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越後妻有アートトリエンナーレを考える 06夏休み(24)

2006年09月25日 23時09分52秒 | 越後妻有・大地の芸術祭2006/2024
 画像は、松代・農舞台の裏山にある、田中信太郎「○△□の塔と赤とんぼ」。高さ14メートルという。地元の「こへび隊」の人が言う。

「第1回のころは、トリエンナーレ反対派の急先鋒の人が『赤トンボはあんな風に飛ばない。撤去すべきだ』と主張してたんですよ。その人、今はすっかりトリエンナーレの応援団になっていますけどね」

 もっぱら大都会で制作と鑑賞がおこなわれてきた現代美術が、いきなり越後妻有という過疎の地に一気に登場すると決まったときの戸惑いと反撥(はんぱつ)は、想像に難くない。
 北海道新聞9月5日夕刊文化面によると、北川フラム総合ディレクターは「協力的だったのは、圏域内の200集落のうち2つだけ」と振り返っているという。
十日町商工会議所専務の村山善政は「昨年、1市3町1村が合併したが、旧十日町地域(現十日町市の中心市街地)には織物や着物の職人が多く、現代アートへの抵抗感が強かった」。ところが初回に約16万人(無料入場者を含め)という集客力を見せ付けられ、「負けられない」と2回目から積極的にかかわった。(北海道新聞同)

 いまでも、やはり集落・地区ごとの温度差というのはあって、先のこへび隊の人によると、十日町の人には、トリエンナーレがひらかれることすらよく知らない人がいるという。
 それでも、先のエントリで書いたように、地元ぐるみで盛り上げようとしている集落は多いし、この催しが定着してきた様子は、あちこちでうかがえた。

 着物のほかに、もうひとつ十日町がアートを受容する素地となったものに、かなり以前からおこなわれている彫刻シンポジウムがあるようだ。
 ここでいうシンポジウムとは、パネルディスカッションみたいなヤツではなく、複数の彫刻家が滞在して制作するという催しのことである。
 十日町の駅裏広場や、中心商店街には、これまでのシンポジウムで制作された作品がいくつも設置されていた。
           
 せっかくの催しなのに、どうも、トリエンナーレとは直接の接点はないみたいだし、これについてふれた文章も筆者の目にはふれたことがない。

 越後妻有アートトリエンナーレを考えるとき、ひとつのヒントになりそうなのは、これが県を主体とする「公共事業」だということだ。
 公共事業というと、最近はすっかり悪者扱いで、土建業者と悪徳政治家がぐるになって税金で要らん土木工事ばかりしているというイメージを持っている人もいるかもしれないが、もともとの意味からすれば、公共の(つまり、みんなの)事業ということだ。受益者がみんな(あるいは、のっぴきならない事情でこまっている人)であればいいわけだ。
 このトリエンナーレは、一部の愛好家だけではなく、大勢の人がさまざまなかたちで関与する「まちおこし事業」となった。
 その意味では、通りいっぺんのイベントや土木工事よりも、よっぽど経済的効果があるかもしれないのだ。
 いや、カネのことがすぐ出てくるのは、はしたないな。カネはあとからついてくればよしとする、くらいのもんであって、このまちおこしによって、地域に住む人々が誇りを持てるようになれば、願ってもないことだろうと思う。

(この項つづく)
 


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