やっと美術館に着いた。
(われながらバスの話、長すぎ)
新年度から加森観光に運営が引き継がれることがきまっている夕張市美術館の、市立としては最後の美術展。
前半の3月4日までは「所蔵作品に息づく夕張」、後半3月7日からは「夕張の風土が培った作家たち」と題して展示替えを行い、所蔵品を紹介。
さらに、全会期を通して「夕張応援作家展」を同時開催。同館とかかわりのあった画家・美術作家を中心におよそ60人が自作を持ち込んだ。
きっちりと決まったものではないけれど、かつての炭鉱を描いたなつかしい絵はおもに前半に、夕張ゆかりの作家による抽象的な作品は後半に、それぞれ展示されているということのようだ。
「夕張の風土が培った作家たち」展の出品作は次のとおり。
佐藤忠良「母の顔」「夕張スケッチ」(同題2点) 「帽子の女」「座する女」「ダンサー」
日本を代表する具象彫刻家は、生まれは宮城県だが、少年時代を夕張で過ごした(札幌二中=現札幌西高=の出身)。
「母の顔」は、会場の入り口に展示されたブロンズの首。1942年の作。
慈愛に満ち、どことなくさびしげな表情が印象的。まさに「母なるもの」の本質を抽出したかのような佳作だと思う。
悲しみを感じさせるのは、息子を兵隊にとられたせいじゃないかとも感じたが、これは深読みのしすぎか。
「夕張スケッチ」「座する女」「ダンサー」はデッサンで、「帽子の女」は銅版画。「夕張スケッチ」は1998年の作品で、おそらく夕張市美術館で個展がひらかれたのを機に訪れた際に描いたものだろう。
このとき忠良さんは1時間半の講演を立ったまま行い、筆者は
「こんな明治生まれがいるのか!」
と驚いた記憶がある(さすがに最近は足腰が弱ってきているらしいけど)。
桑原翠邦「遠心」
藤根凱風「暁鶯啼遠林」
原田青琴「伊都内親王願文」
千葉雅舟「風信帖」
水野良子「和歌(土御門院)」
安藤小芳「華」
我妻緑巣「西島麦南の句」
藤根星洲「桂花露花」「翰墨生涯」「淡遠」
石垣芳洲「創作」
会場に入ってすぐの部屋は、書のコーナー。
このうち藤根星洲さんは、長く夕張の学校で教鞭(きょうべん)を執り、道内を代表する書家のひとりだった人。同館にもかなりの所蔵品がある。
昨年9月には、札幌・スカイホールで大規模な回顧展もひらかれ、「翰僕生涯」はそこで見た。いかにも漢字の臨書に力を注いだ書家らしい、素朴で、てらいのない筆致である。
ほかの書家は、星洲の息子の凱風氏はともかく、夕張とどういうつながりがあるのか、わからない。
大黒孝儀「薪挽き」「夏帽子」
戦後、夕張美術協会の再建を担った画家(1907-94年)。
「夏帽子」は、画架に展示されていた。板に油彩で描かれた少女の肖像で、1934年作と思えぬくらい、ハイカラでやさしい。
小林政雄「捨石の山(ズリ山)」
1917年生まれ、札幌在住。
画面を斜めに横断する何本もの黒く太い輪郭線がダイナミック。
風景を力強く再構成する-という問題意識は、このころ(56年)からあったのだな。
畠山哲雄「春先の山」
こちらは99年に亡くなるまで夕張に住み、一貫して夕張の風景を描き続けた。出品作は61年作。全体が左側にかしいで、動感を表現している。重なり合うズリ山はピラミッドのようで、往時の夕張の活気がつたわってくる。
木下勘二「旗とランプ」「水上の椅子」
木下さんも故人。「水上の椅子」は、縦位置の大作で、その名のとおり、水面の上に、アップライトピアノでつかうような黒い椅子がある。シンプルな画面構成だが、上空の半月と、水平線上にうすくのびる地面が、絶妙のアクセントになっていると思う。
遠藤都世「北辺№2」
土屋千鶴子「脱兎」「牛と人」
土屋さんは全道展会員で、いまも夕張在住。
「脱兎」は93年、「牛と人」は80年の作で、近作より色数が多い。それも、やたらと多い。
比志恵司「ひとりA」「へらへら」「北の凝虫」「トンボ」「アマリリス」
比志さんは新道展会員で、やはり夕張在住。
雲が浮かんでいるみたいな、ほわーんとした曲線が持ち味の比志さんだが、「ひとりA」(74年咲く)を見ると、かつては暗い、表現主具的な絵を描いていたんだなあとおどろく。短い間隔で神経質な線が何本も画面を横切る。手前の人物のしぐさは、ムンク「叫び」を連想させる。
松原攻「6月の空」
松原さんも夕張在住。かつては新道展に出していたが、現在は無所属。
今本哲夫「蒼の行進」
今本さんは札幌在住、新道展会員。
これは69年の作で、いまは大まかな風景画を描く今本さんも、かつては抽象だったんだなあ。ただし、画面に出てくるのは緑、すみれ色、黒で、蒼はつかわれていない。
(長くなってきたので、別エントリにつづく)
(われながらバスの話、長すぎ)
新年度から加森観光に運営が引き継がれることがきまっている夕張市美術館の、市立としては最後の美術展。
前半の3月4日までは「所蔵作品に息づく夕張」、後半3月7日からは「夕張の風土が培った作家たち」と題して展示替えを行い、所蔵品を紹介。
