道内在住と、道内出身で首都圏在住の若手作家が、時計台ギャラリーの全室を借り切って始めたグループ展も、ことしで5回目となりました。全体的に、首都圏組が増えて、道内組が減ったような気がします。とくに3階は、ムサビ(武蔵野美大)、タマビ(多摩美術大)といった大学に在学中の、80年代生まれの出品者がほとんどを占めました。もっとも、3階について言えば、彼ら・彼女らは、まだまだ若いなーというのが正直な印象ですし、昨年12月に見た「油展」(道教育大の油彩研究室展)のほうが個人的にはおもしろかったですね。それと、第3回展では少なかった「現代美術」的作品が今回はいくつかあった上、彫刻、工芸、版画、日本画の出品もあり、バランスという点ではとても良かったんじゃないかと思います。
気になったのは、絵画では村山之都さん「幽霊が混ざる」。ポルノグラフィック的なイメージを氾濫させています。あからさまに写真を模倣していながら、いわゆるフォトリアリズムではなく、いかにも絵画的なのが、おもしろいと思います。
谷地元麗子さん「時の間に時の間に」(日本画)は、猫の描写がリアルで驚きました。
水野智吉さんの裸婦彫刻「神話」と、渡辺和弘さんの漆芸作品「巡煌」は、もう若手というよりは成熟した完成度の高さを見せていました。
波田浩司さんと藤井康子さんについては、以前別のエントリで触れましたので、今回は省きます。
出品作は次のとおり。(ただし小品は除きます)
久津間律子(73年江別生まれ)「想う」
山田啓貴(78年苫小牧)「翡翠の岸」(同題2点)、「白髭は見つめている」「白鳥のいる風景」
谷地元麗子(80年江別)「時の間に時の間に」
村山之都(69年旭川)「偽ボクサー」「幽霊が混じる」
波田浩司(71年江別)「羽の舞う日」(同題3点)
田中怜文(78年旭川)「プロフィール」
宮地明人(77年岩見沢)「paradox」「off」
山本陽子(78年余市)「ディスタンス」
秋元美穂(83年函館)「垂」
河野紫(81年札幌)「フェナミナン3」「生の音色」
渡辺元佳(81年伊達)「まくどmonx」
佐藤正和(73年函館)「メンガタクワガタのヘルメット」(立体)
水野智吉(69年函館)「神話」
齋藤麗(78年浦河)「wax1」「wax2」
三浦卓也(78年函館)「遠い想い」「Rosa」「故郷へ」「哲学」「El abogado」
藤井康子(81年稚内)「THE MOMENT2」「THE MOMENT3」
宮澤佑輔(85年札幌)「使者」「厳正なる試練に向かって」
渡辺和弘(75年札幌)「巡煌」
平松佳和(79年旭川)「Jabberwork」「ALICE」「Bendersnatch」
河野健(73年苫小牧)「時速1.5キロ」
平野加奈子(85年札幌)「流れI」「流れII」(ドライポイント)「コミック・ワールド」(色鉛筆・サインペン)「Image01」「Image02」「Image03」(リトグラフ)
棟方一沙(83年旭川)「外の世界」「金鶏」
小林愛美(84年釧路)「渇望」「想葬」
西山直樹(81年東神楽)「誘い」「憂い」
片山実季(84年苫小牧)「乱心」
高村葉子(81年士別)「内陸」「地方都市の春」
竹居田圭子(71年東京)「九人と、本をつくる」「この場所で生きていくということ「おいしい水」」
菊地博江(84年小樽)「ひょうめんのてりかえし」「トラップ」
稲葉愛子(85年札幌)「路」(同題2点)
風間真悟(79年東川)「route32256」
もしまちがっていたらごめんなさい。
どうでもいい話ですが、意外と札幌出身の人が少ないですね。
3月20日(月)-25日(土)10:00-18:00(最終日-17:00)、
札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3 地図A)。
気になったのは、絵画では村山之都さん「幽霊が混ざる」。ポルノグラフィック的なイメージを氾濫させています。あからさまに写真を模倣していながら、いわゆるフォトリアリズムではなく、いかにも絵画的なのが、おもしろいと思います。
谷地元麗子さん「時の間に時の間に」(日本画)は、猫の描写がリアルで驚きました。
水野智吉さんの裸婦彫刻「神話」と、渡辺和弘さんの漆芸作品「巡煌」は、もう若手というよりは成熟した完成度の高さを見せていました。
波田浩司さんと藤井康子さんについては、以前別のエントリで触れましたので、今回は省きます。
出品作は次のとおり。(ただし小品は除きます)
久津間律子(73年江別生まれ)「想う」
山田啓貴(78年苫小牧)「翡翠の岸」(同題2点)、「白髭は見つめている」「白鳥のいる風景」
