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中野五一「河原鶴造翁之像」―相内・北見への短い旅(2)

2021年04月14日 08時24分18秒 | 街角と道端のアート
(承前)

 北見に行く前、相内あいのないで各駅停車の列車から降りたのは、相内神社に立ち寄るためでした。

 境内に隣接する相内公園に、河原鶴造という人物の立像があることを知り、この機会に見に行くことにしたのです。  



 河原鶴造については、ネット検索すると何件かヒットします。
 とくにブログ「相内神社社務日誌」は、お膝元なので信用できそうです。引用します。

 相内村の発展に多大な功績を残した河原さんは、明治10年1月10日、鳥取県東伯郡長瀬村大字水下村の生まれ。同31年9月屯田兵として移住、36年屯田兵の現役解除時には歩兵軍曹。日露戦争時は北韓軍に属して功有り、勲七等青色桐葉章を受章。その後、北海道庁林務課勤務、帝室林野管理局技手をへて大正4年に相内へ帰村。呉服太物商を営み、昭和8年9月14日より同20年9月9月13日まで村長を勤められました。

 侠気に富み、動作は俊敏、喧嘩や口論があると聞くと、すぐ和服の裾を割って尻はしょり、裸足で仲裁に駆け出したそうです。


 先ほど「隣接する公園」と書きましたが、行ってみると、積もった雪のせいか、神社と相内公園との境界は判然としません。
 むしろ境内に立っているような印象を受けます。

 上のブログによると
「神社の参道の方を向いて立っており、ご本人を知る人に聞くと、この像そっくりの方だったそうです」
とのこと。
 像の作者名は記されていませんが、掲載された画像を見る限り、高い技量を持った彫刻家の手になるものであることがわかります。
 それで、見に行くことにしたのです。

 彫像の裏手に回っても、銘板(後述します)には作者名は明記されていません。
 足元に作者のサインなどが刻まれていないかと目をこらしましたが、よくわかりませんでした。


 後で『北見ブックレット第13号「北見の彫刻・彫像MAP」』を見て、この像の作者が、中野五一であることを知りました。
(ただし、このブックレットで「河原鶴造像」とあるのは、厳密にいえば、正面の銘板の「河野鶴造翁之像」とあるのと、食い違っています)

 略歴はこちらに書いてありますが、戦後の一時期、相内に疎開していたことがあり、その関係でしょうか、北見をはじめ道東地方に多くの作品が残されています。
 戦前は構造社展に出品し、戦後は日展で会員になりました。


 口元にたくわえたりっぱなひげ。

 しっかりと前を見据えた目つき。

 ステッキを手にしながらも、まっすぐに伸ばした背筋。

 いかにも、強い意思で開拓に乗り込んできた明治人らしい風貌だといえないでしょうか。


 なお、冒頭画像で、背後に見えているのは「平和祈念碑」のようです。
 

 後ろ側の銘板には次のように書いてあります。

 翁は明治十年一月鳥取県に
 生れ仝三十一年九月屯田兵と
 してこの地に入殖 爾来本村
 の開拓に腐心し 爾後村治
 産業(?)の指導的地位にあつて
 終始一貫郷土の伸展に挺身
 しよく今日の基を築く
 茲に開基六十年を迎えるに
 あたり翁の偉業とその不屈
 の屯田魂を永遠に讃えて
 之を建てる
    昭和三十一年九月
    相内村長 作田政次


「仝」は「同」とか「同前」と同じ意味。
「爾後村治産業」の部分は、解読に自信がありません。


過去の関連記事へのリンク
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中野五一「岡本政道翁像」 (滝上)
中野五一「遠藤熊吉翁之像」(網走)

前田駒次翁像(北見)
伊谷半次郎翁像 (北見)

中野五一「松浦武四郎蝦夷地探検隊」 釧路の野外彫刻(12)

構造社 昭和初期彫刻の鬼才たち



・JR相内駅から約980メートル、徒歩13分

北海道北見バス「相内神社」からすぐ(北見駅ターミナルから「温根湯・留辺蘂運動公園線」に乗車)



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