蘇ってくるんだ/写真はずっと死なない。僕が死んだ後も、生き続ける。


 彼の事務所はエッフェル塔が見える場所にあるのだ。
 もっとも、筆者の仕事場も大通公園と時計台の間ですが(笑い)。

 29日まで。
 1日2回しか上映してないので、新聞などで上映時間を確かめましょう。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
観に (sorami)
2006-09-21 00:36:18
行かれたのですね。



僕もメモってくれば良かったなぁ、プレッソンのエスプリの効いた言葉たちを。ヤナイさんの文を見て、いろいろ思い出しました。

何より、最後に獲物を為留めるような身振り手振りで、確か『一瞬で捉えるんだ』と言ったのがとても印象的でした。

本当に写真が好きで、90歳を過ぎても"いま"に敏感な人だったんだな、と思います。"いま"に生きるからこそ、写真は撮れるのですから。
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メモ (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2006-09-21 00:41:06
わー、soramiさん、レス速い!



メモの字はじぶんでもまったく読めません。よって無意味。



ことばは、映画より本や新聞のほうが記憶にのこるなあ、と思いました。
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