(承前)
上の地図をごらんいただくと(ケータイで見てる人、ごめんなさい)わかると思うのだが、勤医協病院の前の交叉点の太い道路が、昔の遊郭の中央を貫いていた通りだ。
その両側を通っている、やや細い道路が、遊郭の境界だったらしい。
この道路が、ほかと違う性質を持っていることは、菊水稲荷神社の角が、クランクになっていることからわかる。地図をよく見ると、その反対サイドの、保育園の角もクランクになっている。
ただし、西南側の境界は、菊水2条と菊水1条の境の道路と重なっているので、クランクにはなっていない。
この神社(現在の正式名称は菊水神社)は、昔の遊女たちがお参りしたとされる白石稲荷神社の後身。
周囲の公園とあわせ、往時のなごりをわずかにとどめている。
遊郭の建物は、戦後もしばらく引き揚げ者のアパートなどとして使われていたが、1980年代までにすべて取り壊されたという。
もっとも、「ひょっとしたらこれが?!」と一瞬思ってしまうほど古い建物が多いのも菊水なんだが…。
かつての遊郭の中央に位置する勤医協病院。
病院のある交叉点につづく道路は、歩道の中央に幅の広い緑地帯がある不思議なつくり。
遊郭中央部の小公園だったのかもしれないし、ぜんぜん関係ないのかもしれない。
(つづく)
探検してみたらと勧められたことがあるのですが・・。
地図好きのヤナイさん、ご存知ですか?
意図的に撮らなくても、錆びれた景色が
あっちにも、こっちにも。
勤医協病院隣の菊水銀座商店街は、
戦後札幌で最も賑わった通りだったとか。
、、、、うーん面影がないなあ。
商店街の夏祭りは、手作り感がとても溢れて
楽しいですよ。
でも、サムライ通りって、聞いたことないなあ。
「サムライ」なら知ってますよ。
戦後、家のない貧しい人たちが豊平川の河原などに掘っ立て小屋なんかを建てて暮らしていたのをそう呼んでいたらしいです。
実物を見たことはないですが。
で、わたしのアタマの中では
「サムライ=士農工商のトップ」
という図式ができていたので、そういう貧しい人たちの集まりをそう称していたというのが、どうしても理解できなかったのですが、母親によると
「昼間からブラブラしてるから、そう言ってた」
とのことで、これはかなり、既成の価値観がひっくり変える驚きの見方でした。