(承前)もっとも、アートに、高齢化や交付税削減などによって元気のない地方経済を、ほんとうに浮揚させる力があるのかどうかは、専門家でない筆者にはわからない。冒頭の画像は、十日町の中心商店街にあった「娯楽会館」跡の廃墟だ。
中心商店街は、駅通りや本町通りはそこそこ店が開いていたが、「コモ通り」はみごとなまでの「シャッター街」であった。単に、お盆休みだったのかもしれないが。
東京などから人が大挙してやってきて、地方にお金を落としていくというのは、痛快なことだとは思う。
いわゆる観光地でなくても、なにかやれば人はやってくるということを、示したトリエンナーレであった(今回の入場者は30万人を超えたらしい)。
大体、ほとんどの人は、トリエンナーレがなければ、越後妻有に行かなかっただろうし。
さて、もうすこし美術に即して考えてみたい。
筆者は、このトリエンナーレで、いくつかの作品に感動した。
しかし、冷静に考えてみると、ほんとうにその作品が、群を抜いてすばらしいものだったのかどうかは、わからないところもある。
筆者の感動は、作品そのものだけではなく、作品のバックにあった里山の自然や歴史であり、人々との協働作業の物語に根ざしていたのではあるまいか。
もし、それらの作品が、都市の美術館のホワイトキューブの中にあったらどうだろう?
でも、それは、じつはそんなに意味のある疑問ではない。
なぜなら、トリエンナーレの出品作の多くは、ホワイトキューブで発表されるためにではなく、妻有の街角や山の中に設置されることを前提として発想され、制作されているからである。
美術館のホワイトキューブは、作品と純粋に向き合うことを鑑賞者に強いる。
そこでは、作品そのもの以外の要素は排除されてしまい、ただ、参照されるのは、美術史だ。わたしたちは、もっぱら美術史の文脈でその作品を値踏みしようとする。
しかし、越後の里山では、むしろいろんな作品外の要素も一緒くたに受け止めるのが普通の鑑賞法になり、美術史の文脈はぐっと遠い後景にしりぞいてしまう。
(これは筆者の創見ではなく、「大地の芸術祭ガイドブック」で中原祐介氏も指摘していたことである)
これは、或る意味で、脱歴史的というか、ポストモダン的な光景といえなくもない。
単線的、直線的な時間の流れという「物語」が西洋のものでしかないことが明らかになったこと、それぞれの土地、人々に固有の時間の流れ方があること、そしてそれらの間に優劣なぞないこと。
たとえば、「遠野物語」で、人々は、何十年も前の話を、なぜ、さもきのう起きたかのように飽きもせず語り継ぐのか。
ちょっと話がそれた。
でも、美術の見かたがひとつではないということがわかるだけでも、行ったあたいのあるトリエンナーレだと思う。
中心商店街は、駅通りや本町通りはそこそこ店が開いていたが、「コモ通り」はみごとなまでの「シャッター街」であった。単に、お盆休みだったのかもしれないが。
東京などから人が大挙してやってきて、地方にお金を落としていくというのは、痛快なことだとは思う。
いわゆる観光地でなくても、なにかやれば人はやってくるということを、示したトリエンナーレであった(今回の入場者は30万人を超えたらしい)。
大体、ほとんどの人は、トリエンナーレがなければ、越後妻有に行かなかっただろうし。
さて、もうすこし美術に即して考えてみたい。
筆者は、このトリエンナーレで、いくつかの作品に感動した。
しかし、冷静に考えてみると、ほんとうにその作品が、群を抜いてすばらしいものだったのかどうかは、わからないところもある。
筆者の感動は、作品そのものだけではなく、作品のバックにあった里山の自然や歴史であり、人々との協働作業の物語に根ざしていたのではあるまいか。
もし、それらの作品が、都市の美術館のホワイトキューブの中にあったらどうだろう?
でも、それは、じつはそんなに意味のある疑問ではない。
なぜなら、トリエンナーレの出品作の多くは、ホワイトキューブで発表されるためにではなく、妻有の街角や山の中に設置されることを前提として発想され、制作されているからである。
美術館のホワイトキューブは、作品と純粋に向き合うことを鑑賞者に強いる。
そこでは、作品そのもの以外の要素は排除されてしまい、ただ、参照されるのは、美術史だ。わたしたちは、もっぱら美術史の文脈でその作品を値踏みしようとする。
しかし、越後の里山では、むしろいろんな作品外の要素も一緒くたに受け止めるのが普通の鑑賞法になり、美術史の文脈はぐっと遠い後景にしりぞいてしまう。
(これは筆者の創見ではなく、「大地の芸術祭ガイドブック」で中原祐介氏も指摘していたことである)
これは、或る意味で、脱歴史的というか、ポストモダン的な光景といえなくもない。
単線的、直線的な時間の流れという「物語」が西洋のものでしかないことが明らかになったこと、それぞれの土地、人々に固有の時間の流れ方があること、そしてそれらの間に優劣なぞないこと。
たとえば、「遠野物語」で、人々は、何十年も前の話を、なぜ、さもきのう起きたかのように飽きもせず語り継ぐのか。
ちょっと話がそれた。
でも、美術の見かたがひとつではないということがわかるだけでも、行ったあたいのあるトリエンナーレだと思う。
そうだったんですね。札幌ビエンナーレ企画の理解が深まりました。
実際に行うのであれば、さっぽろ芸術祭という枠内を越えて、
道内地域の特色も彷彿させるような、また来たくなるような、芸術祭になって欲しいですね。
全国から人が集まるのですから、早めの効果的な発信と地域特色を活かしたアートなど(地域性を活かした新しい発想はないのでしょか)。
北海道の歴史と融合するアート、外国から出品される作家の方も自国を思い出す中で、普遍的で懐かしい作品も創造されるのでは・・。
道内出身の芸術家の作品は勿論のこと、それこそ、オホーツク文化やアイヌ文化。そして開拓、炭鉱、明治に創りあげられた都市文化等など、あげたらきりがないほど、北海道には見せたいものがが沢山あるように思います。
でも、「札幌ビエンナーレ」ですものね。
老いも若きも驚きをもって参加し協同で作り上げていくような芸術祭だら楽しいでしょうと、思いました。
ながながと意味のないコメントで失礼しました。
このエントリ、書いてある中身は、いまでも同意見ですが、しかしいま読むと、あんまりわかりやすくないな。
こないだ札幌ビエンナーレについては、端聡さんを招いてU stream(インターネットテレビ)で討論やってましたね。
来月には概要の記者発表などがあるそうです。
美術館以外での現代アート?の開催。あまり解かりませんが、初めての経験になりそうで楽しみです。
行政の関与がどれくらいになるかわからないし、札幌市の予算を使うとなると、やはり予算案が議会を通過してからでないと、公式サイトはスタートできないでしょう。
官からある程度独立した財団や実行委が確立できれば、そういう形式的な手順はいらなくなるはずですが、なんといってもまだ第1回がいつか、やるのかやらないのかも、きっちりとは決まってないわけなので。