![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/f5/b1e0c2ebc4fc36025e5f6e76521303c7.jpg)
本屋さんで、老舗写真雑誌「アサヒカメラ」の表紙を見てビビビッと反応してしまった。
毎年冬に北海道の日本海側を訪れている瀬尾明男さん(横浜広島県福山市)の写真だ。
今回は2007年2月、マニュアル操作のオリンパスOM-1とOM-1Nにコダクロームをつめて2週間も歩いたという。
留萌管内小平町の市街地。
マチの北側を流れる小平蘂(おびらしべ)川のほとりにある「望洋台」から南を望んだ風景。
重い色の波が打ち寄せる海岸で、小さな町並みが吹雪にこごえている。
国道を走る車は少ない。
瀬尾さんは表紙のほかにも「ルモイ ユキノフルマチヲ」と題して、巻頭にカラー作品8枚を掲載している。
田沼武能(たけよし)や水越武といった大御所よりも前のページなのだからすごい。
筆者は1988年から90年まで留萌に住んでいたから、留萌、増毛、小平の1市2町の風景はとてもなつかしい(今回瀬尾さんは羽幌も行ったようだけど)。
と同時に、もうかなりむかしのことだから、写真を見ても、どの場所か思い出せないことが多い。ただ漠とした既視感だけが脳裡をよぎる。
瀬尾さんの視線は、そこに住んでいる人のものではなくて、旅人のものだ。
だから、演歌とまではいかなくても、古いフォークソングみたいな、どこか垢抜けしない感じがする。
しかし、それはそれでいいのだと思う。けっして、旅人だから無責任とかゆきずりということではなくて、むしろ出不精の地元民よりもずっとこまめに街角を歩きまわって、全力で風景を自らのなかにとりこもうとしているのは、画面からでもわかるのだから。
歩いて歩いて、歩き回るうちに、まるで二日酔いがさめて酒がぬけるように、出来合いの感傷性はどこかへ行ってしまい、むき出しの風景の厳しさが画面にじんわりと刻印されていくのだ。
毎年冬に北海道の日本海側を訪れている瀬尾明男さん(
今回は2007年2月、マニュアル操作のオリンパスOM-1とOM-1Nにコダクロームをつめて2週間も歩いたという。
留萌管内小平町の市街地。
マチの北側を流れる小平蘂(おびらしべ)川のほとりにある「望洋台」から南を望んだ風景。
重い色の波が打ち寄せる海岸で、小さな町並みが吹雪にこごえている。
国道を走る車は少ない。
瀬尾さんは表紙のほかにも「ルモイ ユキノフルマチヲ」と題して、巻頭にカラー作品8枚を掲載している。
田沼武能(たけよし)や水越武といった大御所よりも前のページなのだからすごい。
筆者は1988年から90年まで留萌に住んでいたから、留萌、増毛、小平の1市2町の風景はとてもなつかしい(今回瀬尾さんは羽幌も行ったようだけど)。
と同時に、もうかなりむかしのことだから、写真を見ても、どの場所か思い出せないことが多い。ただ漠とした既視感だけが脳裡をよぎる。
瀬尾さんの視線は、そこに住んでいる人のものではなくて、旅人のものだ。
だから、演歌とまではいかなくても、古いフォークソングみたいな、どこか垢抜けしない感じがする。
しかし、それはそれでいいのだと思う。けっして、旅人だから無責任とかゆきずりということではなくて、むしろ出不精の地元民よりもずっとこまめに街角を歩きまわって、全力で風景を自らのなかにとりこもうとしているのは、画面からでもわかるのだから。
歩いて歩いて、歩き回るうちに、まるで二日酔いがさめて酒がぬけるように、出来合いの感傷性はどこかへ行ってしまい、むき出しの風景の厳しさが画面にじんわりと刻印されていくのだ。
アイヌ語起源だと思います。
いま手元に参考書がないのですが、「ビラ」「ピラ」はたいてい「がけ」の意味ですから、おそらく小平も、小平蘂川の河口にある望洋台のがけに由来した地名でしょう。
小平市は、じつは「同名」のよしみで、姉妹都市の提携をむすんでいます。
姉妹都市というと、ふつうはおなじ規模のマチどうしがなることが多いのですが、この場合はおもしろいケースです。
購入しました。望洋台の眼下に小平市街、その
南端から臼谷市街(表紙写真では見えませんが)
まで国道が片道2車線になっています。このあ
たりは、地吹雪でもまだ運転可能なのですが、
望洋台の下のトンネル(新しくなりました)を
抜けると、本当にホワイトアウトして恐怖のド
ライブを経験することができます。鬼鹿地区の
花田家番屋付近の照明が見えたときの幸せとい
ったら…。
小学校でバレーボールとか、高校で新聞とか作ってませんでしたか、奥様。
それはそうと、わたしも日本海側の地吹雪にはエライめにあいました。
あれは、札幌に住んでいては、理解できない事態だと思います。