日本の近代洋画史に独自の足跡を残した小出楢重(1887~1931)の文集。
岩波文庫の一冊として、芳賀徹の編集で1987年に出版され、2009年まで17刷を重ねているロングセラーである。
これまで筆者は、近代日本の美術家が書き記した本としては、高村光太郎「緑色の太陽」(岩波文庫)と岸田劉生「美の本体」(講談社学術文庫)が最強コンビであると考えてきたが、この本も、その列に加えたい。少なくても、日本人が洋画を描くとはそもそもどういうことかを考える人にとっては、必読であろうと思う。
この本はおおまかに5部構成になっている。
第1~3部は、大阪人らしいユーモラスな筆致によるエッセー。
たしかに面白いのであるが、必読というたぐいのものではない。
第4部が欧洲から妻にあてた手紙。
そして、第5部が「油絵新技法」という本の再録である。
個人的には、この「油絵新技法」が圧巻であった。
技法といっても、カンバスの張り方とか、テレピン油の使い方といった話はほとんど出てこない。
東洋画と西洋画の違い、近代西洋画の特質といったことを、実作者の目を通して論じているのである。
「近代の心と油絵の組織」という項で、小出は次のように述べる。
20世紀終盤の「絵画は終わった」論を思い出させる議論である。
その後で、印象派以降の西洋画の革命について、こう書く。
ゴーグは、ゴッホのことである。
そして、近代の日本洋画の歩みについて、次のように論じる。
かなり長い引用となるが、こればかりは省略しようがないので、ご容赦願いたい。
編者の芳賀徹氏が解説で書いているように、まともな画家や批評家であれば(たとえば岸田劉生や漱石など)、うすうす感付いていた日本の洋画の奇妙な発達ぶりである。
しかし、大正時代の実作者でここまで自覚していた人はほとんどいなかったのではないか。
多くの画家が、パリ画壇の流行を取り入れるのに必死であった。「じゃ、何でオレは油絵を描くの?」という根本的な疑問にたちかえって考え抜いた人は極めて少なかったと思う。
現在より話をややこしくしているのは、小出の生きた時代が、洋風の生活様式がどんどん流入、普及していった、まさにさなかであったことである。
明治に入っても、人々は和服を着、古い家屋に暮らしていた。その時代の回想が、随筆集の前半の大きな柱となっている。
これらを読むにつけ、わたしたちはなんと遠く隔たった時代に生きているのだろうという感慨を覚えざるを得ない。
ふと気がついてみると、わたしたちは、靴を脱いで箸を用いるあたりは日本人の生活様式を残しているものの、カーペットや板敷きの部屋にくらし、ベッドで眠り、洋服を着て、こうして横書きの文章を読み書きするようになってしまっている。
裸婦の体格についても小出は随筆で、足首が太くてどうこうと書いている。彼自身、かなりの数の裸婦像を描いている。最近の若い女性をテレビや雑誌で見ていると、そのスタイルの違いは、隔世の感がある。
そう考えてくると、一見のんきな前半の随筆にも、実は洋の東西について、あるいは歴史について、読者を考え込ませるようなさまざまなヒントが埋もれていると言えるのだろう。
とにかく、まれに見る有益な書であった。
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岩阪恵子「画家小出楢重の肖像」
小出楢重と宇野浩二の「枯木のある風景」
岩波文庫の一冊として、芳賀徹の編集で1987年に出版され、2009年まで17刷を重ねているロングセラーである。
これまで筆者は、近代日本の美術家が書き記した本としては、高村光太郎「緑色の太陽」(岩波文庫)と岸田劉生「美の本体」(講談社学術文庫)が最強コンビであると考えてきたが、この本も、その列に加えたい。少なくても、日本人が洋画を描くとはそもそもどういうことかを考える人にとっては、必読であろうと思う。
この本はおおまかに5部構成になっている。
第1~3部は、大阪人らしいユーモラスな筆致によるエッセー。
たしかに面白いのであるが、必読というたぐいのものではない。
第4部が欧洲から妻にあてた手紙。
そして、第5部が「油絵新技法」という本の再録である。
個人的には、この「油絵新技法」が圧巻であった。
技法といっても、カンバスの張り方とか、テレピン油の使い方といった話はほとんど出てこない。
東洋画と西洋画の違い、近代西洋画の特質といったことを、実作者の目を通して論じているのである。
「近代の心と油絵の組織」という項で、小出は次のように述べる。