谷地元麗子(80年江別)「時の間に時の間に」
村山之都(69年旭川)「偽ボクサー」「幽霊が混じる」
波田浩司(71年江別)「羽の舞う日」(同題3点)
田中怜文(78年旭川)「プロフィール」
宮地明人(77年岩見沢)「paradox」「off」
山本陽子(78年余市)「ディスタンス」
秋元美穂(83年函館)「垂」
河野紫(81年札幌)「フェナミナン3」「生の音色」
渡辺元佳(81年伊達)「まくどmonx」
佐藤正和(73年函館)「メンガタクワガタのヘルメット」(立体)
水野智吉(69年函館)「神話」
齋藤麗(78年浦河)「wax1」「wax2」
三浦卓也(78年函館)「遠い想い」「Rosa」「故郷へ」「哲学」「El abogado」
藤井康子(81年稚内)「THE MOMENT2」「THE MOMENT3」
宮澤佑輔(85年札幌)「使者」「厳正なる試練に向かって」
渡辺和弘(75年札幌)「巡煌」
平松佳和(79年旭川)「Jabberwork」「ALICE」「Bendersnatch」
河野健(73年苫小牧)「時速1.5キロ」
平野加奈子(85年札幌)「流れI」「流れII」(ドライポイント)「コミック・ワールド」(色鉛筆・サインペン)「Image01」「Image02」「Image03」(リトグラフ)
棟方一沙(83年旭川)「外の世界」「金鶏」
小林愛美(84年釧路)「渇望」「想葬」
西山直樹(81年東神楽)「誘い」「憂い」
片山実季(84年苫小牧)「乱心」
高村葉子(81年士別)「内陸」「地方都市の春」
竹居田圭子(71年東京)「九人と、本をつくる」「この場所で生きていくということ「おいしい水」」
菊地博江(84年小樽)「ひょうめんのてりかえし」「トラップ」
稲葉愛子(85年札幌)「路」(同題2点)
風間真悟(79年東川)「route32256」
もしまちがっていたらごめんなさい。
どうでもいい話ですが、意外と札幌出身の人が少ないですね。
3月20日(月)-25日(土)10:00-18:00(最終日-17:00)、
札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3 地図A)。
スタートが13時00分、時計の針と反対周りのコースで、A地点にはいる。ここには油彩の大作が目白押しに並んでいる。私の眼をひいたのは波田浩司の「羽の舞う日」シリーズである。これが3枚並んでいる。現代の都市文明を無意識に肯定しながら生きている人間の形態模写がデフォルメされて描かれている。これを確かな映像として描ききる作家の主体的ポジションの在り処はどこにあるのかと問うと、それはやはり空中を舞っている羽にこそ認められる。この浮遊する羽は作家の批評の意識の水準を表象している。デフォルメされた顔の形と指先の形と全身のポーズの奇妙な歪みは確かに現代文明への批評の意思の現れであるが、それはしかし羽のように浮遊するだけで、確かな着地点を示しえない、示そうとはしない。それは実は内部崩壊の危険性をつねに抱え込んでいる。表現意思の背後から迫ってくるカタストロフィの危険性を予感しているはずである。なぜなら表現意思のパースペクティブの自己定義そのものに内的矛盾の胞子がひそんでいるからである。
この巨大な屍体のわきを細心の注意でもって通り抜けると、さらにその先に、またもや、巨大な氷壁の塊が見えてくる。村山之都の「幽霊が混じる」「偽ボクサー」である。この難関をくぐり抜けるにはどうしたらよいか。これは正面から対峙するしか仕方がない。この巨大な混沌としたイメージの集積から湧いて出てくる醜悪感はしかしながら「偽の」醜悪感にすぎない。「幽霊」の醜悪感にすぎない。それは「幽霊」であって、「にせもの」であって、真実ではない。真実から遠く離れるという身振りをとことんまで演じきる。それが演技であることさえ、見破られなければ、バレルまで続ける。ばれた所で、こわくない、アカンベーを見せ付けて、ジ・エンド、そこで幕である。ここにある表現意思は波田の場合とかなり違っていて、より確信犯的である。偽悪ぶるというポーズに騙されてはいけない。彼は絵画におけるホリエモンではないのだ。
B地点に進入。ここは時計回りで。ここは途中に齋藤麗の[WAXⅠ][WAXⅡ]というクレパスが連続していて、そこを通り抜けるのにいささか難儀する。そこから、C地点へ迂回して行くと、そこには藤井康子の[THE MOMENT 2][THE MOMENT 3]が続いていて、その先の氷壁を攀じ登っていくと、さらにその先に、平松佳和の[Jabberwock][ALICE][Bandersnatch]が迫ってくる。そこまでで、くたくたになったので、30分の小休憩する。
