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吉田豪介さんの訃報

2024年08月29日 09時23分54秒 | 新聞などのニュースから
 江別在住の美術評論家、元市立小樽美術館長の吉田豪介さんが2024年2月に亡くなっていたという記事が、8月29日の北海道新聞に載っていました。

吉田豪介さん死去 89歳 元市立小樽美術館長、美術評論家:北海道新聞デジタル

元市立小樽美術館長で美術評論家の吉田豪介(よしだ・ごうすけ)さんが2月12日午前10時52分、江別市内の病院で老衰のため死去していたことがわかった。28日、家族が公表した...

北海道新聞デジタル

 

 以下、一部を引用します。
 1957年北大農学部卒業後、北海道放送(HBC)に入社。61年から北海道新聞などで美術評を執筆してきた。「札幌アヴァンギャルドの潮流」「具象の新世紀」(後の北海道現代具象展)など美術展の企画に携わったほか、96年から2006年まで市立小樽美術館長を務めた。11年に北海道文化賞を受賞した。


 だいぶ以前から体調の悪いことについては聞いていたので驚きはありませんが、一つの時代が終わったという感慨があります。
 吉田さんとよぶ人はいなくて、私を含むほとんどの人から「豪介さん」と呼ばれていました。
 パイプをくゆらせ、札幌時計台ギャラリーの応接セットで、画家と談笑する姿をよく見かけたものです。

 豪介さんには『北海道美術をめぐる二十五年』や『道展、全道展、新道展 創造への軌跡』の著書もありますが、なんといっても主著は『北海道の美術史 異端と正統のダイナミズム』(共同文化社)でしょう。
 1995年に出版され、20世紀の道内の美術の歩みをぎっしり凝縮し、多岐にわたって論述した本で、道内の美術について知りたければまずひもとくべき一冊です。
 モノクロですが図版が充実しており、索引や年表も完備していて、筆者も何度読み返したかわかりません。
 筆者が札幌で美術展を見始めたのが1996年なので、この本がなかったら記事を書いていくことはとうてい不可能でした。

 1960年代から70年代にかけての札幌を中心としたアートシーンの形成にも深くかかわっており、宣言文の起草には美術家たちが吉田家に集まって議論したという話も聞いたことがあります。
 その長年の蓄積は、図録の充実ぶりに驚かされる『札幌アヴァンギャルドの潮流』展や、その後に市立小樽美術館などで開いた道内美術史を振り返る各種企画展のキュレーティング(キュレーション)に存分に生かされていました。
 一時は美術評論家連盟の会員でした。


 2011年の北海道文化賞の受賞パーティーだったと思いますが
「お客さまは神様です」
と言って、満場の美術関係者たちを沸かせていました。
 評論家は、美術家がいないと全く商売あがったりだということを、心を込めて豪介さんなりに言い表した言葉でした。
 だからこそ、前衛から伝統派まで、団体公募展の主軸メンバーから反公募展の作家まで、幅広い美術家たちがパーティーに集まりこぞって受賞を祝ったのだと思います。

 ただ蛇足めいたことを記せば、豪介さんが活躍した『北海道の美術史』発刊の時代までは、美術の中で「洋画」の占める地位が圧倒的に高く、美術といえば暗黙のうちに油絵を指していました。
 かたや小川原脩、野本醇、伏木田光夫といった油彩画の太い流れがあったからこそ、それに対抗する前衛画家の渡辺伊八郎や菊地又男、後続の「TODAY」世代(岡部昌生、阿部典英、杉山留美子ら)が暴れることができた。それが豪介さんの、北海道美術史を見る際の視座であったと思われます。
 筆者ごときが言うまでもなく、絵画という枠組み(それをインスタレーションなどにまで拡張しても同じことです)の中で本流だ前衛だと競いあう図式自体が、ちょうどその時代を境目として激変しています。
 それを踏まえて、次の歴史が書かれねばならないでしょう。

 北海道美術の言説史の中でいえば、これで、ポストなかがわ・つかさ世代の論客たち(小谷博貞、竹岡和田男ら)がみな鬼籍に入ったことになります。

 たいへんお世話になりました。

 ご冥福をお祈りいたします。

 
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