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平間文子さん(旭川、画家)死去か

2024年08月29日 19時46分20秒 | 新聞などのニュースから
 北海道新聞2024年8月29日「おくやみ」面の旭川市の項に載っている「平間フミコさん(96)」は、もしかすると、画家で、「美術旭川」誌の編集・発行、国劇画廊(のちのヒラマ画廊)運営に携わった平間文子さんのことではないでしょうか。

 平間さんの絵画といえば、花を大きくあしらい、吹き渡る風が生命感を伝えてくれるような画面を思い起こします。
(冒頭画像の左は、2020年秋に旭川市民文化会館のロビーで撮影した「冬の花・埋もれるアマリリス」です)

 全道展では1992年に奨励賞を受賞。94年に会友、2008年に会員に推挙されています。
 また、一時は全国的な有力団体公募展の春陽展でも2007年ごろに会友となり、北海道支部展にも毎年出品していました。
(現在は双方とも退会されているようです)

 ただし、旭川の美術関係者には、画家としてよりもヒラマ画廊のお母さん的な存在として慕われていたのではないでしょうか。
 旭川市文化賞を2013年に受賞しており、市のサイト( https://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/kurashi/329/348/351/p000189.html)には次のように紹介されています。
 すこし長くなりますが、引用します。

(略)前衛芸術の新潮流を成した「北海道アンデパンダン展」に早くから出品し、旭川現代美術の草創期を築いた作家たちとの交流を深めてきた。

昭和40年代からは、多くの個展を開催するほか、純生美術展、全道展などの公募展に出品し、その後も毎年作品を発表し続け、北海道の代表的な作家として広く認められている。

自身の活動を通じて芸術家たちとの交流を深める中、地域の若き作家たちの活動を支えるため、昭和50年、旭川市中心部に「国劇画廊」(平成5年から「ヒラマ画廊」)を開設し、絵画、彫刻、工芸、写真等様々な分野の作家たちに発表の場を提供し続けてきた。

穏やかで分け隔てなく人と接する優しい人柄から、「ひらまのママ」と慕われ、若き作家たちが画廊にとどまらず自宅にまで押しかけ、芸術を熱く語り合うなど、氏とヒラマ画廊の存在は、旭川の美術界の発展に大きな役割を果たしてきた。

また、毎年有望な作家を招待して画廊独自の企画展を開催するなど、市民に優れた作品を鑑賞する場を数多く提供し、本市の美術文化の普及と振興にも大きく貢献している。

昭和54年には、地域の美術文化情報誌「美術旭川」を創刊し、以降13年間に渡り、編集・発行を続けた。展覧会や地域の文化行事等の情報から、美術作品の紹介、エッセイ、芸術論にまで至る幅広い内容は、美術を愛する多くの市民に愛読され、また文化人からも高い評価を受けている。(以下略)</blokcquote>


 旭川の目抜き通り「買物公園」のミスタードーナツの横にある小さな階段を上ると、そこはヒラマ画廊で、平間文子さんがいらっしゃるときはあたたかく出迎えてくれました。
 昔、同画廊で開催されていた純生展の新会員・会友展を見に行き、かつての道内美術界について会話を交わしたことを思い出します。

 ヒラマ画廊はちょうど札幌でいえば時計台ギャラリーのような存在だったと思います。
 旭川の中心街で移設した後、現在は施設としてはなくなってしまいました。

 昔の女性は、戸籍名がカタカナで、通称は漢字というのはよくあることでした(その逆も)。
 ご本人かどうか裏取りができていないのが心配ではありますが、ご冥福をお祈りいたします。


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