15時30分、開始。3階のD地点に向けて移動する。D地点で、別の登攀隊「どらーる」の坂本氏プラス1名に遭遇する。彼の隊は登攀を終えて下山のコースなのである。ちょとだけ、挨拶をかわす。D地点には平野可奈子の版画が並んでいる。その中間点に、色鉛筆とサインペンの細密画「コミックワールド」が口をあけて狙っている。それはかなり奇妙な世界である。怪しいので、幾つも、ハーケンを打ち込む。
それから、しばらくして、E地点に進入する。すると、その先のF地点辺りに、同じ登攀写真家の山岸さんの姿が見えるではないか。時計を見ると、16時00分である。お互いに声を掛け合い、しばらく、近況について語り合う。鈴木涼子の写真作品のモデルになったのは山岸兄弟であるとのこと。別れ際に、4月の彼の個展の案内状をもらい受ける。会場は門馬ギャラリーと書いてある。
E地点は狭い空間であって、高村葉子の「内陸」「地方都市の春」というこれまた奇怪な心象風景に眼を留め、しばらく、様子を伺う。
そこからもっと狭い空間であるF地点にはいると、そこには竹居田圭子の「この場所で生きていくこと『おいしい水』」と「九人と、本をつくる」が私たちを待ち受けているところだ。哺乳瓶が十数個、ガラスのテーブルの上に置かれている。中には水が入っていて、採取された場所の名前が紙ラベルに記入されている。その傍には、9角形のした木のテーブルの上に、黒い表紙の手作りの本が9冊置いてある。それは彼女が9人の作家との共同作業で作り上げた本のようである。中を覗くと、表紙の真ん中に印刷された名前の作家が白紙のページに彼女の指示に従って、あるいは反して、勝手に自由に書き込んでいる。それは書物という概念に少しだけ
生気をふきこむ試みである。
さて、そこからさらに頂上を目差して、最後のG地転に移動する。そこの奥まったところに、風間真悟の巨大なインスタレーションの創造のプロセスが記録されている。そのプロジェクトは[route 32256]と名づけられる。詳しい製作方法は割愛するが、そこに置かれてあった分厚い「ポートフォリオ」を覗いてみたが、これは只者ではないと認識する。
ここまで攀じ登って来た上での感想であるが(たかだか3時間の登攀でしかないが)、この登攀ルートだけが唯一のルートではないという実感である。確かに表現の「現在」の情況の幾つかの断面は見える。そこには表現の深刻な危機意識が垣間見ることができる。見えるが、そこにある作品群が果たして「新世紀」を担うに足る持続的な登攀力を身につけているのかと問うてみるなら、少しばかり、私は懐疑的になる。
鑑賞者が書ける本が一冊あって狂い書きしました。
私はキャンプ地において頭の中で作戦を立てていた。イメージトレーニングである。
それは最近立て続けに登攀を試みた幾つかの体験の記憶が重く残っているからである。近美というK2で日本の近世の登攀家国貞のいわゆる浮世絵的記録の一部に過ぎない美人画なるものを間近に見たことがある。その前後に、同じ近美の「北の日本画展」なる現在の浮世絵師の記録をつぶさに見る機会があった。また、「どらーる峰」にあっては1939年生まれの現代登攀家・米谷雄平氏の最近の登攀記録「さうすぽいんと」シリーズを垣間見た。またそれからずっと低い山であるが、「フラワーギャラリーダ
ンクール峰」にて、若い登攀写真家たちの記録である「PHOTOGRAPHIC SYNDOROME」を見てきた。これについての報告は当サイトの主であるやないさんがすでに書いている。
で、これらの体験が私の頭の中で反芻されるうちに、「絵画とは何を描くものなのか」という最も基本的な問題に逢着したのである。絵画とは人間の脳内現象・脳内イメージを平面という画面に投影し、再構成されたものであるという仮の定義がおのずと生まれてきたのである。その仮設のポジションから登攀することに決めた。
さて、前置きが長くなったが、A地点で体験したことに戻ることにする。
A地点は一見するときわめてなだらかで登攀可能な地点と思いがちであるが、ここは最高の難
所なのである。なぜなら、ここには現在の登攀の方法意識(方法論)があざやかなかたちで並べられているからである。
先ず最初のハーケンを打ち込む場所に久津間律子の「想う」が位置している。ここが最初の難関である。モチーフは人間の現在のかたちである。彼女の分身でもある若い女性が下着姿のまま、ひとり、椅子に座り、頬杖をついて物思いにふけっている。左半身の妖しい姿が眼に入る。その姿を作家はこちらから見つめている。女性の姿が映し出されていない大きな鏡には見るものの視点の背後にある世界が映し出されている。そこには白布で覆われたテーブルが見え、その上にワインの壜と髑髏が並んでいる。その手前に何か首飾りのようなものの影がうつっている。テーブルの奥には暗いスリット状の闇(隣の部屋への境界)が口を開けている。
