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日本鉄道旅行地図帳1号 北海道(新潮「旅」ムック)

2008年06月11日 23時45分43秒 | つれづれ読書録
 札幌の大きな本屋さんではたいてい平積みになっているので、ご存じの方も多いでしょう。
 「日本初! 正縮尺の鉄道地図」
というのが売り文句のようですが、こと北海道版に関していえば、現存路線の地図よりも、廃線のルートを克明に書き入れた地図の方が、はるかに驚くべき成果だと思います。
 路線の長さを計算したわけではありませんが、道内では、これまで敷かれた鉄道・軌道のうち、ざっと8割はすでになくなっているのではないか-というのが、偽らざる実感です。
 国鉄ローカル線や民営鉄道はもちろん、拓殖軌道や炭鉱・鉱山の専用軌道、森林鉄道までも、膨大なルートが記された地図をながめていると、北海道の近現代史がそこに見えてくるかのようです。

 札幌市内の廃線地図で国道12号と平和通が混同されていたり、「軽川」のルビが「かるかわ」になっていたり(正しくはがるがわ)、羽幌炭礦鉄道の廃止年月日が誤っていたり、瑕疵(かし)がないわけではありません。
 でも、相当の労作であることは間違いないでしょう。

 個人的に興味深かったのは、札幌市電の停留所名の変遷。
 苗穂駅行きの路線は、開通当初は「ナントカ商店前」だらけだったこと。
 「中島公園通」は1923年(大正12年)の開通当時は「狐小路」という名だったこと。
 現存する電停で一度も名称変更されていないのは「石山通」と「東本願寺前」の2つだけであること。
 1951年に「拓銀前」という臨時停留所ができたが、翌々日に廃止されていること等々。
 さっぽろ文庫「市電物語」には、この種のデータが載っていないのです。

 あと、神田日勝記念美術館で知られる十勝管内鹿追町は、一時期、民営鉄道が2本も走っていたという史実をあらためて知り、しみじみ…。

 いちおう、美術ブログなんで、それと関係ある話を書きます。

 旭川電気軌道東旭川線(1929-73年)の「愛宕駅」は、開通当初は「難波田」という名でした。
 そうです、難波田龍起のお父さんの姓からとったんですね。

 それにしても、この路線ぐらいは、残しておけばよかったですね。
 なにせ、終点が「旭山公園」。いま話題の動物園です。黒字になるんじゃないでしょうか。


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2 コメント

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Unknown (パセリ)
2008-06-12 20:32:00
この地図には、ダムの位置も良く書きこんであります。
ただし、札幌の水瓶「豊平峡ダム」と「定山渓ダム」が載っていませんけど。
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パセリさん、こんばんは (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2008-06-12 22:13:12
ダムですか、人によって、着目するところが違うものなんですねぇ。

まあ、この本なら、車窓から見えるダムがわかれば、いいのかなあ-とか思います。
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