私は、ここに西洋絵画史を述べる暇と用意を持たないが、ともかくも、私は油絵具という材料とその形式で以てする芸術の限界においては、再び、レオナルドや、ルーベンス、レンブラント、ドラクロワ、ヴェラスケス、ゴヤ等の仕事に比すべき位いの、材料と人間の生活と、技法と画家の心とが無理もなく完全に結び付き、壮大なものを生むべき時代はおそらく来まいと考えるのである。(330ページ、ルビを適宜追加)
20世紀終盤の「絵画は終わった」論を思い出させる議論である。
その後で、印象派以降の西洋画の革命について、こう書く。
近代の人間のあらゆる苦悶によって、それらの伝統と、組織の要素が捨てられ、潰され、再び拾われ整理されたその結果において、ともかくもなされた近代の油絵における技法上の大事業は、あるいは特質とも見るべきものは、それは壮大なる王様の行列を数台の自動車に改めた事である。非常な省略と単化が行われ出した事だといってよい。(334ページ)
印象派以後、ゴーグ、セザンヌ、立体派、野獣派等正に壮大にして衰弱せる老舗の下敷から這出した処の勇ましき野蛮人の群であった。(336ページ)
ゴーグは、ゴッホのことである。
そして、近代の日本洋画の歩みについて、次のように論じる。
かなり長い引用となるが、こればかりは省略しようがないので、ご容赦願いたい。
もし、仮に、西洋において、新らしい芸術運動が起らず、古き伝統によるアカデミックがそのままに日本へ流れ込んで少しの変動もなかったとしたら、日本現在の油絵は、大に趣を異にしていたに違いない。明治の初めにおける高橋由一、川村清雄、あるいは原田直次郎等の絵を見ても如何に西洋の古格を模しているかがわかる。あの様式がそのまま日本で発達し成長していたならば、日本の洋画は随分ある意味において、かえって画法としては壮健な発達を成していたかも知れないと思う。
ところで日本に発達した西洋画は原田氏以後の黒田清輝氏たちの将来せる処のフランス印象派によって本当に開発されたのであった。以来、なおそれ以上の破格である処の伝統を抜き去ろうと努力した処の革命期の多くの絵画が侵入して素晴らしき発達を遂げたのである。
しかしながら、近代フランスの画家たちが求めた処の、技術の革命の眼目とする処は、単化と自由と、省略とプリミチーブと線と、素人らしさと稚拙と、野蛮とであったといっていいと思う。
日本人は求めずして既にそれらのものはあり余るほど、古来より心得、持参している処のものであったが故に、西洋の近代の絵画は、日本人にとっては真とに学びやすい処の都合よきものであったのである。直ちに真似得る処の芸術様式である。西洋人は形をくずそうとして努力した。日本人はこれ以上くずしようのない形を描く事において妙を得ていたのである。
これは甚だ僥倖な事で、他人の離縁状を使って新らしき妻君を得たようなものである。
しかしながら、何か日本人の絵には共通して紙の如く障子の如く、薄弱にして、浅はかにして、たよりない処のものが絵の根本に横わっている事を昔から、日本人自身が感付いて来ている。(342~343ページ)
編者の芳賀徹氏が解説で書いているように、まともな画家や批評家であれば(たとえば岸田劉生や漱石など)、うすうす感付いていた日本の洋画の奇妙な発達ぶりである。
しかし、大正時代の実作者でここまで自覚していた人はほとんどいなかったのではないか。
多くの画家が、パリ画壇の流行を取り入れるのに必死であった。「じゃ、何でオレは油絵を描くの?」という根本的な疑問にたちかえって考え抜いた人は極めて少なかったと思う。
現在より話をややこしくしているのは、小出の生きた時代が、洋風の生活様式がどんどん流入、普及していった、まさにさなかであったことである。
明治に入っても、人々は和服を着、古い家屋に暮らしていた。その時代の回想が、随筆集の前半の大きな柱となっている。
これらを読むにつけ、わたしたちはなんと遠く隔たった時代に生きているのだろうという感慨を覚えざるを得ない。
ふと気がついてみると、わたしたちは、靴を脱いで箸を用いるあたりは日本人の生活様式を残しているものの、カーペットや板敷きの部屋にくらし、ベッドで眠り、洋服を着て、こうして横書きの文章を読み書きするようになってしまっている。
裸婦の体格についても小出は随筆で、足首が太くてどうこうと書いている。彼自身、かなりの数の裸婦像を描いている。最近の若い女性をテレビや雑誌で見ていると、そのスタイルの違いは、隔世の感がある。
そう考えてくると、一見のんきな前半の随筆にも、実は洋の東西について、あるいは歴史について、読者を考え込ませるようなさまざまなヒントが埋もれていると言えるのだろう。
とにかく、まれに見る有益な書であった。
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