ここでは鏡に映っている世界(背後の世界)が彼女の「想い」の象徴的な像としての意味を見る者に投げかけているのが了解できる。このような絵画の画面構成上の古典的な構図はすでに先人が究めつくした表現と認識のひとつの型であり、様式であることに誰もが気がつくことである。したがって、そのような画面構成の方法意識にもとづいて、飽くまでも、現在の人間の形をリアルに描いていくことの、その「可能性
」が実はシビアに問われることになる。評はみなさんにお任せることにする。
その難所のつぎに待ち構えているのが、宮地明人の「off」と「paradox」である。これらの表現世界の主題になっているのも、久津間律子の場合と同じく、現在の人間のリアルなかたちである。しかし見る視点が異なるし、その主体的な絵画のポジションが違っている。それを両者の絵を等距離の位置から見比べるならすぐ分かることである。
宮地の場合も、ある意味では久津間と同じような古典的画面構成・構図を下敷きにして描いているのであるが、描かれているシーンを支えている視線の質量が重くない、とても軽い、乾いているのである。その違いは宮地の場合明瞭に方法意識として自覚されている。
「off」の場合、若い女性が下着姿のままひとりベッドの上にからだを横たえている。放心しているかのようである。ベッドの脇にはペットの犬がほぼ同じ格好をして横たわっている。ベッドの上に空になった円い皿とスプーンがなぜか置かれている。女性はかるく九の字の形のポーズをしていて、腕は無意識に投げ出されている。無防備な、何かの意思的行為が終わった直後の、一種の意識の空白感の心地よさに浸っているように見える。見る者(他者)との視線の共有は端から断念されている風に見える。これはきわめてプライベートな時間を現在の個々の人間がいつも経験していることの現状報告である。
人体と犬と皿とスプーンとベッドがそれだけが描かれている。このきわめて簡素で省略され抽象化された画面構成の方法意識は「off」というタイトルにもあらわれる。久津間律子の「想う」と宮地明人の「off」の方法意識上の差異はそのタイトル名にも歴然とあらわれている。
久津間は向き合っている、それから眼をそむけていない。何に対峙しているのかというと、自分自身の無意識の行方である。あるいは死と生のリアルな現実感の近さにである。それと違って、宮地はそのような不自由なポジションに身
を固定することに生理的に違和感を感じていて、対象の世界からも、自分自身の無意識からも、もっと自由に、距離を置いて眺めている。それだけクールであり、乾燥している、目の玉の奥が。久津間の場合は濡れている、湿り気がいまだ残っているのだ。
ふたりとも、現在の人間のリアルな姿を絵画的に表現する手法として、「暗示」という手法を信じているようである。ただ、もしかすると、宮地の場合、あくまでも、絵画の一手法としてい、信じている振りをしているだけなのかも知れない。
ただここで残された問いとして、この「暗示」の手法が現在の人間をリアルに描く上で有効
であるのか否かという点である。(この項つづく)
絵画が脳内イメージを平面的な画面に投影し、それを再構成したものであるという仮の定義から、私は登攀を開始したのであるが、さて、A地点のルートはさらに厳しくなる。
ある意味ではオーソドックスな絵画の佇まいを残存させている久津間律子の「想う」と宮地明人の「off」と「paradox」を見比べてみても、宮地の場合になると、絵画における「リアリズム」に質的な変容が生じている。つまり、画面の上からは、純粋な脳内イメージにノイズを与えるであろうと見なされるもの達がきれいさっぱり除去され消去されている。その空間の湿度も気温も消去されるという風に。さらには時間すら特定できないように加工されるという風に。そうすることによるイメージの効果、とくに「暗示」の効果がさらに増量することは間違いない。しかし、現実にあるもの達を消去した分、リアリティが稀薄になり、現実の世界から遊離する、浮遊する「雰囲気」が濃密になるのもまた間違いないのだ。
ここには製作意識のなか「リアリティ」と「リアルさ」の概念の上での区別がすでに生まれていることになる。この「リアリティ」と「リアルさ」の概念上の使い分けは作家個人において千差万別であるのだが、それがすでに生じていることだけ確認しておく。