さらに、全会期を通して「夕張応援作家展」を同時開催。同館とかかわりのあった画家・美術作家を中心におよそ60人が自作を持ち込んだ。
きっちりと決まったものではないけれど、かつての炭鉱を描いたなつかしい絵はおもに前半に、夕張ゆかりの作家による抽象的な作品は後半に、それぞれ展示されているということのようだ。
「夕張の風土が培った作家たち」展の出品作は次のとおり。
佐藤忠良「母の顔」「夕張スケッチ」(同題2点) 「帽子の女」「座する女」「ダンサー」
日本を代表する具象彫刻家は、生まれは宮城県だが、少年時代を夕張で過ごした(札幌二中=現札幌西高=の出身)。
「母の顔」は、会場の入り口に展示されたブロンズの首。1942年の作。
慈愛に満ち、どことなくさびしげな表情が印象的。まさに「母なるもの」の本質を抽出したかのような佳作だと思う。
悲しみを感じさせるのは、息子を兵隊にとられたせいじゃないかとも感じたが、これは深読みのしすぎか。
「夕張スケッチ」「座する女」「ダンサー」はデッサンで、「帽子の女」は銅版画。「夕張スケッチ」は1998年の作品で、おそらく夕張市美術館で個展がひらかれたのを機に訪れた際に描いたものだろう。
このとき忠良さんは1時間半の講演を立ったまま行い、筆者は
「こんな明治生まれがいるのか!」
と驚いた記憶がある(さすがに最近は足腰が弱ってきているらしいけど)。
桑原翠邦「遠心」
藤根凱風「暁鶯啼遠林」
原田青琴「伊都内親王願文」
千葉雅舟「風信帖」
水野良子「和歌(土御門院)」
安藤小芳「華」
我妻緑巣「西島麦南の句」
藤根星洲「桂花露花」「翰墨生涯」「淡遠」
石垣芳洲「創作」
会場に入ってすぐの部屋は、書のコーナー。
このうち藤根星洲さんは、長く夕張の学校で教鞭(きょうべん)を執り、道内を代表する書家のひとりだった人。同館にもかなりの所蔵品がある。
昨年9月には、札幌・スカイホールで大規模な回顧展もひらかれ、「翰僕生涯」はそこで見た。いかにも漢字の臨書に力を注いだ書家らしい、素朴で、てらいのない筆致である。
ほかの書家は、星洲の息子の凱風氏はともかく、夕張とどういうつながりがあるのか、わからない。
大黒孝儀「薪挽き」「夏帽子」
戦後、夕張美術協会の再建を担った画家(1907-94年)。
「夏帽子」は、画架に展示されていた。板に油彩で描かれた少女の肖像で、1934年作と思えぬくらい、ハイカラでやさしい。
小林政雄「捨石の山(ズリ山)」
1917年生まれ、札幌在住。
画面を斜めに横断する何本もの黒く太い輪郭線がダイナミック。
風景を力強く再構成する-という問題意識は、このころ(56年)からあったのだな。
畠山哲雄「春先の山」
こちらは99年に亡くなるまで夕張に住み、一貫して夕張の風景を描き続けた。出品作は61年作。全体が左側にかしいで、動感を表現している。重なり合うズリ山はピラミッドのようで、往時の夕張の活気がつたわってくる。
木下勘二「旗とランプ」「水上の椅子」
木下さんも故人。「水上の椅子」は、縦位置の大作で、その名のとおり、水面の上に、アップライトピアノでつかうような黒い椅子がある。シンプルな画面構成だが、上空の半月と、水平線上にうすくのびる地面が、絶妙のアクセントになっていると思う。
遠藤都世「北辺№2」
土屋千鶴子「脱兎」「牛と人」
土屋さんは全道展会員で、いまも夕張在住。
「脱兎」は93年、「牛と人」は80年の作で、近作より色数が多い。それも、やたらと多い。
比志恵司「ひとりA」「へらへら」「北の凝虫」「トンボ」「アマリリス」
比志さんは新道展会員で、やはり夕張在住。
雲が浮かんでいるみたいな、ほわーんとした曲線が持ち味の比志さんだが、「ひとりA」(74年咲く)を見ると、かつては暗い、表現主具的な絵を描いていたんだなあとおどろく。短い間隔で神経質な線が何本も画面を横切る。手前の人物のしぐさは、ムンク「叫び」を連想させる。
松原攻「6月の空」
松原さんも夕張在住。かつては新道展に出していたが、現在は無所属。
今本哲夫「蒼の行進」
今本さんは札幌在住、新道展会員。
これは69年の作で、いまは大まかな風景画を描く今本さんも、かつては抽象だったんだなあ。ただし、画面に出てくるのは緑、すみれ色、黒で、蒼はつかわれていない。
(長くなってきたので、別エントリにつづく)
夕張にゆかりの深い作家さんや
山内壮夫「労働のモニュメント」がとくに気に
なるのでこれは夕張へ行くしかないですね。
とても為になります。夕張市美術館は夕張の歴史も
うかがえる博物館の要素も兼ね備えているようですね。
夕張市美術館は3月25日をもって閉館し、加森観光の運営で再開するのはゴールデンウイークとみられています。
ところで、土曜は楽しみにしています。
近々、予告の記事を、こちらの別館にも書くつもりです。
景気が上向きになっている証拠でせうか。
今、土曜にむけて最終準備中ですよ~!
居候さんが建築家だから言うのですが、鉄筋コンクリートの建物の耐用年数が30年ほどだとしたら、それはやはりおかしいのではないかという気がします。