その先のほうに待ち構えている巨大な氷壁を遠望すると、先ず手前に、波田浩司の「羽の舞う日」シリーズという絶壁が3枚聳えている。その先には、さらなる絶壁である、村山之都の「幽霊が混じる」「偽ボクサー」が滑落する運命の遭難者を待ち受けているかのように聳えている。このA地点は徒手空拳では即座に墜落するしかない。要所要所に、機敏に、幾本もの鋼鉄のハーケンをハンマーで打ち込まなければならない。
波田の「羽の舞う日」シリーズは堅牢な自覚的方法意識において緻密に構成されている。見る者に1ミリの隙を与えることなく、その画面は構成されている。それは完成形であって、その完成されたモビルスーツのヴァージョンアップだけが現下の製作の課題である。
画面の世界はどの場合にもかっちりと上下に二分されている。この世界を二分するというパースペクティヴは先の久津間にも宮地にも存在しないものである。彼らの場合、画面の上では画室から一歩も外へ出ていない、室内の限られた時空を足場にして、画面の構成を試みている。しかし波田の場合、画室から外に出て、世界に向かって足をふみだしている。しかしその世界観はきわめて単純であり空疎である。
前景には同じような(あたかもクローンのような)幾人もの男女の人体がデフォルメされた姿態で、まったくてんでばらばらな方向を向いて、そこに存在している。彼らはすぐ近くの他者にはまったくの無関心のまま、自分の関心にのみ意識を向けている。彼らの頭上には空中浮遊している二体の男女があたかも月面宙返りかイナバウアーのポーズをとっているのだ。
誰もがきっと奇妙な関心をそそられると思うが、幾つものヴァリエーションで描き分けられているが、どれもが同一の人体の形態模写に過ぎない、その人物の独得のつるんとしたタマゴ形の頭部である。とくに偏執的に描かれている、イナバウアー的な姿勢の逆さまになっている頭部がこちらの方をまっすぐ見つめている独得のフォルムは絶品である。この逆姿勢からの視線をあえて執拗に描くという方法意識は見上げたものである。そしてここに作家の世界観の主観的ポジションが描かれている。すなわち、世界を逆さまに見ることのすすめである。もちろん、作家は逆さまに見えるままの形において、脳内イメージを画面上に再構成をするという危険きわまる冒険には手を出してはいないが。
近景から視線を遠景に向けると、そこには我らが生きている現在の都市文明を象徴する摩天楼の姿がこれも奇妙にゆがんだ形でひろがっている。その上には何もない空虚な天空が無限に続いている。
さて、羽はどこにあるのか。どこから落ちて来るのか。羽はどこに着地するのか。羽は天使の羽なのか、それともただ単に作家の自意識の先端の象徴としての羽に過ぎないのか。
この舞い落ちてくる羽は確かに有元利夫の舞い落ちてくる花とも違う。有元にあって、波田にはないものが確かにそこにはある。それを想像するなら、それを想像した後の視線で、波田の「羽の舞う日」を眺めてみるなら、誰もがその違いに気づくと思う。
すなわち、有田も独得のフォルムにおいて同じような人体を描いている。波田も独得のフォルムにおいて同じような人体を描いている。しかし、私が絵画の純粋な美という視点から強く惹かれるのは有元の人体であり、舞い落ちてくる花の方なのである。
ここには絵画構成上の高度の問題が存在する。それは高等数学以上に難解かもしれない。
絵画における純粋なる美の構成というきわめて原初的な視点に誰もが幾度か純粋な絵画を眼の前にしたときに立ち返らされるのであるが、そのような絵画における純粋な美の方法的発見という前人未踏の登攀のルートは幾多の画家の運命を狂わせる魔境である。
現在の人間の姿をリアルに描くという主題において、個々の作家が絵画の「可能性」を命懸けで探求していることに異を唱えているのではない。そのような気はさらさらない。同時代の人間として、作家個人が製作のプロセスにおいて日々苦心し苦闘していることをけっして忘れてはいない。同じ現在の情況に、それぞれの固有の存在の生き死にを体験し、何らかの表現意思の動機を共有するものの一人として、小さな頭で考えたことをのべている。
さて、A地点でのジグザグな行程は、まさに、巨大な氷壁、波田浩司の「羽の舞う日」シリーズの前に来ている。それはかなり険しい表現の氷壁であって、私は幾本ものハーケンを我を省みずに打ちこんでいる。ずり落ちないためにである。滑落しないためである。ハーケンの1本目は世界を二分割している透視法の真ん中に打ち込まれた。2本目は独特のフォルムをした人物の頭部めがけて打ち込まれた。3本目は舞い落ちる羽に打ち込まれた。それで私の登攀の足場が確保されているのか、アヤシイモノデアル。
この地点から、通り過ぎてきたふたつの氷壁、久津間律子の「想う」と宮地明人の「off」を振り返ると、人物の構成が単数であるか、複数であるかの違いが見て取れる。単数の人物を画面上に構成することと複数の人物を画面上に構成することの本質的違いである。絵画の表現世界としては関係性の複雑さ・緻密さの密度と強度がさらに増していく。モノフォニーの世界ではなく、ポリフォニーの世界を構成するという難度の高い問題がそこでは浮上してくる。
この問題に直面して、絵画における個々の登攀家は独自のルートを独りで見つけ出すことを強いられる。それは先人の登攀家のルートの模倣から始まって、独自の修練を積み上げて、見つけ出すしかないものである。それが不可能ではなく、可能であることは、波田の「羽の舞う日」が証明している。しかし、急いで付け加えるならば、登攀家の誰もがそのことにおいて成功するという保証はない。
波田の場合は確実に成功している。それは誰もが納得することである。この発見された登攀ルートはしっかりと羽田の固有名によって縁取られている。
複数の人物をひとつの平面上に配置することが如何にむつかしいか、やってみれば、すぐわかる。そのむつかしさについて、ここであえて写真のポートレートの場合で考えてみる。写真も同じ平面上で何かを表現している。肖像写真の場合、たいていは単数である。複数の場合になると上限があって、大抵の場合、二人どまりである。それ以上の複数の人物の肖像作品はとてもとてもむつかしい。確かに、都市の路上の雑踏をとらえたり、信号を待っている、あたかも同じ表情のように見える群集をとえあえたりすることを写真はなんなくやり遂げているが、それはポートレートの範疇からはるかに食み出た領域である。単数の人物の場合であっても、ポートレート写真作品として、鑑賞に堪えるだけの密度と強度を有することはそれだけでも大変な至難の技である。それが複数の人物になり、双子関係であろうが、夫婦関係であろうが、親子関係であろうが、兄弟関係であろうが、ポートレートとして、自立した表現世界を立ち上げることとなると、さらにむつかしくなる。
そのことを念頭におくなら、波田の「羽の舞う日」シリーズの、ポリフォニックな画面構成の方法は成功していると思う。それはたぶん追随を許さない程度に完成されたスタイルであるとさえ思う。ことに、あのイナバウアー的なポーズをしている女性の顔の表情の造形には性的魅力すら輝いている。その顔のフォルムの発見は波田の並々ならぬ研究の成果であると思う。
さて問題の焦点は次なる巨大な氷壁、村山之都の「幽霊が混じる」「偽ボクサー」との位置関係にある。A地点の登攀ルートは実はここで終わるからだ。
私はあらたなハーケンを氷壁に打ち込みたい。「befor」と「after」というハーケンである。何に関しての「befor」と「after」であるかといえば、「世界崩壊」の「befor」と「after」である。すなわち、カタストロフィ以前の世界の構成か、カタストロフィ以後の世界の構成か。あるいは、その崩壊の生々しい体験をくぐり抜ける以前の構成なのか、それ以後の構成なのか。
その視点に立って、これらの二つの険しい氷壁を見比べるなら、波田の表現世界が「befor」の世界をあえて自覚的に構成していることがわかる。したがって、表現世界の構成の時系列から追いかけるなら、次にくるのは、必然的に、「after」の世界である。
登攀日誌補遺(A地点)つづき(3)
波田の表現世界が「befor」の世界をあえて自覚的に構成しているというのは、彼がカタストロフィの問題意識を確実に所有しているからである。人体のデフォルメの極限スレスレのところ、すなわち、五本の手の指の極端に反り返ったライン、あのつるんとした触感・皮膚感覚で包まれた独特の顔の造作、ことに顔の真ん中に位置する猥褻に伸びきったバナナのような鼻のかたち、最後に、あの空中浮遊するイナバウアー的姿勢でこちらを見据えている女性の独特の頭部のフォルム、さらに付け加えるなら、人体も都市の景観も、すべての存在するものがそこに居る誰の眼にも絶対に感知されず、絶対に気づかれない現代文明の圧の作用を受けてぐにゃりと歪んでいる。
さらに、波田の「羽の降る日」の世界はカタストロフィの開始が自覚的に予兆されているのだ。それが天上からさらさらと舞い降りて来る眼には見えない無数の「羽」の存在である。この「羽」は現実の羽ではなく、しかも誰の眼にも絶対認めることのできない幻の「羽」であって、それは波田の脳内イメージの世界にのみ確かに存在する。
それはカタストロフィが現実に進行していることのサインであり、象徴である。
確かに、久津間の画面に描かれている鏡とそれに映し出されている髑髏は絵画的暗示であるが、けっして絵画的象徴ではない。また、宮地の画面に描かれている犬も皿とスプーンも絵画的暗示であるが、けっして絵画的象徴ではない。しかし、波田の画面に描かれている羽だけは世界の死の絵画的象徴であって、けっして絵画的暗示ではない。
したがって、波田の「羽の降る日」というタイトルには、その「羽」の前に、「世界の死の」という修飾語句が括弧でくくられていて、それが意図的に消されているのだ。
ここまで見届けて、次の、村山之都の「幽霊が混じる」「偽ボクサー」に向かうことにする。
ここでまず私がこの氷壁を首尾よく登攀する自信がないことを告白しておくのがフェアであろう。その理由はとても個人的である。私がこの作品「幽霊が混じる」を目撃したとき、しかも作家の名前「之都」を確認したときですら、じつは、この奇妙な混沌とした世界が女性作家の手によって構築されたものだとばかり、思い込んでいたからである。この致命的な勘違い、錯覚、取り違えは、本心を言うなら、「幽霊が混じる」の表現世界を女性があえて構築したなら、全的に肯定できるという、実に、たわいのない、個人的な願望の投影にあったからである。それだから、「幽霊が混じる」の隣に並んでいる「偽ボクサー」を見た瞬間、齟齬の感覚、違和の感覚がおのずと生じたのである。こ
の「偽ボクサー」世界は女性があえて構築する世界ではないという微細な違和感である。
分かってしまえば笑い話であるが、すべての謎が氷解したときの、私の内部の小さくない失望の念はどうもがいても消えそうにもない傷として残っている。
で、この私個人の内部事情がちいさな抵抗感となって、登攀するルートを見つけようという意志を萎えさせている。(チクショウ!)
ま、仕方ないか。両作品とも、壊れた世界を描いている。一度、完全に壊れてしまった世界の破片を無数に集めて再構成するという、きわめて精神的にシンドイ様なプロセスにのみ、絵画構成の意味を見出している。それ以外の、他者がこの「幽霊が混じる」「偽ボクサー」の世界をどのように解釈しようが、批評しようが、まったく関係ないというポジションにしっかりと立っている。
久津間律子の「想う」の世界も、宮地明人の「off」と「paradox」の世界も、さらに波田浩司の「羽の舞う日」の世界も、現実感とその源泉であるマテリアルな世界の存在を前提にしている。(信じているかどうかは別であるが。)しかし、村山之都の「幽霊が混じる」「偽ボクサー」の世界は、まったく、その前提を外している。村山の表現世界構築の源泉になっているのは世界そのものではなく、この世界の表面を無限級数的に増殖し、流通している映像そのものである。
「幽霊」はじつはこの無限級数的に増殖している映像が全地球規模において飛び交う仮想現実の時空間に(のみ)存在する。それは私たちの現在のきわめてアリフレタ風景である。それを私たちは無意識に呼吸している。その空恐ろしさを暴くことは不可能な試みに違いない。それをあえて試みたなら、どうなるかの、実験を、村山は行っている。その結果が「幽霊が混じる」「偽ボクサー」の世界であるが、先ほども述べたように、出てくるのは「幽霊」みたいなものたちである。
この不気味さはわれわれ自身の存在そのものの不気味さである。
登攀日誌補遺(A地点)つづき(4)「現在の不気味さの行方」
私の感想であるが、不気味なもの(「幽霊」のようなもの)の気配を誰もが常日ごろ感じていて、その気配を消すことができないという感触を大抵は意識の片隅にいだいている。
いちばん困るのは、その気配を感じてはいても、その気配の「正体」であるらしい、不気味なものは「幽霊」のように、姿が見えない。嘘か本当か知らないが、見えるものには見えるらしい。われわれはそれを「心霊写真」とか「霊視」とかによって二次的に確認できるのであるが、しかし、大抵の場合、その気配の「正体」を見ること(見破ること)に、誰もが納得するようにはなっていない。それはいつも謎のまま推移している。
どうゆうわけか、私の観測では、この「不気味なものの気配」に対して、表現を志すものの意識と体が著しくシンクロするみたいなのだ。
A地点の作家の作品をすべて見渡してみても、誰もがすぐに気がつくはずであるが、どの作品も、それぞれの固有のポジションにおいて、この「不気味なものの気配」とのシンクロを通過している痕跡がまざまざと残っているのが目撃できる。
作家がたとえハッピーな主題に向き合って、制作をすすめている最中であっても、不気味なものの気配がつねにその背後に存在していて、作家の表現の過程そのものをありありと凝視している。
「幽霊」のようなもの気配と影は、久津間律子の「想う」の世界も、宮地明人の「off」と「paradox」の世界も、さらに波田浩司の「羽の舞う日」の世界も、そしてもちろん、村山之都の「幽霊が混じる」「偽ボクサー」の世界にも、見え隠れしている。
そうすると、絵画構成上の問題の焦点はどこにあることになるのかというと、その「不気味なものの気配」との関係性の在り処の、個々のスタンス、距離感の違いにこそ求められることになる。つまり、それとの方法的対峙の仕方(スタイル)の個々の発見の違いということになる。その制作方法上の発見が、現在の人間存在の「リアリティ」の発見、あるいは、現在における「リアルなもの」の発見を意味するのは間違いないことであろう。
そのような現在における人間存在の「リアリティ」あるいは「リアルなもの」を視覚的イメージとして再構成することが表現者の日々の精神的労働ということになる。そのような内在的意味の意志的ちからの先端がかろうじて表現しうるであろう、視覚的イメージの表現世界の「リアルさ」「リアリティ」こそが批評の正統な対象となる。
個人の秘密の場所である脳内イメージを視覚的イメージに変換するプロセスのことを表現過程と呼んでいる。
その変換の過程は「幽霊」のようなイメージが具体化する過程、いのちが吹き込まれる過程、視覚的イメージの心臓と肺とが動き出す過程、すなわち、物質化する過程である。それは「幽霊」のような脳内イメージが視覚的イメージへと変換する精神の燃焼過程のことである。
それにつねに成功するとは限らない。変換の過程はつねに生命の危機をともなう。死産になる場合も起こる。流産になる場合も起こる。未成熟なまま、生まれることもある。この生命の危機をコントロールする技術がそこで問われる。
人間存在の底なしの不気味さと対峙し対決することをぬきに、自立した表現世界の成立はけっして語れないであろう。絵画的表現の場合であっても、そこであらわれてくる視覚的イメージが何を主題にしていようが、その背後において幽霊のような不気味な存在との緊張した対抗関係の気配が感じられない作品世界はついには批評の正統な対象の資格を失うにちがいない。
あとは個々の鑑賞者が決めることである。
(ここまでつき合ってくれたあなたに個人的に感謝する。)
たぶん考えすぎだと思います。
>個人の秘密の場所である脳内イメージを視覚的イメージに変換するプロセスのことを表現過程と呼んでいる。
それは表現過程の定義にとって必要条件かもしれませんが、十分条件ではありません。
>「幽霊」のようなもの気配と影は、久津間律子の「想う」の世界も、宮地明人の「off」と「paradox」の世界も、さらに波田浩司の「羽の舞う日」の世界も、そしてもちろん、村山之都の「幽霊が混じる」「偽ボクサー」の世界にも、見え隠れしている。
T.nakamuraさんに見えるからといって、ほかの人にも見えるとは限らないのではないでしょうか。
未完であって、完結していない。疾走していて、停止していない。それは高速で回転する独楽のようにも運動している。そのような運動体である。その回転軸が直立しているのか、幾分か傾いているのか、その軌跡がどのようなルートを描こうとしているのか、それはその都度やってみなければわからないことである。
で、ここで実現している表現された視覚的イメージの世界から如何なるつぶやきの声を聴き取るかは、鑑賞者の個々の主観にゆだねられる。聴こえるものの違いと見えるものの違いは主観性の微細な違いに過ぎない。それがことに視覚上の主観的な美意識に支えられているかぎり、その差異は仕方がないことだと思う。
それは同じ作品に向かったときに如実に現象する。波田さんの『羽の降る日』の場合でも、そのとおりである。それは間違いなく、個々の感受性の違いなのだから、その違いを無視するわけにはいかない。
「カタストロフィ」についての感受性はたとえば村山さんの向かいに位置していた、山田さんの「翡翠の岸」の世界の背後にしっかりと自覚されていると私は感じている。「幽霊」のようなものの存在への感受性は山田さんの表現世界の背後にも確かに存在している。
それを感受するか否かは個々の感受性の違いでしかないであろう。(数学的世界と決定的に違うところ。)
A室の展示構成(時計回りと逆方向)では、久津間さんの「想う」、宮地さんの」「off」と「paradox」、波田さんの「羽が降る日」。そして村山さんの「幽霊が混じる」「偽ボクサー」の先の方に、山田さんの作品が位置している。この配置の仕方がなぜなのかを少し考えればその内的理由は自ずと分かるはずである。
「幽霊」のようなものの存在への感受性は「サッポロ未来展」に参加している表現者の共通の感受性であると私は信じている。